注:これは拙宅の小説『D.B.B.』と『BIRD'S LUCK』の牧村天晴さんの小説『まるのつぶやき』(公開終了)のパロディです。多分、『D.B.B.』番外編としてだけでも読めますけど。
作中の牧村様キャラ聖ちゃんやまるさんが言っている「カレ」及び「お父さん」は作者(牧村様)のことです。
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エラいことになってます……。
えーただいまオープン直前のでかいテーマパーク《リングワールド》に来ています。俺達の中でこういうのが一番似合う奴がここにいないのがそもそもの原因です。あーあ。
《リングワールド》は名前通り、《シェル》の
テーマパークの関係者でもない俺が何でそんなこと考えるかって? 関係者じゃないんだけど関係者になるから。絶対。だって《リングワールド》だって全部プログラムで出来てるんだもん、オープンまでにバグが全部取れてるってことはまずない。管理局が何年も使ってるソフトにだってまだ小さいのは残ってるんだぜ? しかも立体プログラムっていうのはバグ=事故であることが多いもんな……そんなとこにどっかから蝶でもハエでも、とにかく
まあなるべくそれはよして欲しいね、ということで俺達バグベアー専門チームが事前に点検することになった。けど渋々? 一日で見終わるわけねーじゃんこんなでかいとこ! なのに二度もキャンセルしやがって、今日やっと点検の日だっていうのにもう人入ってる!
「社員の家族とか関係者。《リング》さんは外部企業だからねー、どうもうち信用されてないというか、バグを甘く見てるというか。もう許可降りてるから、今日僕らを入れてくれたのは形だけ顔を立ててくれてるみたいよ」
デュフィさんはネクタイを大急ぎで緩めながら説明してくれた。この人は管理局の、肩書きもついてる人の筈なんだけど、こういうきっちーんとした格好が嫌いらしい。というか、本当は個人契約書に『スーツ着用を義務づけないこと』って書いてあって、だから管理局内ではどんな偉いおっさんの前でもラフな服装でいるらしい。お堅い管理局にもヘンな人はいるんだな。
「でも
「プログラムの仕様は全部調べたから重大なバグはないと思う。でもバグベアー事件はどこからでも湧いてくるからねぇ」
「ハッキングしたんですか」
今まで黙って周囲を見ていた
「いやぁ僕じゃなくて主任が」
……オイ管理局。
「何で法律破ってまで?」
「いや《リング》さんがポカやる分にはどうでもいいんだけどね、政治経済がらみで色々と灰色の噂がある企業だし。しかも本当は仕様書の提出義務があるんだけど、データ漏洩したらどう責任取るのって弁護士寄越して、上の方とこっそり握手してなあなあにしちゃったんだよ。けど人命事故が起こったら嫌だからね。こっそりと」
ゆっくりとろとろした口調でデュフィさんは言った。いつもののほほんとした顔だけど結構アタマにきてるみたい。
「何か起きてくれるといいですね」
楝さんが変なことを言った。はい?
「そうだねぇ、今日一日、君らのいる間に派手で実害は少なくてでもバグベアー事件って怖いんだよってアピール出来るような事件、何か起きてくれないかなあ」
明日は晴れるといいなあ、とか、いいねえ若い人達は、って言うのと同じような口調でデュフィさんは呟いている。
オトナってヤダ……。
「まあ適当に楽しんじゃっていいから。街の方はウェンさんが待機してるんで、君達はこっちにいて下さい」
僕のおすすめはナントカとナントカだよ、とデュフィさんはパンフレットを
「と言われても……」
まあ事情はいいとしてさ。人が入ってるって言ったって関係者だけだから、すっごく空いてる。街ん中でバグベアー事件が起きるより楽に対処出来そう。
問題はさ。
「楝さん、サングラス怖いんだけど」
「眩しい」
夜行性だもんね……まあ仕事以前に他人を怖がらせちゃなんねェってことで、近づいたら即危険っていう格好じゃない。筈なんだけど、何故ごく普通のタンクとブラックジーンズとワーキングブーツでそんなに怖いのアナタは(ちょっと遂風に言ってみた)。くそー……いいなあ。
ホント眩しい。中空域だからさ、高い建物とかが他になくて日光を遮らないんだよな。薄暗い遊園地なんてつまんないけど。あ、海風気持ちいい。
じゃなくて! 今日の問題は。
「俺達何に見えるんだろうね……」
野郎二人で遊園地……視線が痛いような気がするのは気のせい? 何でデバッガーには制服がないんだよ、あったら「おつとめ御苦労さん」なのに。首から証明書下げてるけど、今日は皆そうだもん。野郎三人でも淋しいけど開き直れるというか。遂がいると一見女の子が一人混じってるように見えなくもないというか。とにかく楝さんって遊園地似合わないよな……。
「遂のメンテってどのくらいかかるわけ?」
そうなんだ。ここの奴らが何度も日程をずらしたから、遂の
「早くて二泊三日」
「俺三〇分かかんないのに!」
「
「そんなに悪かったんだ……」
「元々あいつはお前よりよほど不安定。ほれ、仕事。お前そっち」
ああ良かったコンビで歩き回るわけじゃないんだ!
デュフィさんがオプションだと言ってわざわざ買ってくれたでかいバブル菓子《リンゲット》(口当たりひやっとする綿菓子とカルメ焼きの中間みたいなやつ。ここのマスコットのふわふわっとした犬の形、棒つき)を片手に持って、俺は楝さんと別れた。ちらっと振り向くと人混みの中にぬっと突き出るでかい人。目印にはいいよな、俺待ち合わせで迷ったことないもん。まわり絶対空間出来てるしさ。
遂に『今から仕事!』とメール入れておいた。大丈夫?とか訊きたかったけど、何書いたらいいかわかんなくて。
俺ももうちょいオトナにならないとなー。
「お祖父ちゃんのせいだわ、面白がって」
「彼に悪意はなかったんだよ」
「まるにだってショウゾウケンというものがあっていいのに。まるを何かに使っていいのはまるだけよ」
そうだろうか。私達は皆、何か超越的なものによって密かに導かれているのではないだろうか。ここに来るまでに私に選択権がなかったわけではない。この人工物によって形成された《シェル》という都市に入る途中にも、その前にも。しかし……この気まぐれなやり方は、どうもカレとは違うようだ。第一、私の思考はいつも滑らかで、ぶつぶつと途切れるものではない。なのにこの書き手は「……」を入れようとする。
錯覚だろうか。この人工的な場所がいけないのだろうか。
「それを決めるのはカレだよ」
銭湯の親父、つまり聖の祖父がほろ酔い加減で新聞を覗いた時に、新設巨大テーマパークのマスコットキャラそっくりさんの募集記事が載っていた。その毛玉に目と舌をつけたようなキャラクターは、客観的に見れば私に似ていなくもなかったらしい。(そのキャラクターは私よりむしろ栗色の古いヘアーピースにこそ似ていると思うが)。親父の手元には先日聖と撮った私の写真があり、封筒と切手もあった。というわけで今に至る。私は何とかという賞を得て、聖と二人、この奇妙な遊園地に招待されたのだ。
「私は必ずしも面白くないわけではないよ、聖。ここは興味深い」
聖は憮然として私を見下ろした。彼女も遊園地が嫌いというわけではなく、ただ私の為に怒ってくれたのだ。
「そう?」
「何故入口に
「《シェル》はそういうとこなんだって。何でも作り物の街だから……変ね。お父さんの写真の中にいるみたい、私達」
私は頷いた。
通りすがりの人々が私を興味深そうに眺めていく。この都市では動物は珍しいそうだ。嗅覚の鋭い犬は、おそらくこの匂いの乏しい地面に飽きてどこか別の場所に行ってしまったのだろう。にも関わらずペット同伴可を売り文句にしているのはおかしな話だ。
道は幾つかの色に塗り分けられていた。今私達が歩いているのはオレンジ色だ。自動的に分かれたり繋がったりしながら園内を走る乗り物にも乗ってみたが、移動していることを忘れてしまうほどかたりとも揺れなかった。私は歩く方が好きだ。疲れてから乗ればいい。
「全部エーテリオンっていうので出来てるんだって」
テーマパークの入口で聖の腕に嵌められた、大きな腕時計のようなものに地図や説明が現れる仕組みだという。聖は色々なジェットコースターよりもむしろその時計が気に入ったようだった。匂いを嗅いだが、地面と同じようにそれ自体の匂いはない。それがエーテリオンという謎の物質らしい。
「影のようなものだね」
「え? 何が?」
「そのエーテリオンというものさ。そこに確かにあるのにない」
私が蹴飛ばされてしまうほどの人混みではなかった。ポメラニアンと少女に敬意を表するように、私達の前には道が続いている。ゴミ一つ落ちていない、どの犬もまだ匂いをつけていない、ここは影の国だ。
聖の表情が明るくなってきた。誰か人間の友達がいれば彼女ももっと早く楽しめたかもしれない、と私はふと思った。公園や駐車場で静かに語り合うのとは違い、私と聖という組み合わせはここには似合わないのかもしれない。
× × ×
笑えるくらいすげー量の呼び出しが入ってくるのは何故? と思ってたら、どうも園内の
花壇(ただし花とか樹じゃなくていかにもサイバーな感じの立体映像がずらっと並んでいる)に腰掛けて画面をかなりでかいめに出してばばばっとスクロールさせた。まだそれっぽい事件はないみたいだけど……転んで怪我したとか迷子とか道わかんないとか(地図の見方わかんなくて何でヘルプはわかんの?)キーワードで絞りかけて省いちゃっていいかなあ?
「楝さんそっちどう?」
『異常なし』
あんまり他人を怖がらせてないといいけど。手にソフトクリームとか持たせちゃ駄目かな……余計怖いか?
「何かいい検索法ない?」
バグベアー事件は起きたばっかりの頃はそんな深刻そうに見えないのが多いから、ちょっと通報が遅れるととんでもないことになる。
『周囲を見回せ』
「え? 何?」
『いつもお前の周囲で頻発しているだろうが』
「それ冗談に聞こえないよ……」
いつもの俺達はこういう風に自分から見つけるまでもなく(俺が疫病神なわけでもなく!)何か通報が入ってくるんだ、今日はそれをウェンさんという人が一人でやってる……ってことだよね?
ウェンさんは昔俺がまだバグベアーやってなかった頃(生前?)遂と組んでた人で、実はソーイさんの奥さんだと聞いてびっくりした。その人今どこの部署にいるのか知らないけどこっちに復帰してくれないかなあ、でもソーイさんがすごーくあっさりと俺や楝さんを受け入れてくれたからって奥さんもそうとは限らないか。そうするとやり辛いな。
「あの、すいません」
頭を上げると俺より幾つか年下っぽい女の子が真面目な顔でそこに立っていた。ちょびっとした二つのおさげがこないだ何かの番組で見たナキウサギの耳みたい。
「はい、何?」
「これ動かなくなっちゃったんですけど、判りますか?」
女の子は腕の端末を見せた。ここの入口で入場券代わりにくれるやつで、《リングワールド》以外でもちゃんと使える。デザイン幾つかあってランダムなんだけど割と格好よくて、こういうのに目がない遂が欲しがってた(楝さんに貰う約束取りつけてた)。といってももちろん《シェル》の中だけだけどさ、プログラムだから。
その細い腕にはちょっとゴツすぎるような、黒と赤のやつ。俺この子にはパステルブルーとか似合うと思うけど色変え設定あるの気づいてないのかな? 画面が確かに焼きついていて、バンド部分にちっちゃい
「ちょっと外していい?」
女の子は俺の隣に腰掛けた。あー何か入ってる、これ何? すげーちっちゃいバグベアー。急いで
女の子がぽかんとしている。あ、銃型やばかったかな。おもちゃみたいなヤツなんだけど。
「ごめんびっくりした?」
「今のどうしたの?」
「バグってた。えーと俺ここでデバッグのバイトしてて、ホラ証明書。代わりの端末送ってもらうから、あ、うわっちょっと」
女の子が見る間に泣きそうな顔をした。わー待って俺が泣かした!?
「まるを探そうと思ったの……」
「え? まる?」
「犬。はぐれちゃったの。小さい茶色のポメラニアンなんです」
ポメラニアンって何? とりあえず迷子情報で検索かけてみたけど意味ねーじゃん! 犬が自分で迷子ですって言うわけないんだから。
子供とかペットには迷子札がついてる。その親(飼い主)の端末とリンクしてる、要するに発信器トランシーバーつき。そのマルの迷子札を探すにはまずこの子の端末からデータを出さないとならなくて、それにはこのディスクを開かないとなんなくて、でも開けるとバグベアーが……。
「うわーん楝さん! どうしよう、開けていいの?」
『……主語と目的語を言え』
女の子の目からぽろっと涙が落ちたのを見て、うわあああどうしよう。
「えーとマル! 犬! ディスク! 泣いてるよー」
『挙動不審なお前に犬が吠えかかるのは当然だ』
「違う、女の子!」
『……そこを動くな』
りりあん兄貴ー助けてー。
聖の匂いが途絶えてしまった。
土ならもっと匂いが残っているだろうが、このエーテリオンというものはすぐに匂いを吹き飛ばしてしまうらしい。なるべく早足で歩いたつもりだが、人の群れが目の前を横切った途端に聖と引き離されてしまった。私の小さな身体ではこの雑踏を突き抜けることは難しい。
一人きりになったというのに私は不安を覚えなかった。この見知らぬ書き手、おそらくこの影の国の王であるそれはカレではない。私と聖を永遠に引き離す強制力などない筈だ。
踏まれないよう道端に寄って人の群れを眺めた。どこかに向かって歩き続ける人間の集団はふと不思議な錯覚を感じさせる。彼らはこのまま大きな一枚の絵の中に突き進んでそのまま帰ってこないのではないか、と……この影の国から出かけるとすれば、それは現実の世界かもしれない。
聖の姿は一向に見えなかった。入口での説明によれば、この首につけられたメダルのようなもので聖と連絡が取れるようだった。マイクがついていると言っていたが、呼んでも聖の声は返ってこなかった。一方通行なのだろうか。
ふと、奇妙にぞくりとする匂いが鼻に飛び込んできた。駆け続けた時よりも心臓が大きく鼓動する。その途端に巨大な影が私の上に落ちてきた。身を退いて見上げると、眩しい太陽を遮る大きなものがそこにそびえ立っていた。
これは何だ?
視線を上げていくとそれはひどく背の高い人間の脚だと判った。だが得体の知れない匂いがする。この男はまるで極めて凶暴で巨大な猫のようだ。猫の匂いが身体についているのではなく、そのもの自体の匂いなのが不思議だが。
私は何匹かの猫と付き合いがあるが、恐ろしいと感じたことはなかった。今までは。匂いは少し似ているが、それは聖とその父のそれよりもずっと差がある。
「『マル』か?」
男が口を開いた。出来るだけそっと尋ねたようだが、私は震え上がってしまった。この男は腹を空かしているのではないだろうか。
「そうだ、私はまるだ。お前は人間なのか?」
「いや」
「では何故人間そっくりな姿をしているんだ?」
「原体のまま暮らすには人間は狭量すぎる」
男はサングラスを取ろうとしなかった。もしその奥に隠された目で見られたら、私はその途端に息が止まってしまったかもしれない。
男は無言で私を促した。
「聖はこっちだ」
「……お前は聖の友達には見えないが、ここの係員か?」
「楝」
それが名前だと気づいたのは少し歩いてからだ。通りすがりの若い娘達がこの奇妙な取り合わせをしげしげと眺めている。私と聖が並んで歩くよりも、この恐ろしげな男と連れだって行く方が不自然なようだ。
大型獣に会うのは初めてだった。途中ガラス張りに見える透明な道を横切ったが、男は全く足音を立てなかった。
「お前は猫の仲間なのか?」
「
聞いたことがない種類だ。更に訊こうとすると、甲高い奇声と共に何人もの娘達に囲まれた。
「可愛いー! これ何ていう犬ですか?」
「あ、まるって書いてある! まるちゃーん」
「飼い主の方ですかぁ?」
「どこから来られたんですか?」
「背ぇ高いですね、幾つあるんですか?」
「いやぁぁぁ可愛いー」
「え、デバッ……ガー? って、ここのシステムの人? うわぁ、凄ーい」
襲撃そのものだ。身体中をくしゃくしゃにされ、力任せに撫でられ、抱え上げられ、たしなめても彼女達の耳には入らないらしい。
「あの、お名前……」
「あのあたしサキっていいます!」
「あたしはミーです。よければ一緒に回りませんか?」
「バカ、お仕事中じゃん!」
「あのーあたし達この地図のここに行きたいんですけどよくわかんなくて……」
年頃の雌犬のように目をきらきらさせて楝を見上げている。撫でられすぎて頭がくらくらしたが、楝の気配がふっと威嚇めいたものに転じたのを感じてよろけた。私に対する威嚇ではないとは知っていても、心臓が止まるかと思った。
「その道を左、黄色の道を右」
首の後ろの毛が逆立つような声で楝は言った。屈み込んで、くしゃくしゃになった私の毛を軽く直すと、娘達を置き去りにしてさっさと歩き出す。慌ててその後を追いかけた。背後でまた歓声のようなものが聞こえた。あれだけあからさまに凄まれても全く気づいていない。
全く、何と生存本能のない人間達だ。
「お前は現状に満足か? 楝」
少し息切れしてきた私の為に楝は歩みを少し緩めた。抱き上げて運ぼうとしないのが私の自尊心を満足させた。
「悪くはない」
「あのような人間にちょっかいを出されても? また来るぞ」
楝はサングラスを外した。手の中でくしゃっと潰れたように見えたそれは跡もなく消えた。それもエーテリオンだったのだろう。
楝にぶつかりそうになった若い男が文句を言おうと相手の顔を見上げるなり早足で遠ざかっていった。銭湯の親父が酔った時も人が避けていくが(私も時々蹴飛ばされそうになるが)、これほどではない。巨大なボディガードを連れている気分になった。相変わらず首の後ろはひやひやするが、すくみ上がるような怖さは遠ざかっていた。私は案外剛胆なのだろうか。
「それとも人間になりたかったのか?」
影の国の王はその姿を完全に隠蔽しているのだろうか、と私はふと考えた。この悠然たる獣は自分を支配する者があるとは思いもよらないだろう。だが王の存在を私は確信している。もしその存在を楝に告げたとすれば、この男は革命ではなく叛逆を試みるのではないだろうか? 出会ったばかりだというのに、この男が屈服を知らぬだろうことを私は知っていた。
「自分以外の何かになりたかったわけではない。人に化けるのも俺の特性だ」
ふと屋台の傍で立ち止まった楝は紙コップと小さな紙皿を受け取った。舌をのばしている私の前に皿を置き、水を注ぐ。体温がひどく上がっていたので夢中で飲んだ。紙皿に見えたそれも儚い影の創造物だった。
「影の国に住まう、人間ではない人間か」
楝は傍の花壇に腰掛けた。脚がちょうどいい日陰を作っている。
「私はこのテーマパークでお前以上に現実を感じさせるものを見ていない。というよりも、お前以外はひどく希薄だ。なのにお前はこの《シェル》という都市にひどく自然に溶け込んでいるんだな。不思議なことに」
飼い主の写真と同じだ。ネガに焼きついた風景は現実の裏側なのに、それをもう一度裏にすると写真になる。だから奇妙に生々しいのだと私は思う。
楝は何も言わなかった。黒狻猊は長い尾を持っているのだろうか、と私はふと思った。ひどく優美な尾を持っている猫が知り合いにいる。楝には尾が似合うだろう。
コップ一杯の水を私が飲み終えると、楝はその皿もコップも消し去った。道理でゴミが落ちていない筈だ。
楝さんがマルを発見してこっちに向かっていると報告すると、安心した聖は《虫籠》や指向銃について訊き始めた。バグベアーっていうのはこの街にしかいないみたい。そりゃそうか、エーテリオンが塊状態になっている場所は《シェル》以外はあんまりないんだ。だから俺や遂もバグベアーになったんだし、楝さんも美味そうな匂いに惹かれて来たわけだし。すると中国にはないのかな。
さっき食べたリンゲットが結構美味かったから聖に奢った。結構いろんな種類がある。ストロベリーとチョコとバナナのトリプルミックスを選んだ聖は何故か爆笑している。
「え? ナニナニ」
「この犬まだら!」
そういえば犬の形なんだっけ。確かにストライプ柄の犬って変……。
「水玉模様もあるよ? ホラ見てソーダと青林檎味」
「うわー最悪、でも美味いかも……って、え?」
目の前にその怪しい犬菓子を持ってにっこにこしているのは、アプリコットみたいな色のサマーセーターを着ているせいで余計に女の子みたいに見える遂だった。お前……それ俺には絶対女物の服に見えるんだけど。つーか、あれ? 背ぇ縮んでない?
「聖さん? 初めましてー、オレこのヒトの友達の遂です」
「あ、はい、初めまして」
「んで仕事仲間でもあるんです。まー君さっきの見たよ。ノミのバグベアー、最小記録。でも含有量42%の高密度。いやーまー君聖ちゃんお手柄お手柄」
は? ノミ? って何?
聖も不思議そうに遂を見つめているけど、どうやらそれはこの人男かな女かなというすごくもっともな疑問らしかった。っていうかーお前声もいつもより高い……いいぃ?
「遂、お前何か若返ってない? 俺とタッパあんまり変わらない!」
「うん、データまだ一部しかスキャン出来てないから今14歳なのよオレ。それも中身なし。あんまり触らないでね」
「何それ」
「街の方で幾つか事件あってさ、ウェンさん大変だからオレを一人派遣しました。向こうは王則の外見データ借りてね。あとでレンタル料払いに行かないと」
キミノリっていうのは確かこいつの兄貴だ。こいつの家族関係って訊いたことないけど訊くのが怖い。こいつ死んだ後に帰ってきてもお帰りーって言うのかここんちは?
「レンタル料払う関係なのか、お前と兄貴」
「だって無断拝借してるんだよ、借りてまーすってメール入れといたけど連絡取れなくてさ」
普通借りない。
すごーく不思議そうな聖をにこにこっと天使の微笑で誤魔化して、ああそうだ、と遂は手を打った。
「それでバグベアーなんですけど、その《KISS ME》タイプのプログラムを調べたら小さいバグ見つけましてね」
そう言ってディスクの中の聖の端末を指さす。
「何その名前」
「デザイナーによるイメージ。バグ自体は全然大したことないんだけど、何て言うのかなあ、そのバグのタイプがこのノミなヒトにとって住み心地がいいみたい」
「わかんねーよ」
「つまりね、この《リングワールド》を別のバグベアーの元がたまたまふらふらーっと通りかかっちゃったら、ここに住みついてバグベアー化する可能性が高いのよ」
聖が難しい顔をして、おそるおそる訊いた。
「それって、この黒と赤の腕時計みたいなのを嵌めてる人が皆危ないってことですか?」
「ぴんぽーん」
うわぁぁぁっ、ちょっと待てい!
「だから今からちょっと仕事しますけど緊急事態なので見逃してね」
「どっち向いて言ってんの?」
「あさっての方角」
……どっちだって?
遂は花壇に腰掛けて端末を
「何するんですか?」
聖が興味津々で覗き込んだ。俺も聞きたい。
「ここの企業のコンピューターに入り込んで《KISS ME》のデータ書き換えてバグ直して、今もう実体化してる分は全部片っ端から上書きするしかないね」
あらあ面倒、と呟きながら遂は楽しげにキーボードをちゃっちゃと叩いている。ちなみに聖にはただコンピューターにハッキングしているようにしか見えないけど、実はそれと同時進行で園内の《KISS ME》に
「ごめんねまー君」
「いいけど。平気なのかよ、書き換えて後で何か言われない?」
全部きちんとバグ直して跡も残らないようにして黙ってることの方が遂には簡単なんだ。でもそれじゃ仕事じゃなくて善意のクラッカー(初めて聞くよ)だろ? デバッグしました、という記録を残したい。でも潜り込んだことがバレると絶対キャンキャン言われる。
「うん平気。言質取っといたから」
「……はい?」
「《リング》と《シェル》との提携はともかく、今日の点検内容、デバッグについては管理局法に準拠するって契約書に書いてもらった。つまりレベル3以上の事件に際しての対処なら俺達何やっても犯罪になりません」
遂は聖をちらっと見て悪戯っぽく笑いかけた。
「時々銃を撃ってみたいからって警官になるヒトいるよね」
聖は生真面目な顔をして悩んでいる。お前、純真な子供に何言ってるんだ。
「そういうことしたかったから今のお仕事に就いたんですか?」
「いや逆。オレみたいなのはちゃんとした組織に属していなければ犯罪者になりそうでしょ? だから世の平和とココロの平和の為にね」
お前ハッカーの前に詐欺師っぽい。
「遂さんの『お父さん』がそう決めたんですか? 貴方がそういう人だって」
「そーねえオレとあの人との意見の一致。ホラ現在というモノを確立させているのは過去からの積み重ねと未来からのその前提なのよ、それと一緒。でもあの人何も考えない方が面白いこと書けるって言って端末の前でオレ達のアクションを待っているという噂が」
「何言ってるかわかんねぇ。お前頭大丈夫か?」
「メンテ中だからねぇ、ちょっとくらい見逃しなさいよ」
ね、と遂は無責任に聖に同意を求めて笑っている。
「聖さん世界の平和に興味ある?」
きょとんとしながらも聖が頷くと、遂は内緒話をするみたいに手招きしてエンターキーを指した。
「荷担してみない?」
聖は俺の顔を見て、それからタンッと人差し指一本でリターンキーを叩いた。そして息を呑む。
画面一杯の花火。今日のラストに打ち上げる予定のそれと一緒。
「はい終了! お疲れさまでした。聖さんご協力ありがとう」
真っ昼間の、サンサンと日光が降り注ぐ遊園地の片隅で、俺達は真夜中の花火を見つめた。
ふと犬の鳴き声が聞こえて聖が跳び上がる。
「あ、まる!」
リンゲットのチョコ味にそっくりな、丸くて(確かに「まる」だ)小さいふわふわの犬が駆けてきた。
「うわあ、ポメだ。うわあ」
遂がとろけそうな顔で眺めている。お前楝さんよりよっぽどヨダレ垂れそうな顔してる……。
マルが俺達を見上げた。確かに可愛くてふかふか。しゃがみ込むと、マルは俺達の匂いをしきりに嗅いだ。鼻をつんつん触りたくなる。
「こんにちはまるさん」
遂の挨拶にマルはちらっとそっちを見た。喋ってるのが通じてんじゃねーかっていう顔。それにしてもホントふかふか、毛を剃ったらどのくらい小さくなるんだ?
不意に日が陰った、じゃなくて楝さんが背後に忍び寄っていた。うわっと思ったけど、俺じゃなくて遂が首根っこを掴まれて宙づりになる。
「脱走か?」
楝さんが顔を顰めて睨むと、遂はテヘヘッと笑った。
「えーと正味15%くらい」
楝さんがぽいっと投げ出すと、遂は宙で猫みたいに体勢を直して着地した。コケろよそこで、一度くらい。
「ごめんね。帰ろっか、まる」
マルは慰めるようにぺろぺろ聖の手を舐めている。うわー舌小さい、足もちっちゃい。
「あらもう帰るの?」
「うん。平和にも貢献したし、花火も見たから。ありがとうございました」
聖はきちんとおじぎした。遂がその腕に《KISS ME》を嵌めるとはにかんだように笑う。ふっとエイを思い出した。
× × ×
楝が入口まで私と聖を送ってくれた。
「さっきの二人は何だ? お前のお仲間か?」
聖が土産を買うのを待っている間、こっそりと尋ねると楝は私を眺めてから答えた。
「影の国の人間」
「影の匂いしかしなかった」
この遊園地にはまがい物が多すぎて、長くいるときっと頭が混乱する。あの二人の匂いがなかったのもその為だろうか。この街にいた他の犬達も、影のような希薄なものとなって彷徨っているのかもしれない。
そう言うと楝は相変わらずの無表情のまま頷いた。
「そんなところだが、あれはまがい物じゃない」
「そうか」
ネガティブからポジティブへ。マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになるように、この街ではそんなこともあり得るのかもしれない。
明日我が家で目を醒ました時には、ただの愚かな幻想だと思うかもしれないが。
「まだ足りないわねぇ」
遂がいきなり不吉っぽいことを言った。え、何? さっきのデータ改竄にミス? お前もミスんの? そりゃあ珍しいわ。
「デュフィさんがせっかく言ってくれたことだし、何か派手なことでもやろうかなー。聖さん達帰ったし、心おきなく」
はい? だから何?
遂はディスクの中を指さしてにこにこっと笑った。
そろそろ日が傾きかけている。夜のライトアップも売りの一つなんだよな、パレードとか。プログラム一つで幾らでも変えられるんだから便利だよな、この街って。
「デュフィはけしかけたわけじゃない」
戻ってきた楝さんがぼそっと言った。
「とか言ってアナタ止めるつもり全然ないよね」
「鼻っ柱を叩いておかないと後々迷惑なのはこっちだからな」
「だよねぇ、ここプログラムがちょっと杜撰なのよ、見た目はいいけど。地元企業と仲良くしないで下へのメーワクとかもあんまり考えてないよねぇ、水処理システムの問題で色々あったし」遂はセリフと裏腹な笑顔で言った。「じゃあそのへんいきますか」
……よくわかんないけど俺他人のふりしてていい?
端末がヒピッと鳴った。点検時間終了だ。これから夜間プログラムに切り替わるのにいいのかな?
「さあ帰ろ帰ろ。あ、リンゲットおみやげに買わなきゃ。おとーさん食べるかな?」
「え? 今から何かするって……」
すごい速さで土産物を買ってきた遂を先頭に、俺達は外に出た。何だったんだろう、さっきの不穏な会話。
出口で許可証を返して(肩書きを見てびっくりしてた)シャトルの方向に向かおうとして、ふと気づいた。
「……遂、お前何やってんの?」
「あらよく判ったわね」
そりゃ俺だいぶ慣れてきたもん。……って、お前どこの何にアクセスしてんの今?
てへっと遂が笑った途端に園内から何かきゃあとかうわあとかいう声が聞こえてきた。えーと何、でも何か楽しそうに聞こえるけど? 出口の警備員のおっさん達がぎょっとしている。
「……遂?」
「あら変ねぇノミが逃げてる」
遂は自分の腕の《KISS ME》を覗き込んだ。小さい画面にサーフボードに乗ったクモみたいな変なヤツが映っている。むくむくとふくらんで、それはふわふわのマスコットキャラクターになった。
マルがサーフィン?
「まる・のる」
「は?」
「まる・くる」
「……遂サン?」
警備員達がうわっと声を上げた。そっちを見ると、園内からあふれ出した水がちょろちょろ流れてきていた。
……水のアトラクションって何かあったっけ。
「まる・でる」
遂の呟きと同時に出口の屋根のプログラムがバリバリッと壊れて、でかい板みたいなのが飛び出してきた。《リングワールド》を囲う丈の高い壁の上に飛び乗ったそいつは……うわっ、でっかいマル(サーフボードつき)? 目が点になってぼーっとしているといきなり楝さんに首を掴まれて、うわっと思った途端にジャンプしていた。俺達のいたところに水がざざーっと流れてきている。
シャトルステーションの屋根に飛び乗って、思わずぶるっと身震いしたら水が散った。遂が苦しそうにこっそり笑っている。
「おーまーえー」
「可愛くなかった? 『まる・るるる』バグベアーバージョン」
「何それ! ああもう、とにかくあれがさっきのノミなんだな?」
「外壁プログラム甘過ぎ」
立って偽マルを見送っていた楝さんが冷静な声で言った。確かにサーフボードが滑っていった後はひどいバグになっている。《シェル》の建設条令ではこういうでかい施設の外壁はインフラ並にがっちりしてないと駄目な筈なんだけど(って最近勉強したんだ俺も)……あれくらいのバグで簡単にぶっ壊れるなよ。
えーと指向銃指向銃。と探っていると、遂が俺の鼻先で手を振った。
「施設及びその外壁から1メートル以内は《リング》さんの管轄です。お手上げヘルプが来なければね」
「だって……」
「もう点検時間過ぎたから、ヘルプ来ないうちに手を出したらクレーム来るもーん」
いいのか! 組織に属していても立派に犯罪者じゃんか!
「お前なー!」
「近くに立っていてもせいぜいびしょぬれになるくらいだから平気。水圧も考えました」
「楝さぁぁぁぁぁん」
「まる・狩る」
はい? 楝さん?
端末がやっと鳴った。いつもの事件発生のお知らせ、発信は《リングワールド》管制塔。ああ今の時間罪悪感でいっぱいになってたのは俺だけ? ねえ俺だけ?
「仕方ないわねぇ、行こっか」
遂があっかるい声と一緒に立ち上がった。
END.
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牧村天晴様から楝のイラストを頂きました→■