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夏祭り
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アスファルトに染み込んだ昼間の熱がビル街の間にゆらりと立ち上っていく。
まだ交通量が減らない靖国通り。
古びた歩道橋の手すりにもたれて、その果てを飽きなく眺める。
桜の老木が並ぶ堀淵、その蔭の黒い水面。
浴衣姿の人々が数人、さざめきながら歩く。小学生くらいの少女が携帯電話に向かって何か大声で喋っているのが生ぬるい空気を伝わって聞こえ、やれやれと溜息をついた。糸電話なら微笑ましいのに。
自分がこの街に辿りついてからどのくらい経っただろうか。
指を折るまでもない。両手両足の指を使っても足りる筈はない。
近くで祭でも催されていたのだろう。派手なイラストのついた綿飴の袋と水風船を大事そうに両手に持った子供が両親と共に歩いている。前を行く母親は子供そっちのけで隣の女とのお喋りに夢中、やや離れて歩く父親は飲み終えた缶ビールを捨てられそうな処を目で探している。
──危ないな。
まるで稚い子供の仕草を見守るように、思わず口元に笑みが浮かんだ。
夜は本来、人間のものではない。
それを知っていた時代の人間達は、もう少し注意深かった。こんな夜更けに子供を連れ歩くことはなかった。
やむを得ぬ時はせめて、子供から視線を放さなかった筈だ。
知らないだろう。
人ならぬ者らにも祭はある。
こんな、闇が熱に浮かされる夜には。
「よう、遅れて悪ィ」
階段を駆け上がってきた若い男が呼びかけてきた。両手には早くも水滴でびっしりと覆われた飲み物の缶を一つずつ。片方をこちらに差しだしてくる。
「いやぁ久しぶり、何年ぶりだ? 相変わらずここからの眺め好きなんだな」
「何だ、その格好……」
「甚兵衛。いいだろすぐ近くなんだから、もうそんなに人いないし。あんまりカタいことばっかり言ってるとすぐジジイになるぜ」
「とうに老人だ」
「何言ってんの、あんたカッコによっちゃ高校生だぜ」
小さな音を立ててビールを開け、美味そうに喉を鳴らしている。肩をすくめてこちらも一口飲んだ。缶よりも瓶の方が好みなのだが、今日は悪くはない。この小うるさいほどよく喋る男がいるせいだろうか。
口の端に泡をつけて、男は楽しげに笑った。
「随分と集まってきたなぁ、今年は」
「ああ」
「そっけない……皆あんたに会いたくて来たってのに」
傍らの男は大げさに溜息をつく真似をしてみせた。
実体を持たぬ者らが、背後の黒々とした森の闇にびっしりとひしめいている。もう少し力ある者は人間やその他の姿に化し、或いは影としてひっそりと佇みつつこちらを見つめている。
華やかな若い女らの声と共に下駄の音が階段を登ってきた。こんな処で男が二人ぼうっとビールを飲んでいるのは挙動不審だろうか。しかしこちらをじろじろと見つつも特に怯えた風はなく歩いていった。すれ違う時にちらりと見せた笑みは闇への恐怖など知らぬ若い世代のそれだった。
下り階段を弾けるような嬌声が下りていく。下駄だと錯覚したのはミュールとかいう踵の高い履き物だった。
「今の結構良くなかった?」
飲み終えた缶をくしゃくしゃと手の中で潰しながら隣の男がにいっと笑った。
「──人の領域は侵すなと言った筈だ」
「だってこんな時に女三人でふらふら歩き回りやがって、俺らへのご褒美かと思った。もうずーっと食ってねぇもん」
ぶつぶつ不平を言いつつも、男は一瞬ちらりと浮かべた表情をきれいに消した。獰猛だが利口な一族だ、その殆どは退治されてしまったが。
脆弱な人間の中にも時折妙なものがいる。
「だから楽しみにしてたんだよなぁ、あんたの《気》はえらく美味いし。最近の人間の《気》って不味くないか?」
領域を統べる者は一帯の《気》をあまねく集め、蓄え、そして小さき者らに与える。それがいつからかの決まりだった。人とむやみに争わぬように。この男のように自分で摂ることが出来る者らも祭の宵には相伴に預かる。それは互いの強弱関係を確かめる時でもある。
「都心から離れればいい」
緑の濃い地であれば人から摂る必要もない。そうやってひっそりと棲む者らはまだ多い筈だ。
「だって寂しいだろ」
指先ほどの大きさに丸めた缶を車の流れの中に弾き落として、彼はふと眉を上げてこちらをしげしげと見つめた。
「あ、もしかしてあんたもそれでか? ずーっとここから離れないの」
「──うるさい」
「何だよ、照れんなって」
そろそろ祭が始まる。
階段を下りながらふと顔を寄せてきた男が言った。
「さっきのウソ。御馳走だけじゃなくてさ、あんたと喋んの嬉しくて。もう俺らぐらい甲を経たのってなかなかいないだろ?」
やはり寂しかったんだろう。そう揶揄されたような気もしたが、黙って階段を下りた。最後の段を下りる時にふと男の匂いを少し嗅いだ。
「何だよ」
「血の臭いはしないな」
「あー疑ってる、ひでぇ」
本気で傷ついたように男は肩を落としてみせた。
「おまわりさーん、この人未成年なのにビール飲んでますよぅ」
「誰が未成年だ」
缶をまだ手にしていたことを思い出して指先で揉み潰した。
「さっさと行くぞ」
「まだ飲み足んねぇ……」
「そうか。なら先に行く」
「わ、ひでぇ」
だがな、人間共。
俺達はまだ闇の領域を明け渡したわけではないのだ。
END.
友人風見さんに押しつけたモノ。多少説明臭いのが今一つ(ごめん風見さんこんなので)。何故この手の話となると舞台が必ず九段下なの? と我ながら思います。場所をご存じの方は「あの歩道橋ね」とお解りでしょう。ここからの夜の眺め好きなんです。あまり長い間ボーッとしていると自殺志願者に間違えられそうなので注意。
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