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夜の底辺

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 無数のテールランプがふらりと流れて、読めそうで読めない文字を描くのを眺める。
 まだ夏には遠い春の終わりの暖かく湿った夜には、バイクを路肩に停めて一人きりでいるのを楽しみたい時が、ふっと現れる。
 ……何かに。
 何かに似ているんだよな、この風景。
 
 
 グリップのゴムを替えたら少しはましになったけど、やっぱりクラッチが遠い。こんなもんかと思っていたけど、触らせろとギャーギャー言ってた阿呆ダチに「スゲー重っ!」と呆れられた。それもイイ感じだと俺は思うけど……まあ、重いわな。
 
 湿っぽい風を吹き飛ばすようにスピードを上げる。
 暗闇は怖い。際限なくどこまでも走り続けたくなる。急加速。警告灯が点灯して、頭を冷やせと苦笑する。
 ──一人で突っ込むんじゃねぇよ。横にいろ、馬鹿。
 腹に響くような誰かの声。
 
 
 フルフェイス越しに聞こえる幾つもの爆音。耳障りな高音域、こういうマフラーにしたがる奴とはオトモダチにはなれそうもない。さっき抜いた時に仕掛けられるとは解っていたけど、少しは一人で静かに走らせてくれないか?
 って、無理な話だ。『喧嘩上等』の旗を掲げたようなYAMAHA V-MAX、奴らが喜ぶのも仕方ない。そんなもん転がしてる奴が腰抜けの平和主義だったらおれがシメる。
 生意気な野郎が一人、スピードを上げて追いついてきた。
 
 
 ──なあ、おれらと一緒に来てくれよ。そりゃあこんなしみったれた山ン中じゃ何もかも満足ってわけにはいかないだろうけどよ。あんたについていきたいんだよ。
 ──やっぱり駄目か……?
 誰だか知らないけど、イライラする。頭上げろよ、こっちの目を見て言えよ。お前がちゃんとおれの顔を見てそう言えば、お前らが誰だか解るかもしれないのに。
 誰だよ。
 何でこんなに、泣けるくらい懐かしいんだよ。
 
 
 からかうように緩いカーブを描いて近づいてきたのはホンダのCB。さっきの下品なガキどもとは別件らしい。赤いラインが夜目に映えて、それが妙にムカつく。
 喧嘩売ってんのか?
 負けるわけはないけど、マシンの性能だけで勝っても馬鹿みたいだから減速した。相手も別に勝負したかったわけではないようで、曲芸みたいなドリフトをやってみせながら片手で挨拶してくる。器用っていうか……阿呆?
 思わず吹き出すと肩から力が抜けた。
 事故が多くて有名なきついカーブの前で停車した。ガードレールの向こうに、夜の海に木の枝が綺麗に被さる場所。こっちまで来た時はいつもここで休憩することにしている。ローに入れて一息つくと、CBの奴もメットを取って煙草に火をつけた。オイルライター、とことんスカした野郎。でも悪くない。
「よく来んの?」
 幾つか年上らしい声は静かなくせに陽気だった。さっきのフザけた走行そのままの、けれどおれはこういう奴らを良く知っている。
「たまに。あんた地元の人?」
「横浜」
「千葉」
「何だ、隣の隣じゃん。お互いヒマだねぇ」
 暗闇の中でゆっくりと笑う声。
「やっぱそれ乗るにはそれくらいのガタイ必要?」
「こいつに乗る為だけに鍛えてるんスよ」
「言い切るよね……」
 差し出された煙草を断ってペットの水を飲む。間近で見た男はどっちかといえば小柄で細身だったが、全然余計な筋肉がないだけだった。こんな奴をおれは何人も知っていた。ずっと昔、きっと。
「見ていい?」
「まだあんまりいじってないスよ」
「ダイマグに替えてるくせに?」
「まあ、それは基本でしょ」
 喉の奥で笑う男。
 寿命が尽きそうな街灯が、その顎から頬を照らし出す。
 
 
 ──××、見ろよ。すげぇ数の燈籠だ。これだけでも開封まで来た甲斐あるぜ。お互い留守番とはくじ運が悪かったが、ま、差しで酒っていうのもたまには悪くないだろ?
 窓から見えた夥しい光の群れとにぎやかな声、
 それを見下ろしていた男──
 
 
「──あんたさ」
「ん?」
「随分穏やかに笑うようになったな」
 マフラーを眺めていた男は体を起こして、ふと目だけで笑った。
 弟思いだったよな、あんた。弟がいじけないようにいつも地味にしてたけど、本当は腕が立って度胸のある奴だった。皆知ってた。
 あの頃はおれ達皆、生き延びる為だけに懸命になってて、けれどどんなに腹が減っても傷が痛んでも仲間が死んでいっても、見栄張って笑って──
「お前もな。昔はもっと荒々しい目をしてたよな?」
 だろうな。
 山賊にだけはならないと思っていたのに梁山泊に登って、互いを義兄弟と呼んで、けれどその後も時々迷っていた。
 途中で幾つもあった分岐点が、あの時のおれには見えてなかった。こいつで200キロ以上でぶっ飛ばしている時みたいに、おれはむちゃくちゃにただ進みたかった。飛ばして暴れて、時々ふっと我に返った。
 王進先生の元に辿りついていたら、おれはどうなっていただろう?
 母がおれのことで悩んだまま死んだ時、父がおれを案じながら逝った時、おれは死ぬほど後悔した。それを忘れて暴れて、またふっと淋しくなって……。
「前言撤回。あんまり変わってないねぇ、お前」
 剽軽な声でそいつがそう言って、いきなり頭をぐしゃぐしゃ掻き回したから、おれは一瞬でもやもやを忘れた。
「何すんだコラ! おらぁガキか!」
「ガキじゃん。お前もしかして高校生? のくせにV-MAX? なっまいきー」
「あんたこそ何なんだよ、えらく軽くなっちまって」
 男はまた笑った。
 おれがこいつのこの笑顔を見たのは、あの元宵節の夜が最初で最後だった。その時までは、こんなに優しげな男だとは思わなかった。
「軽くはなったかもしれんけど、牙はちゃんと残ってる」
 子供に言い聞かせるみたいな顔であんたは言う。
「何それ、だっせぇセリフ」
「俺人より犬歯でかいの。ほれ」
「見せなくていい! あんた絶対アホになった」
「あ」
 やかましい爆音が幾つも坂の下の方から近づいてくる。ついでにサイレン。このへん有名だもんな、けど真夜中に警察も御苦労なこった。図体のでかいマシンを路肩にうんと寄せていると、あの耳にキーンとするマフラーの音が聞こえた。
「さっき途中で見た奴らかな。玉虫色のZRX」
「多分おれも見た……ひでぇ塗装の」
「やっぱそう思った?」
「努力は認めるけどそもそもあの色がな」
 騒がしい御一行が目の前を次々と通過していく。やっぱ変な色だ、カウル曲がってるし。そう思ってたら後ろのパトから半分身を乗り出して、ぶっとい腕を振り回して喚いているおっさんが目についた。
 隣の男がぽろっと煙草を落とす。
「げっ」
「……マジ?」
 ドップラー現象がまだ尾を引きずっている中、二人で顔を見合わせた。
 昔の暴走族マンガのおまわりそっくりな、オイオイ勘弁してくれよ。
「ぶはははははは!」
「あいつ変わってねぇ!」
「つーかやっぱりサツなの? これから坊主になんの?」
「腹痛ぇ、勘弁してぇ」
 二人でひーひー笑い転げて。
 
 
 他の奴らもどこかで今きっとこんな風にバカ笑いしている筈。
 テールランプが連なった夜の底辺で、
 なあ? 会いたいな?
 
 
「ついでに鈴鹿まで行ってみねぇ?」
「ついでって、ここからどれだけあると思ってんだよ……」
「ツレのショップあるから、運が良ければモーリスのアルミホイール手に入るよん」
「嘘っマジ? 行く!」
 明日は学校サボリ。決まり。
 
 
END.

 
 「史進が乗るとしたら何?」「いやぁこれに乗って欲しい俺」と友人・明日来氏がメールで指し示したのはV-MAX。でかい写真つき。要するに「車検が通るか怪しい、化け物みたいなパワー重視マシン」。300キロくらいある、見るからにゴツいバイクです。それ関係のネットをちょっと回ってみたら、「150キロくらいからフレームよじれるんだけど……」「大丈夫、それがV-MAXです」「渋滞だとオーバーヒートしかけるんですけど」「大丈夫、それがV-MAXです」……何となくイメージが湧いてきました。成程、史進かも……。
  もちろん2LT(カナダ仕様)、新型っつーのも何だから93年式くらいを中古で手に入れてまずレギュレーター替えてグリップゴム替えてホイール替えて手動ファンスイッチつけたくらい。これじゃおとなしすぎて史進っぽくないですか? でも最初からおとなしくないバイクだからこれでいいかと。色も黒のまま。次はクラッチマスターシリンダーを検討したい、と本人はせっせとバイトに励んでいるもよう。
 
V-MAXについてはここここなどを参考にしました。ただし勘違いその他ありましたら、それはワタシの無知によるものです。

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