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軒轅少子譚-2

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一. 二. 三. 四. 五(終).

軒轅少子譚


 
 
 斥候に出ていた者が城門から飛び込んできたのは、翌々日のことであった。名を丹夷たんいという、赭牛と同年輩の青年である。十人力と呼ばれる剛力の戦士であり、多少のことで取り乱す男ではない。その丹夷が色を失い、常先の前に頽れた。
「玫瑁氏……距離十里!」
「見苦しいわ、しっかりせい」
 常先はふさふさとした白い眉をつり上げて怒鳴った。見事に禿げ上がった頭は血色が良く、皺も少ない。大鴻より更に年輩の老部将であるが、矍鑠とした立ち振る舞いは壮年のそれだ。戈の名手であり、年若い戦士と一騎打ちをしても付け入る隙を与えない。
「来おったな、泥亀め。門を開け! まずこの儂が軒轅の御霊に彼奴らの首を供えようぞ!」
 老部将の檄に応じる鬨の声。城門が開かれ、軒轅軍は続々と出て迎撃の陣を築く。だが守備を任された大鴻は丹夷の様子に眉を顰めていた。
「おぬしどうした。何を見た?」
 馬を飛ばしてきた青年は汗まみれの顔を上げた。涙が光っている。
「軒轅が」
 若者の声が銅鑼の音に掻き消された。
「……何?」
 白い霧を蹴散らすように現れた玫瑁軍を見て軒轅軍は奮い立った。敵数はこちらの比ではない。だが最後の霧が晴れた瞬間、怒りと悲しみの声が広がった。
 玫瑁軍の先頭の戦車に打ちつけられているのは、坤鳴の半身きりの屍であった。鎧も装飾品も剥がされ、見事な黒髪もざんばらに切られている。斬りつけられ鞭打たれたらしい身体は惨たらしく、しかし顔は判別出来るように無傷のままだ。容貌美麗で知られた坤鳴の双眸は半ば見開かれたまま、どろりとした目がこちらを見ている。
 戦車に立っている壮漢が哄笑した。玫瑁その人であった。その手の短刀が閃き、遺骸の右腕から肉片が飛ぶ。軒轅軍が一斉に呻き、怒りの声を上げた。
「竜を失った軒轅なぞ西辺の蛮族にも等しい!」
 玫瑁が左手を高々と挙げる。青銅の煌めきを人々は見た。精巧に形作られた竜の胸飾り、それを見た瞬間に常先が怒号した。
「おぬしのような卑劣漢、我らが竜がわざわざ神威を発揮するほどではないわ! 続け!」
 群雲のように軒轅軍が動き始める。数は玫瑁軍のそれの数倍、兵の練達は言うに及ばぬ。怒りに任せているようでいて、常先の指揮ぶりは見事であった。玫瑁氏の一兵も逃さぬつもりか、見る間に半円を描いて肉迫する。忽ち剣戟の音が生じた。
 険しい顔で戦況を見守る大鴻がふと気づくと、長老らの制止を振り切った赭牛がこちらに歩いてくるのが目に入った。ゆっくりとした足取りはしかし震えず、その顔色も平静に見える。
「黄駻は? 大鴻殿」
 彼は小さな声で囁いた。老部将は怪訝な顔でその若い顔を見つめる。
「さて。城門楼にでもおられましょうぞ」
 何故赭牛が弟のことなど尋ねるのか合点が行かず、大鴻は視線を上げて目で探した。が、あのちょろちょろとすばしこい悪童の姿は見えない。
 赭牛はごくひっそりと呼吸している。床几に腰掛けるのさえ困難だと思われたので、老部将は彼を出来るだけそっと支えた。軒轅の嫡子が観戦していれば兵士らも鼓舞される。
「私に、言ったのだ。あれが、あれば、いいのかと」
 殆ど唇を動かさずに赭牛はまた言った。
 大鴻が目を向けたその時、懸命に戦場を見つめていた赭牛が大きく瞠目した。老人が振り向く。土埃や武器の煌めきで状況が定かでない。
「黄駻」
 兄が呻いた。
 どうやってそこまで取りついたものか。二頭の馬の上を次々と飛び移り、次いで戦車の前面にひょいと飛び移った小柄な姿を彼は見たのだ。凄惨な遺骸の肩口を足がかりに、黄駻はそれを振り向きもせずに揺れ動く戦車の上で均衡を取っている。
 一際美々しい武装の玫瑁が剣を一閃させたが難なく躱し、その横面を棒杖が張り飛ばす。仰天した御者の手を容赦なく叩き、喉を突くと同時に蹴り落とす。まるで芸人の軽業のようだ。棒杖がくるりと回り、玫瑁の顎を突き上げる。その左手に握られていた胸飾りの朱紐を引きちぎり、戦車から飛び降りざまに片方の馬の尻を叩く。馬は嘶き、制御する者を失った戦車は二方向に走り出した馬によって横転した。
 あっという間の出来事だ。黄駻がこちらに向かってにやりと笑ってみせたのを赭牛は見たような気がしたが、すぐに土埃の中に見えなくなった。
 赭牛の身体がよろめき、大鴻がそれを支えた。彼は黄駻を見ていなかったのである。
「丹夷。赭牛様を中へ」
 敵味方が入り乱れている間は《玉亀》も迂闊に攻撃出来まい。大鴻は赭牛の身を若い戦士に委ね、厳しい顔で戦況を見守っていた。
 
 
 
 
 黄駻の目には猛り狂った軍馬の脚の動きすらよく見えた。日頃大鴻を相手に武術の訓練をしてきた彼には、玫瑁氏の戦士など物の数ではないように思える。得意の棒杖を振るいたいのを我慢して、彼はひた走りに戦場を駆けた。遊んでいる暇などない。
「若様?」
 兵士としては小さすぎるその姿を見咎めた誰かが驚きの声を上げる。衝突しかけた味方同士を躱し、黄駻は戦場を大回りに迂回した。玫瑁のいた位置がほぼ中央であった為、容易なことではない。
 左手の小指の腹がひりひりする。玫瑁のいまいましい短刀がかすったのだ。父上の肩を踏みつけたことでまた誰かに叱責されるだろうな、と彼はちらと考えた。父なら多分、一喝しただけで済ませただろう。あまり物事に拘る人ではなかったから。
 威霊と契約し、尋常ならざる身となっていた為か、遺体は腐敗していなかった。馬から飛び移る瞬間に見たその顔を自分はおそらく忘れまい……。
 突風めいた何かに黄駻は吹き飛ばされた。生臭い風が吹きつける。着地ざまに振り返り、彼は舌打ちした。
「玫瑁のやつ、怒り狂って見境なくなったのか?」
 巨大な《玉亀》が戦場の中心に出現していた。人間の身体がまるで蟻の子のように吹き飛ばされ、その爪や歯にかけられていく。どれほどの兵士が踏みつぶされたのか見当がつかない。
 黄駻は再び全力で走り始めた。悲鳴と共に軒轅軍が崩れていくのを背後に感じる。如何に精鋭を誇ろうとも、威霊の圧倒的な力には勝てぬのだ。
 だが、竜がいれば。黄駻は握りしめたそれを一瞥した。まるで息づいているかのように感じられる。
 戦車の残骸を飛び越えた時、何かに脚を取られて転び、屍体の山の中に頭から突っ込んだ。絶命した男の戈先に袖を引っかけ、苛立たしげに引きちぎると腕が血みどろだった。気づかないうちに怪我をしていたらしい。胸飾りを握っている掌が痺れた。
 後頭部にひやりと嫌な気配を感じて黄駻は飛び退いた。優勢に驕り、軒轅の城へと押し寄せてきた敵兵が彼を見つけたのだ。
「豎子!」その男は少年の顔を見つめて口を開けた。「坤鳴の子か! こいつはいい、父親と一緒に首を晒してやるぞ……」
 死骸の一つから取り上げた槍で喉を貫かれ、その兵士はのけぞって倒れる。その後ろにいた男達に発見され、黄駻は舌打ちした。敵兵を引き連れて城門に辿り着くわけにはいかない。味方に誤射されてしまう。
 彼は猛然と走り出し、正面の大門ではなく横へと迂回しかけた。その時あの突風が再び彼を襲い、その小柄な身体は城壁に叩きつけられた。土を押し固めた版築はんちくの壁の一部が脆くも崩れ、城内に放り込まれた黄駻は地面に背を打ちつけて一瞬息が止まった。
「こっちに来る!」
 恐怖の悲鳴が上がる。玉亀が地響きと共に城へと接近してくるのが見えたのだ。
 黄駻は息をついて起きあがり、逃げまどう人々の群れを掻き分けて正門へと向かった。その血まみれの姿を見て何人かの兵士が身構える。
「兄上に!」
 黄駻は叫び、長老の一人を突き飛ばして房に駆け込んだ。棒杖を投げ捨て、剣を抜いたままの丹夷も目に入らぬまましんだいの傍らに走り込む。ぐにゃりとへたり込みそうになるのをこらえ、左手に握りしめたそれを赭牛に突き出した。
「これでいいんだろ?」
 荒い息の下で黄駻は言った。
 赭牛はその精悍な顔に奇妙な表情を浮かべて青銅の竜を見つめ、そしてゆっくりと視線を上げた。先程よりも顔色が悪いような気がする。兄の愕然とした表情の意味が解らず、黄駻は狼狽して食い入るようにその目を見つめた。
 背後で立ち尽くしている長老らも固唾を呑んでいる。
「駄目なのか? 兄上」
 今契約が叶わなければ軒轅はおしまいだ。
 赭牛は小さく吐息するように笑った。
 笑った? 黄駻は兄を凝視した。
「お前が……契約するのだ」
 呼吸だけで赭牛はそう言った。
「……何」
「血」
 黄駻は胸飾りに視線を落とし、唖然とした。竜がぼんやりとした光を発している。左腕から伝わった黄駻の血が掌に溜まり、像を染めている。竜はまるでその血を啜っているように見えた。
「血で……汚したのか」
 長老の一人が呻いた。黄駻は瞠目したまま振り向く。
「何で? おれは死んでないし、こいつはまだ兄上と契約もしてないんだぞ!」
「お前のその身に流れているのは誰の血だ!」
 大叔父の一人が黄駻を指さした。
「竜が貪るのは軒轅の血なのだ。ああ……いっそ竜に喰らい尽くされてしまえば良いものを! お前は赭牛の位を簒奪するつもりか、豎子!」
 黄駻は絶句する。声を上げようとした赭牛が低く呻いた。
「竜ならきっと癒せよう」
 誰かが呟いた。
「そうだ……契約を結んでしまえば」
「だが黄駻が血で汚してしまった」
「その豎子には諸侯となる資格などない!」
 黄駻はそのむき出しの憎悪に硬直し、立ち尽くしていた。何を言われているのか解らない。像を清めるだけではいけないか、敵は間近に迫っているというのに。
 玉亀が地を歩む地響きが伝わってくる。
「呪われたる子よ」
 誰かが呻きに似た声を漏らした。
「そやつを殺せ。さすれば赭牛が契約を執り行える」
「竜がお前の濃き血を清めるだろう」
「待て!」
 赭牛が一喝した。そんな声がどこから出たのか、青年は蒼白な顔で、しかし全員を確りと睨み据えて言った。
「黄駻に竜を呼ばせろ。今は軒轅を救うのが先だ」
「……しかし」
「黄駻を殺めて何になる。今の私では竜に喰らい尽くされて終わる」
 冷たく吐き捨てるようにそう答え、彼は傍らの弟を一瞥した。
「お前の務めはまだ終わっていない。黄駻、契約を交わせ。《雲を駆る者》と。さもなくばこの場で死ね」
 少年はその双眸を見つめた。脳裏が暗い虚と化したように思えた。
 長老らを掻き分けて現れた大鴻の脚がその光景にすくんだ。
 だらりと垂れた少年の掌に、まるで喰らいついたように離れない青銅の竜が輝いている。今やその金色の光は少年を包み込もうとしている。
 黄駻は瞬きさえ忘れたように茫然としていた。兄の冷酷な声が脳裏に突き刺さっている。
「竜を御せ!」
 赭牛の鞭に似た声に彼はぴくりと震えた。肉体の目ではないどこかで、彼はそれと見つめ合っていることに気づいた。竜の双眸は光と同じく、黄金そのままの色であった。今にもその口が開きかけていたのを悟り、黄駻ははっとして竜を睨み据えた。
 これに勝たなければおれは喰らわれる。
 竜を睨みつけるうちに戦場の光景が見えた。玉亀に踏みつぶされる軒轅の兵士らを見た、その血が飛び散り骨が砕ける様を。勝ち誇る玫瑁軍。父の遺体に斬りつけたあの男がこちらを見て何か叫んだ。玫瑁が哄笑しながら屍を更に切り刻む光景が見えるようであった。
「殺してやる」
 黄駻は低く叫んだ。竜はその為にいるのだ、軒轅に仇なした者全てを殺戮する為に。今こそ敵の血を啜り、肉を飽食するがいい!
「殺してやる、魂魄のかけらさえ残さず屠ってしまえ! 玉亀も貴様の餌だ、雲を駆る竜」
 黄駻は憎悪のあまり身体を震わせた。左手の胸飾りを握り潰さんばかりに掴むと、竜の爪が己の肉に食い込むのが感じられる。竜が自分の中に入ってくる! 彼はぞっとするような声で笑った。
「玫瑁を滅ぼしてやる、このおれが竜だ!」
 
 
 戦場の上に出現した竜を誰もが凝視した。黄金の竜はその長大な身をくねらせ、大気が振動するほどの声で咆吼した。
 竜は今にも城に辿り着かんとしていた玉亀に襲いかかり、その柔らかな首に牙を立てた。玫瑁が顎を落とす。威霊同士が禽獣のように争うことなど嘗てなかった。
 亀が首を引こうとする間もなく、その首を引きちぎる。まるで飢えた獣のように咀嚼し、首を失った亀の脚を一本ずつ引き裂く。頻りに跳ねていた亀の尾さえもぼとりと落ちた。
 見る間に玉亀の姿が失われていく。不鮮明な光と化し、霧のように消えようとするそれを竜は啜った。その黄金の輝きが増して眩しく照り映える。
 竜はやがて頭をもたげた。
 常先は我に返り、嗄れた声で叫ぶ。
「《雲を駆る竜》だ、我らが威霊だ! 反撃せよ。玫瑁を討ち滅ぼすぞ!」
 玫瑁は軒轅氏の鬨の声を打ち消すかのように叫び、喚いた。だが凄まじい稲妻が轟いた瞬間、その肉体は竜の尾の一撃を受けた。
 
 
×    ×    ×
 
 
 虚ろに宙を見つめたままの黄駻を赭牛は恐ろしいほど真摯な眼差しで見上げていた。弟を包む光が脈打ち、鼓動している。父の契約も長くかかったと聞いていたが、一日以上もかかった例はない。長老らは赭牛の命令によって追い出され、房内には二人の兄弟と大鴻しかいなかった。
 長引くほど強いということだ。それだけの分を竜から引き出せるということだ。
 玫瑁軍はとうに殲滅し、坤鳴の遺体も発見されていた。勢いに乗じた常先は竜の先導によって玫瑁氏の城を襲い、瞬く間に陥落させた。滅ぼした氏族の女や子供は奴隷とするのが常であるが、復讐に燃える軒轅軍は一人も残さず殺し、その首を積み上げたという。
「赭牛様、もう三日目に入ります。黄駻様は……」
 大鴻が低い声で尋ねる。
 赭牛は暫く答えず、暫くしてから目を上げて老人を見やった。
「何故……黄駻は、憎まれる」
 大鴻は視線を落とした。
駱明らくめい殿の妻女を憶えておられましょうか」
 若くして死んだ駱明は父の従弟だ。憶えていない筈がない、その夫人は父の妹であった。父に良く似た顔立ちのその人を少年時代の赭牛は慕っていた。臈長けた姫君、とても繊細で美しい手の……彼女が病で儚く身罷った時は皆に惜しまれ、さすがの坤鳴も直ちに竜に与えることが出来なかった。
「黄駻様はその御子であり申す」
 では黄駻は弟ではなく従弟だというのか。赭牛の顔を見て大鴻は唇を噛み、更に低く言った。
「否。黄駻様は確かに御身の弟でもあり申す、赭牛様」
 若者が意味を理解して瞠目する。大鴻は静かに頭を下げた。
 あまりに近い血が交われば、それを啜った威霊は狂う。諸侯の嫡流が近親婚を避けるのはその為だ。仮に嫡流でなくても、同腹の女との間に子を為すことを禁じている氏族は多かった。
 あれは俺の子だ。妹が懐妊した時、坤鳴がややすてばちにそう自分に告げたのを大鴻は憶えている。駱明はそれを知って絶望し、間もなく戦死した。
 だから黄駻は契約をまだ終えないのか。
 大鴻は少年を見つめた。気のせいか、先程よりも光が弱まっているように思える。
 今この少年を斬り殺せば、竜はまだ狂わずに済むかもしれない。無我状態の少年は何の痛みもなく死ねることだろう……大鴻の手が震えた。黄駻も坤鳴も、彼がその手で鍛え上げたのだ。坤鳴もまた、如何に誤ちを重ねても誰もが憎むことの出来ない男であった。
 駱明が不貞の妻を殺さなかったのは、従兄を深く敬慕していたからだ。夫の死を知った妻は慚愧し、一年と経たずに病死した。この少年は駱明を死に追いやった彼らの罪の証だ。
 赭牛が何か呟いた。大鴻は頭を上げ、青年の唇の動きを読んだ。
「……しかし」
 さもなくば、軒轅氏は滅びるだろう。赭牛は唇の形だけでそう続けた。その双眸を見つめて老部将は深く頭を垂れた。
 
 
×    ×    ×
 
 
 いつ契約を終えたのか黄駻自身は覚えていなかった。朦朧とした意識が漸く明確になった時、彼は土牢の中に座らされていた。既に戦から四日経っていたこと、玫瑁氏の城が跡形もなく破壊されたことを彼は聞いた。
 手は格子の枷にかけられ、五指は曲げられないように布で巻き付けられている。血を流せば竜を呼べるからだ。
「何で今までおれを殺さなかったんだ」
 見張りを務めていた丹夷が経緯を話してくれた後、黄駻はぽつりとそう言った。
「何でって……お前は仮にも赭牛様の、いや、軒轅の実弟だ」
 丹夷はこの少年が何をしでかしたのかを知らない。軒轅氏の民は、赭牛の契約の儀式をこの少年が妨げようとしたと聞かされていた。日頃から陽気で悪戯者の子供であったが、それでは諸侯位を奪おうとしたも同然だ。神聖な儀式を邪魔されたのなら、長老がたが激怒なされても仕方ない……。
 自分の罪状を聞いても黄駻は眉一つ動かさず、丹夷にはそれが薄気味悪かった。よく笑い、ふざけ回ることの好きな黄駻であったが、思考に没頭している時の表情は子供らしさが失せ、何を考えているか読めなかった。今の黄駻は正にそれだ。
「ぬかずいてお詫びしてみたらどうだ。お前、悪気はなかったんだろう? 大鴻様がきっと取りなして下さる」
 少年は鼻で笑った。
「だったらとっくにここに来てるさ。兄上も大鴻も、何も言って来ないじゃないか。兄上はあの場でおれに死ねと言ったんだぞ」
「まさか!」
 丹夷は憤った。あの温厚な赭牛がそんなことを命じる筈がない。この豎子は嘘をついているのだ。途端に黄駻の沈着さがまるで老虎の狡猾さのように思え始めた。
「おい」
 丹夷の顔をじろりと見上げて黄駻は言った。
「猿轡はいいのか? 舌を噛めるよ」
 五指の布の意味に気づかなかった青年はいまいましげに黄駻を睨んだ。
「そうしたら軒轅がわざわざ命じる手間が省けるというものだ。やりたければそうしろ」
 黄駻はそうしなかった。舌の端をちょっと噛み切ればいつでも竜を呼べる。ほんの一瞬だ。この城を瓦礫の山に変えることも、ただ兄や長老どもだけを殺すことも。
 
 
 
 

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