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6.(end)
バグベアー
自暴自棄めいた叫びを上げた一人が撃ち尽くしたショットガンを放り出し、腰のベルトから大型のアーミーナイフを引き抜いた。たとえ骨でも簡単に切断できる肉厚の刃だ。この距離では銃は使えないし、ナイフなら使い慣れている。
アヤは身構えもせず、逃げようともせずにその場に立っている。少年はナイフを握り、殴りつけるかのようにその腕に突き刺した。
異様な感触が少年の腕を伝わった。それが人間の腕ではなく堅い壁であったかのように腕が痺れている。少年は深々と埋まった刃を見つめた。ほぼ貫通している筈なのだ。
「あ」
声を上げたのはアヤだった。
「痛い」
間の抜けた声だ。取り囲んでいた少年達は一瞬度肝を抜かれ、ややあって痙攣のような笑いを洩らした。血は袖に僅かに滲んでいるだけのようだが、幸運にも太い血管を避けたのだろう。初めて血を流した獲物に彼らのためらいは消し飛んでしまった。
ナイフを突き立てた少年が先程の違和感も忘れてにやりと笑い、ナイフを捻りながら抜いた。続いて今度は横薙ぎに切りつける。アヤは身を退いてその攻撃を躱した。
「何逃げてんだよ、あのオンナがどうなってもいいのか?」
罵声を浴びてアヤはきょとんと目を丸くした。
「え? オレ黙って切られてなきゃ駄目だったの?」
「ばぁか」
ジンが唾を吐き捨てた。
「抵抗しねえのを痛めつけて何が楽しいんだよ、ひよっ子達。だっからてめえらみてぇのはただの使いっ走りで終わるんだぜ? オトナになんなよ」
最後の一句を殊更に優しく言って、子供は猫のように笑った。
「鬼ごっこしようとカゴメカゴメしようと勝手だけどなぁ、俺が退屈したら一人ずつ撃つぜ。独創性見せてくれよ、お前らの誰も面白いこと出来なかったらその天使ちゃんが勝ちってことだ」
嘲哢されてさすがに憤激しかけた少年達がその言葉に凍りついた。もはや誰が獲物であるか判らないではないか。
「汚ねぇぞ……」
「ハンデだろハンデ。そっち一人なんだから」
「三人集まれば文殊の知恵って言うもんね」
「何訳わかんねえこと言ってんだよ、このガキが!」
少年の一人がアヤの背を蹴りつけ、目を丸くした。何を蹴ったのか判らなかったのだ。
「ボディアーマーか?」
その声に先程のナイフの少年も納得したように声を上げた。
「そうじゃないけど」
アヤは袖の穴を調べてみる。繊維はうまい具合に断たれているが、出血の度合は頭では理解できても表現するのが難しい。それに、先程は忘れていたが、王則が厳めしい顔で命じたではないか……身を守れと。
アヤは彼の気遣いが嬉しくなり、ふっと笑った。刃物による痛みが少なくとも皮膚の表面では感じることが出来たのは新たな発見だ。点滴や注射を繰り返されていたのだから痛覚のデータがあるのは当たり前なのだ。尤も、切開手術は受けたことがあったとしても麻酔をかけられていただろうから、それ以上の痛みは解らない。
「新たな自己発見もしたいけど、王則に言われてるしね」
その笑顔に正面の少年が嘲笑を浴びせた。
「今のうちに余裕こいてろ、野郎」
「あのさあ、一つ提案あるけど?」
ふと思いついてアヤは指を立ててみせた。
「ジンに撃たれないうちに外に出してあげようか? もう王則とかその友達にちょっかい出さないなら」
大真面目な提案だったのだが、相手はそう受け取らなかったらしい。不明瞭な罵声と共に四人が一度に襲いかかってきた。
アヤは考え込むような表情のまま脚を振り上げた。先程見た王則の一蹴と同じ角度、同じ衝撃力でまず三人を蹴り飛ばす。床にその脚を下ろつつ身を屈め、背後の攻撃を躱しざまに反動を利用してもう片足で蹴り上げる。四人の少年達は脳裏のシミュレート通りに吹っ飛んだ。
アヤは満足そうににこりと笑った。王則の攻撃法をそのまま用いると背後が些か疎かになるのだが、重心移動と関節の動きを計算に入れて応用すればバリエーションはかなり多彩になる。人間の身体は使えば使うほど面白いものだ。
「でもどうせならスポーツとかに挑戦してみたいな」
「これも一種のスポーツだぜ、天使ちゃん」
一瞬ジンの存在を失念していたことにアヤは驚いた。向こうにはまだ人質がいるのだ。
「慢心してました」
「キミノリにあってあんたにないもの教えてやろうか?」
「色々あると思うけど……何?」
「可愛げ」
アヤは瞠目し、感心した。
「それは気づかなかった」
「あんた兄ちゃんのコピーみたいなことやるのは上手いけど、全然つまんねぇんだよ」
ジンはアヤを見据えたまま傍らの少年に手を差し出した。レトロな基盤に似せたアクセをずらりと埋め込んだ腕が一昔前のロボットのようなぎこちなさで動き、銃を手渡す。
「痛覚ねえの? それ義手?」
「違うけど。ねえ、ジンがそれ撃ったら肩壊れちゃうよ」
「かもな」
子供は横たわっているケイの頬を殴りつけ、反応を確かめた。彼女が昏睡に陥っていないことは知っていたのだ。
「選ばせてやるよ、ふわふわ頭。あいつを撃ち殺せば開放してやる」
彼は口笛でファンファーレを奏でた。
「警察に通報しようと全部忘れようと自由だ。第三の選択肢として鱗のタトゥー彫るってのもあるぜ」
ケイは痣だらけの顔で彼を見上げ、暫く眺めてから両手を差し出した。白い華奢な手の爪が一つだけ折れている。ジンは微笑したまま注意深く銃を握らせ、傍らの部下に命じて半身を起こさせてやった。
ケイは一人ぽつんと立っているアヤを腫れた目蓋の下から見やった。床に倒れている少年達の身体は薄暗い影となり、流れている血が赤錆のように見える。無防備に立っている少年はゴーギャンの絵の前にいた時と同じ姿勢だった。
その表情をケイは見つめる。
「……レンブラントだったんだね」
ぽつりと彼女は呟いた。
「え?」
「スーラかとも思ったけど。全然外れ。あんたもやっぱり光が似合う」
沈鬱な静寂と暗闇が支配する中、ただ彼だけが。
ケイは微笑した。その腕には重そうに見える銃をゆっくりと構え、狙いを定めた。
× × ×
彼女はまだ塗装の為されていない柱の一つにもたれ、まるで居眠りしているように見えた。長い藍色の髪が所々固まり、顔に貼りついている。身体の下には血や甘い匂いの液体が溜まり、黒く染まったロングスカートもジャケットもずたずたに切り裂かれている。
やや離れた場所にある、組み上げられたまま放置されている足場の上にもう一人が寝そべっている。幾つものジュース・パックやファストフードの包装パックらしきものが足場の下に散乱しており、澱んだ空気の中に食物の匂いが漂っている。
しかし、猫のように二人に近づいていく彼にはその匂いは解らない。暗がりの中でも僅かに光を帯びた目でその光景を見て取ったのだ。彼は足場の上に注意を向けながら血溜まりの中の女に近寄った。
縛られてはいなかった。傾いた顎も血みどろだが、肩がゆっくりと動いている。呼吸は規則正しいようだ。それを見て取ると彼はゆっくりと立ち上がり、足場へと歩み寄っていった。
眠っているらしい。メッシュ・セーターの下の皮膚が魚の腹のように青白い。
不意に轟音が響いた。ムカの衣服を着けた少女がけたたましく笑いながらヘアピースをもぎ取り、勢い良く立ち上がった。
「何でお目覚めのキスしてくんないの、王子サマ。思わず撃っちゃったじゃない!」
王則のふくらはぎの辺りが丸く焦げている。弾は彼の脚を貫通したらしく、足場のプログラムにめり込んでスパークしている。
彼は一瞬よろけ、足場を背にして片脚で振り返った。白い顔には表情が殆ど浮かんでいない。ティーは銃を構えたまま喉の奥から声を出して笑った。
「あんたの顔見てるとホント、ぞくぞくしちゃう。そんなおばさんが趣味なわけ? ボランティアだったら……」
彼女はふと言葉を切った。
激痛を堪えている筈の王則がにこりと笑ったのだ。ひどく無邪気な子供のように。
「はずれ」
彼は悪戯っぽく笑った。
「……何だって?」
ティーは口を開けた。
王則の姿をしたその少年は撃たれた脚をちょっと持ち上げて調べ、丸い焦げ跡に指を差し込んでみてから埃を落とすように叩いた。……焦げ跡が消えてしまった。
「だって体型全然違うでしょ、ムカさんの方が背高いし。似たような背格好の人だったら判んなかったけど」
ティーは鼻の頭に皺を寄せて銃を撃った。続けて三発。二発目までは足場やその向こうの壁に命中したが、その少年のほぼ眉間を狙った筈の三発目は跳弾の音がしなかった。
王則の姿で少年は眉を顰める。
「オレのことは素通りするけどムカさんに当たると困るんだよね」
「ざけんなよっ、バァカ! 何なんだよ、お前っ!」
ティーは得体の知れない恐怖と怒りで悲鳴めいた声を上げた。
「うーん……幽霊みたいなものかなぁ」
彼は首を傾げた。
「おとーさんもまだ研究してない範疇だし」
テイーは唇を引き攣らせながら手探りで背後の柱を見つけ、悠然としている少年の隙を窺って柱の陰に隠れた。
「ねえ、アナタ何でジンが王則に執心するのか知ってる? 教えて欲しいんだけど」
「うるさい、うるさい、うるさいっ!」
喚きながらティーは逃げ出した。王則の声で喋る化物が恐ろしかった。もしかしたら本当に王則なのかもしれないが、どちらにせよ相手にしたくなかった。
彼女の悲鳴がまだ反響している。
アヤは吐息して足場の上にふわりと飛び乗り、長々と横たわっているムカの上に身を屈めてその呼吸を確かめた。夥しい血を流したのが彼女であることは容易に知れた。ぞんざいに止血してあるが、顔色は青白い。
轟音によって意識が戻ったのか、彼女はうっすらと目を開けてアヤを見上げ、微かに微笑んだ。
アヤは困惑する。自分がこの姿を取っているのが間違いだと気づいて、彼は元のデータに戻した。たった今もコンコースで交戦しているあの姿でもなく、一番最初から記憶していた十五歳の少年の姿に。
ムカの表情は変わらなかった。見えていないわけではないようだが。
「王則じゃなくてごめんなさい」
そう呟くと、彼女は小さく息を吐いた。宥めるように笑ったように見えた。
「……間違……け…い、しょ」
吐息だけでそう呟いて、ムカは腕を上げようとした。見下ろしている少年が泣きそうな表情であるのは殆ど見えなくても判った。
彼女は微笑んだまま満足そうに目を閉じた。
脈拍も呼吸も安定しているがひどく弱々しい。最も近いエレベーターに運ぶよりも早く地上に出して手当を受けるには……。
アヤは顔をまだ歪めたまま上を見上げた。
ふわりと二人の身体が浮かび上がり、そのまま上昇し続ける。無骨な構造層が露出したままの天井に緑色の光が灯り、瞬時に長方形に化した。
二人の姿が光の中に消えていく。
× × ×
ケイが引金にかけた指に力を込めるのと、三人の頭上から飛び降りてきた王則がその銃を蹴り飛ばすのは同時だった。銃は隔壁操作盤に当たって跳ね返り、床の上を滑ってハイブリッド・ファッションの少年の足元へと転がる。少年がそれをひったくり、王則に狙いを定めた。
「止せ!」
叫んだのはジンだったが、間に合わなかった。引金を引いた瞬間にその《羊》の腕と共に銃が破裂する。グロテスクな長身が反動で倒れ、喧しい衝撃音がこだました。
咄嗟にケイの上に身を伏せた王則が再びジンに向き直る。子供はすぐ間近の椅子に座ったまま唇の片端だけで笑った。腕はだらりと両脇に垂れたままだ。
「どんな手品だよ、マシュマロちゃん」
ぐったりと倒れたまま目だけをジンに向けて彼女はにやりと笑った。
「びいだま」
拉致された時にガラス玉の一つが彼女の胸の谷間に落ちて挟まったままであったことを、身体検査したティーも気づかなかったらしい。ちょうど銃口に入る大きさであったのは運としか言いようがない。
ジンは鼻で笑った。銃が暴発した時に破片を受けたのだろう、腕から血が滴っている。
「あーあ、面白かった」
彼は快活に呟き、自分を見据えている王則を見返してにやりと笑った。
「兄ちゃんの勝ちとは言いがたいけど、俺の負けは確かだな」
王則は拳を握りしめる。
一旦上の階まで戻り、別のゲートから入った点検室の床を一部書き替えて強引にコンコースに至る道を作った。その間にムカを救出したとの報告をアヤから受けた。でなければこれほど冷静でいられる筈がない。
歩み寄ってきたアヤがケイの背を支えてそっと起こしてやりながら王則を見守っている。
「誰に依頼された?」
声を抑えながら王則は尋ねた。
ジンは面白そうに暫くその顔を眺めてから口を開いた。
「兄ちゃん短気だからなぁ、どうせまた潰しに行くつもりなんだろ。奴の冥福を祈っとくぜ」
彼の腕から滴る血は小さな血溜まりとなっている。横の制御盤は手荒く配線を直され、剥き出しのまま火花を上げている。
「ドゥイ」
「……誰だ」
「コントンのチンピラ。あんたは知らなくて当然だろうな」
「何でそんな奴が?」
「キミノリじゃないって」
「……何?」
「回りから痛めつけんのがセオリーだろ?」
ジンは濡れた指先を漸く持ち上げて王則の肩越しにアヤを指した。
「そこにいる天使だよ、ターゲットは」
アヤは瞬きした。思わず王則と顔を見合わせ、ジンのにやにやと笑う顔を見直して当惑する。
「ドゥイって人、誰?」
「血をわけた俺の大事なお兄サマ」
芝居がかった口調で彼は答えた。
「あんたに家ごと消されかけて吹っ飛んで、のびてたところをガキ共に襲撃された。日頃の行ないが悪い奴だったからなぁ、蹴られ殴られめっちゃくちゃに刺されて。最期に言い残したのがその天使への恨み」
アヤは愕然として彼を見つめる。一拍置いてジンは吹き出した。
「嘘だって、奴はぴんぴんしてる。前より少しは男前になってたぜ」
「お前……」
王則が身動きしかけたが、握りしめた拳を振るうことは出来なかった。ジンは無事な方の肩をすくめてみせる。
「それよりキミノリの守護天使、あんたケツの穴大丈夫だった? ドゥイは泣き喚くガキに見境なく欲情する変態だぜ? 弟の俺まで四つの時から便所代わりに使われてたんだ」
王則の表情を一瞥したジンは再び爆笑した。
「うっそだって! ホント飽きねぇな、キミノリって」
王則は歯がみした挙句、手近な壁を蹴り飛ばした。さすがにシャトルが衝突しても衝撃をほぼ吸収してしまうだけあって、壁はびくともしない。
ジンは笑いを納めて頭を振った。
「壁に当たるなよ」
「お前の脳漿なんか見たくもない!」
「兄ちゃんみてえのは《シェル》の奇跡だね、保証するよ。この街ナンバーワンの大馬鹿」
彼は急に疲れたように見えた。
「殺さなきゃあんたの手は汚れないと思ってるわけ? 可愛いねぇキミノリは……」
「そんなんじゃねぇよ」
「あんたのオンナ達は納得すんの?」
王則は唇を噛んだままケイを振り返った。安心したのか、彼女は口を開けたまま意識を失っている。まるで巨大な抱き人形を抱えるように支えているアヤが当惑顔で王則を見ていた。
「王則、手当しないとジンも危ないんだけど」
「やめとけよ。俺はキミノリ気に入ったからまたからかいたくなるぜ、それが嫌ならここでちゃんと潰せよ」
子供は四十代の男にこそ相応しい表情で目を細めた。
「親切で言ってんだぜ、兄ちゃん。手を汚すことを憶えてオトナになりな」
「阿呆」
王則は眉をぴくりと動かして吐き捨てた。
「ガキで結構! お前なんぞに誉められてたまるか」
彼はパーカの内ポケットから応急手当キットを取り出し、一応まだ用心しながらジンの上膊を探って止血した。
「あのさぁ、王則。オレ一つ思いついたんだけど」
「あ?」
声が荒っぽい。アヤは叱られたように首をすくめておずおずと言った。
「ジンが見つけやすかったのって、この人のエーテリオン放出値がかなり目立ったからなんだけど」
王則は無言で先を促す。
「被験用基準値を特Aでクリアしてる。ジンがおとーさんとこにいれば王則達にも手出し出来ないし、おとーさんも喜ぶんじゃないかなぁ」
王則はアヤが困惑するほど長い間彼を見つめてから深く吐息した。
「お前って結構酷い……」
「え? 駄目かな、でもこんな荒んだことしてるより王則みたいにちゃんと教育受けた方がいいと思うけど」
「教育制度の回し者か、お前」
「お優しくて涙が出るね! ふざけんなよ、畜生。いい子ちゃんの発想には反吐が出る」
王則とジンの同時の叫びにケイが低く唸って身動きしたが、目を覚ますには至らなかった。
二人の反応を見るようにアヤが首を傾げる。
「ドゥイって人のことはオレの責任だからオレが何とかするから」
「それはともかく」
王則はジンを見据えて頷いた。
「毒を以て毒を制すの素晴らしい見本だ。あのサド爺いが役に立つとは思わなかった。あそこのセキュリティは馬鹿高いしな」
ジンは警戒するように彼らを睨んでいる。
「後悔するぞ」
「もうしてる……何であいつを喜ばせなきゃならないんだ」
むっつりと呟いてから王則は立ち上がった。
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アヤの姿が見えないことに王則が気づいたのは、手術を終えたムカを連れて自宅に戻った頃だった。仕掛けられていたトラップを解除し、室内を完全に点検し終え、隠しておいたターミナル一式を立ち上げるまでにかなりの時間を要したのだが、クリニックに戻ってもムカの手術はまだ終わっていなかった。
「あんたがこんなにきれいに大掃除出来るとは思ってなかったわ」
どことなく片づいた室内を眺めてムカは微笑んだ。顔面整形の固定テープの色をペールラベンダーに指定したのはおそらく彼女自身だろう。間に合わせに買ってきたバーガンディカラーのたっぷりとしたワンピースドレスを着て椅子にゆったりと座ったところは、長時間の手術と大量輸血を済ませたばかりの怪我人には見えない。
「あんたのセンスもね。このドレープ素敵」
「……慌ててたから、あんまり考えてなかった」
腕や脚のテープが見えないように、すっぽりと身体を覆うものをとばかり考えていたのである。王則は顔を赤らめた。深みのある赤は、もしかすると血の色を連想させかねなかったかもしれない。
ムカは機嫌よく彼の頬を軽くつついた。
「元気の出る色よ」
──べそべそ泣いたり謝ったりする男は好きじゃないの、行動で示せばいいんだから。
彼女はクリニックの廊下でぴしゃりとそう言った。そういうのはあたしと別れる時までとっておくことね……。
「……痛みは?」
「麻酔効いててハイなくらい。あ、もしかしてさっきケイが着てたのもあんたが選んだやつ?」
ケイの方は顔の打撲以外は怪我もなく、念の為に胃洗浄を受けてから中和剤を打たれてすぐに帰宅を許されたのだ。とはいえ服は血に染まり、目蓋や唇の腫れは王則が不安を覚えたほど酷かった。
目を覚ましたムカが真っ先に尋ねたのがケイの安否だったことを王則は思い出す。
「散々文句言われた」
「そりゃいつもとあれだけイメージ違えばね。可愛かったけど」
ムカは宙を睨んで悪戯っぽく唸り、頷いた。
「ま、いいか」
「……いいかって、何?」
「いいの。ところであんたの片割れは? あたしお礼も言ってないんだけど」
先程から王則もそれが気に懸かっていた。事後処理をケッチやリジが引き受けてくれたので、彼はケイやジンを連れてムカの収容されたクリニックへとまっすぐ向かった。ジンの怪我の応急手当はすぐに済んだらしいが、王則が気づかないうちにアヤは伝言もなしにジンと共に消えていたのである……言付けるという発想がなかったのかもしれないが。
さっさとELに連れていったのかもしれない。性急なように思えるがアヤは多少ずれているし、白江を嫌っている王則を慮ったのかもしれない(あの男の顔を見たくないのは事実だが、だからといってアヤ一人に押しつけるような真似が出来るか!)。ムカの手術が終わるまで苛々としていた自分には声をかける隙もなかったかもしれない。
だが、そうだろうか? ジンが何か策略を用いたのか? アヤは精神的には十五歳の少年でしかなく、しかも外界についてろくに知らずにELの中だけで生きていた。この一カ月足らずで彼が引き起こした混乱を見れば、日常生活についてアヤがほぼ無知であるのは一目瞭然だ。年下といっても狡猾なあの子供にまんまと騙されたのではないだろうか?
「大丈夫だよ……あいつは」
自分をも納得させていない声で彼は呟いた。
ムカが眉を寄せる。
「半べそかいたみたいな声で言わないでよ。嘘つくなら完璧につきなさい」
「……ごめん」
「あたしはもう大丈夫だから。探してみたら」
王則は彼女を見下ろし、そっと無事な方の頬に触れてからターミナルシートに座った。
真っ先にコールしたのはEL。だが幼少の頃から顔見知りの警備主任は、それらしい二人連れの来た形跡はないと答えた。念の為に雲にも問い合わせたがこちらは通話できず、やむを得ず伝言を残しておいた。
続いて画面に現れたのはケッチだ。
『おうキミノリ、こっちは大体片づいた。この貸しは高いぜぇ?』
「解ってる……ケッチ、そっちでアヤ見なかったか?」
『へ? 今度はマーリンが行方不明なのか、キング・アーサー』
「ジンも一緒だと思う」
ケッチの表情が一転した。
『おいおい、洒落にならん……見てない。探させるか?』
「頼む」
『お前はギネヴィアのお守りしてろ、ジンがまた妙な気起こすとも限らねぇからな』
釘を差されて憮然としつつ王則はリジを呼び出した。彼は誰かと会話していたらしく、画面に向かって手を挙げてみせた。
『あ、ちょうど本人がアクセスしてきたヨ。どうする?』
『……るか、そんなの。関係ねえよ俺』
鼻を潰されているのか、聞き覚えのないくぐもった声が吐き捨てる。
「リジ?」
『ハイ。この子は《羊》の一人。残党って言った方がいいかな? 主要メンバー全員病院送りだもんね、ジンが潰されたのはもう裏ネットで流れてるヨ。あちこちで残党狩りやってる』
『俺はそんな話知らなかったって!』
王則は吐息した。
「……リジ、ジンが行きそうな場所知らないか? アヤと一緒にいなくなったんだ」
リジは表情一つ変えず、王則の問いかけの後も何度か頷いてみせた。傍にいる《羊》へのパフォーマンスであることは、何度かの経験で王則も知っている。
『《羊》を徹底的にシメたいわけね? こっちもツケ返ってこないと困るし、いいよ、手を組みましょ。ヤサの幾つかは知ってるけど、この子に協力してもらえれば助かるヨ』
『するする、何でもする! だから見逃してくれ、俺そんなヤバいチームだと思ってなかったんだ。ついこの前入ったばっかりなんだ、信じてくれ!』
暴力を揮わない型のリジが彼らしいやり方で《羊》を締め上げている様子を見守るうちに、王則はふと思いついた。
「ティーの行きそうなところも。そいつ本当に新米なら知らないかな?」
『オッケ。大丈夫、この子物分かりいいヨ』
数分後、開放した《羊》を見送ってからリジは声をひそめて言った。
『ジンが野放しになってるかどうかで全然違うヨ。株と同じ。まだ伏せといた方がいい』
営業の時も友人との会話でも全く口調が変わらないのはリジらしい。
「ケッチにはもう流したけど」
『探すのはアヤ。でもあの子見つけるのはプロでもムズカシイ』
「……うん」
『心配ないと思うけど探してみるヨ。ムカ姐によろしく』
通話を切って王則は途方に暮れた顔でムカを見やった。夕日に照らされた彼女の顔は疲労の為にひどく老けてみえた。
「……ムカは寝て」
負傷し、衰弱している彼女にすら気遣われている。王則は唇を噛んで彼女をベッドへと運んだ。
「ドレス皺になっちゃうわね」
「……馴染んできたっていうんだろ?」
ムカは微笑んだ。そして漸く安堵したように眠りに落ちた。
× × ×
《黒き羊達》が瓦解すると、数時間のうちにラビッシュの勢力区域は大きく塗り替えられてしまったらしい。まだ暫くは衝突や奇襲が続くだろうが、今度は少年達の暴力集団だけの争いにはならない。ヤクザの一つが動き始めていると裏ネットでは流れている。
「何で今までは乗り込んで来なかったの?」
アヤはしきりに首を捻っている。
「オレ、ヤクザとかに関しても殆ど無知なんだよな。知らないことだらけだと気になってしょうがないね」
「あんたがそう首突っ込んで回るからキミノリが痛い目見るんだぜ? 解ってんのかよ、間抜け」
「リジ達に聞くだけでも駄目?」
馬鹿らしくなったらしく、ジンはサイドシートにふんぞり返ってのっぺりと広い空を見上げている。
高速浮遊車を利用するのはよほど厳重に警備されているか、単に特権を使いたがる階級の人々ばかりだ。シャトル路線が縦横無尽に広がっている《シェル》にはそもそも浮遊車は必要ない。むしろシャトルを利用する方が速いし事故も少ない。しかし、人目につかないように移動するには浮遊車の方が適している。アヤとジンはどちらも操縦免許を得られる年齢に達していないが、操縦者チェッカーはすんなりと二人を通してくれた。
「オレこの高さ好きなんだ。レトリーバーにあんまり煩わされずに済むし」
アヤはジンの真似をしてシートを倒し、仰向けになってみた。
「そっか、逆さまに見下ろすと空が遙か下みたいだね。落ちていったら気持ちいいかも。あ、まるでホントに自殺志願者みたい」
「落ちたいなら一人で落ちろ」
「人間って解り辛いよねぇ」
無防備に喉を晒しているアヤをジンは横目で見やった。王則に一旦没収されたナイフは今ジンのベストの裏に収まっている。アヤが返してくれたのだ。
「おとーさんもジンもマイナスにしかならないと知ってることやるの何故かな。儀賀も破滅的だな、歌にすると解りやすいよね」
「《ジャアル》のギガ? あんたファンなわけ?」
「うん。あの人喜怒哀楽も言葉も少ないからいい勉強になった。まだあんまり解らないけど。精神医学って一番発達が遅いんだよね……リンクしても現実的にはあんまり役立たないような気がする。オレ進歩してないな、データは増えてるけど、解析出来ないんじゃただしまっておくだけだもんね」
「頭でっかちの天使ちゃんに悟り開けるなら、俺なんかとっくに信者集めて大儲けしてる」
「そうかなぁ、ジンって飽きるの早そう」
「あんたにお見通しってことは俺の頭はあんた以下かい」
「ごめんね、そっか、オレすぐ慢心しちゃうんだ」
ジンは憮然とした。アヤと会話などするつもりはなかったのだが、うっかり口を聞いてしまった。
「オレ幾つかまだ分かんないことあるんだけど訊いていい?」
無視するつもりの子供にお構いなしに、アヤは首を捻っている。
「ケイの下の床に埋めてたの何? あれ使わなかったでしょ」
思わずジンは視線を向けた。
「床の下あそこだけ見えなかったから外の製品でしょ? 小さいし、爆発物かな」
「ネオ・クレイモア。人一人がちょうど挽肉になる」
上のフックはスイッチ一つで墜落するようになっている。人質の少女を救おうとする王則がもしそれを避けられたとしても、まさか下に仕掛けてあるトラップには気づくまい。
その後にも使う機会は幾らでもあった。王則はケイを庇ってその場所から動かなかったのだから。
「対人用地雷なんて博物館の中にしかないと思ってた」
「使う奴がいるから作るんだろ」
暫く間が空いた。浮遊車が自動制御になっていないことをジンは知っていたが、広々とした空を眺めていると一瞬後に衝突しようと構わないような気がした。
「リベンジだったら俺は必要ねえだろ。それともお兄サマの最期を見せたいのか?」
停止する間際にジンが尋ねる。
「客観的に考えるとドゥイの報復は逆恨みだと思うんだ。オレ撃たれたし、売り飛ばされかけたし」
考え込みながらアヤはジンの側の安全フィールドを解除してやり、車道に下りて浮遊車を非実体に戻した。
「勉強にはなったけど」
「授業料で差し引きゼロだ」
「だからドゥイの報復は余計な分でしょ?」
コントン方面に下りるエレベータは破壊されていたので、アヤは都市部のそれのプラグラムを複写し、そこに実体化させた。管理局の前にある最新型だ。ジンはプログラムには興味がないのか、両手をポケットに突っ込んだままアヤの後ろから乗り込んだ。
「足し算得意だな。それでまたゼロにする気で出向いてきたってわけか」
「でもそうしたらきりがないよねぇ」
彼の声が沈んできた。
「別に構わねえだろ」
扉が開き、乾いた土が風に吹かれて飛び込んできた。
「あいつにはもう力はない。あんたが固めてオブジェにしたって誰も気に止めねえよ。身の程も知らずに逆恨みする馬鹿が悪い」
「……ジンは気に止めるでしょ」
その途端に子供は彼の脚を蹴りつけ、大声で嘲笑った。
「あんなクソッタレなんかさっさと死んじまえばいい! お袋がくびり殺すのに失敗したせいで俺がツケ払わされるんだぜ? 昔ちゃんと刺してやりゃ良かった、たった六歳のガキを怖がってたカスはいつまでたってもカスのまんまなんだよ! あの野郎……俺の名前利用することしか能のねえクズ」
蔑みきった口調で吐き捨てる。
「俺が引き受けてやったのは俺の面子の為だ、あんたんとこみたいなベッタベタの麗しい兄弟愛なんて鳥肌が立つね」
アヤは目を伏せた。
「……でもジンはすごく悲しんでるよね」
不意にナイフが一閃した。アヤのシャツの胸が横に裂けた。
「ふざけんなよ、カマ野郎」
「プライバシーの侵害だと思うんだけど……エーテリオンの強弱伝わってくるから」
「レトリーバーと一緒に犬の尻尾やってろ」
「それもいいかもね」
アヤは途方に暮れた顔で彼を見つめた。ジンが思わず腕を下ろした。
ひどく奇妙な表情だった。今まで見たこともない何かと向き合っていることにジンは気づいた。
「オレ何の為にいるのかなぁって思ってたんだ。何であるか、じゃない。オレ以前何考えてたんだろう」
ジンはぴくりと唇を痙攣させた。
「何いきなりダークになってんだ? 死んでみろよ、そしたら解るだろ」
「……わかんなかった」
ジンは暫く訝しげに彼を見上げていたが、やがてナイフをケースにしまい込んだ。
「何度でも死ね」
「死の感覚は多分憶えているんだ。だから俺、あそこに戻るの嫌だったんだと思う」
彼はELの方角を振り返った。
「でも今のオレは全活動を停止させることも出来ない。ジンだって目を閉じることは出来ても意志の力で心臓止めることは出来ないでしょ?」
「うるせえよ、訳判んねぇ御託ばっかり並べやがって。あんたの泣き言なんて聞きたくねえ」
ジンは唾を吐いた。
「だったら死ぬのやめてあんたの得意なデータ集めでもし続けりゃいいだろ、誰にも迷惑かけずに見えないとこでな! ネットワークの一部になっちまった方がお似合いだぜ、天使ちゃん」
「そうだね……」
「胸クソ悪ィ。何が不満なのかこっちが聞きたいよ。薬切れで欝になってんのか?」
子供がエレベータの扉を蹴り飛ばすのをアヤは暫く眺めていた。
そろそろ日が沈もうとしている。
「……ドゥイの件を片づけたら考えるよ」
アヤはぽつりと言い、歩き出した。
× × ×
夜が更けてから雲と連絡が着いた。
『王則? どういうことだ?』
帰宅して間もないらしく雲はジャケットを羽織ったままだ。
『お前、遂と……』
「会ったんだよ。ついでに言うと、この前あんたがあいつと再会した時に俺もELにいたんだ」
憔悴した目で王則は画面を睨みつけた。目に力を込めていなければ眠り込んでしまいそうだ。
『……知らなかった』
「……それはどうでもいい。あいつ白江の元に出向いてないか?」
『今日は来ていない筈だ。学会での発表のことで第二会議室に籠もっていた』
「そう……」
回転がひどく鈍い頭を軽く叩いて王則は息を吐き出した。扉をぶち破った反動かもしれない。
『しかし王則、あれは一体? どうしてお前と行動を共にしているんだ?』
「白江に聞けよ。あんただって理論では理解出来ることなんだろ」
王則は雲の顔を見据えた。
「良かったな」
画面の男は完全に表情を失って彼を見つめていた。王則の方が先に目をそらした。
「知らないならいい」
『王則』
「白江のとこに俺の新しいデータたっぷりあるから好きにしろよ、あれ食い破るまではあんた達が何しようと勝手だもんな……あんまりおとなしいモルモットじゃなくて悪かったな」
『王則』
静かだが強い声に彼は口を閉じた。
『何があった? ひどく疲労しているようだが……怪我をしているんじゃないのか?』
「あんたに関係ないって言ってる」
『……私はお前の父親だ』
横を向いた拍子に眠っていた筈のムカと視線が合った。彼女はひどく静かな顔でこちらを見ていた。
音声を遮断するのを忘れていた。
『お前は私のたった一人の息子だ。王則』
家を出る日にもそう言った。もっと悲痛で訴えるような声だった。
『……どうしたんだ?』
声はあまりにも柔らかだった。記憶にあるそれと全く同じ、しかし今では微かな不安を帯びているように聞こえる声。
「こっちの顔色窺わないでくれ!」
叩きつけるように叫んで王則は通信を無理に打ち切り、額を押さえて熱い息を吐き出した。
ムカの存在を思い出した。
「……見るな」
殆ど声にならない声で彼は呻いた。まるで子供めいた酷い声だ。彼女は丸一日もの苦痛に耐えて尚、微笑んでみせる余裕があるというのに。
「……じゃあ、あたしの目を潰したら?」
ゆっくりとした呟きが耳に入った。
「見てるわよ。あんたが何したってどんな顔したって見ててやる」
物憂げに、まだ眠っているように彼女は言う。
「あたしは詮索好きなの、運が悪かったわね……でも目が離せないのよ。新しいキミを見る度にショックを受ける。あんた見る間に成長するんだもん……それとも元々そうだったのかしら。どっちも正しいかな」
白いシーツの上にまき散らした花弁のように、彼女は身動きせず天井を見つめたまま言う。
「男と暮らすのがちっとも怖くないなんて女はいないわよ。お互いにどんどん変わっていくんだから、ある日相手が見ず知らずの誰かになっちゃってることに気づいたらどうしようって……思うわよ。相手に嫌われたくはないけど……でも誰だって変わり続けるし」
朝日を身体一杯に漲らせて車道に佇む、あの少年。成長するものだと言った。
「今のあんたは好き。でもそのまま変わらなかったら、いつか飽きる。……だから先を見つめて歩いていっていいのよ」
彼女はふっと息を吐き出した。微笑んだようだった。
「あんたが歩こうとしなかったら肩を押してあげる」
× × ×
「え? いないの?」
「隠す義理なんてねえだろ別に、さっさと出せよ。弟の俺が言ってんだぜ」
異口異音の合唱に青年は肩をすくめてみせた。いつかドゥイと一緒にいた、あの金髪の青年だ。彼の方もアヤを見覚えていたらしく、態度は慎重だった。
「誰が隠すかよ。あいつ街を出てったんだ。《黒き羊達》が潰されたって聞いたから」
彼はジンをちらりと見た。
「あいつ外との繋ぎ役だったし、情報入るの早いだろ? 俺達が知った時にはもう」
「……ふーん」
無表情な顔とは裏腹に、ジンは爪先で扉を蹴りつけた。壊れかけていた縁の部分を無意識のように何度も蹴り、最後に踵で払った。
アヤは彼の爪先から視線を離す。
「逃げなくてもいいのに」
青年は金髪をちょっと掻き上げて壁にもたれかかった。
「……ちょうど良かったんだよ。あいつ昔ほど恰好良くなかったし、顔役に一度シメられたし」
「埋めりゃ良かったのに」
常と変わらぬ口振りで答えて、ジンはアヤを足の腹で払った。
「ここに根を生やしたいってのなら止めねぇけどな。それとも俺を開放してくれるわけ?」
「王則達に悪いことしない?」
「無理だな。兄ちゃん面白すぎる」
「じゃあ駄目」
別に期待していなかったらしく、子供は軽く舌打ちして帽子を目深に被り直した。
「……お前ジンと知り合いだったのか」
金髪の青年はしげしげとアヤを眺めた。
「何か随分イメージ違うけど」
「オレはジン好きなんだけど、嫌われてる」
ジンは咄嗟に罵声を浴びせることも出来ずにぎょっとしてアヤを見上げている。
「お前ら二人じゃなくて……前の時と。お前、まるっきり変だったから」
「今よりおかしいこいつなんて想像できねぇ」
「オレあの時酷いこと言ったんだよね」
「何か言ったっけ」
「ドゥイが死んだら損失になるのかって……そんなの当たり前だもんなぁ」
ジンが盛大に吐息し、彼の膝を蹴りつけた。
「プラスに決まってんだろ!」
何か言いかけたアヤを彼は怒鳴ることで止めさせた。
「俺はすっげー嬉しいけどな! そん時あんたがブッ殺していれば俺は今も楽しくやってたよ。役立たず」
彼はじろりと青年を睨み、扉を開きつつ言い捨てた。
「ラン。あいつが《シェル》に戻ったらすぐに裏ネットで流せ。奴が持ち込んだマガジンの半分はクズモンだったぞ」
「……は、そっちに流してたわけね」
金髪の青年は頭を振った。
「オッケ、その時はこっちも一枚噛ませてくれ。数足んなくてヤバかったんだ」
アヤは彼らの奇妙な提携に呆気に取られていたが、さっさと出ていくジンを追ってランの住処を後にした。
「いつ頃戻ってくるかな?」
「俺達が全員消えねぇ限り来るもんかよ」
「なんだ、じゃあ永久に無理っぽいね」
ほっとしていいのかどうか判らずにアヤは首を傾げた。
ふとジンが脚を止めてじろじろと彼を眺める。
「あいつが性懲りもなくまだキミノリつけ狙うんだったら、あんたどうした?」
「オレの責任だからオレが相手するけど」
「殺せんのかって訊いたんだ」
アヤは瞬きし、少し考えてからゆっくりと答えた。
「回避出来る方法があるならそっちにする」
「死んだ方がましな目ってのもあるからな?」
「だって王則嫌がってたし」
嫌そうに子供は顔を顰めた。
「キミノリは関係ねぇだろ、腰抜け。あいつが殺せって言えば殺すのかよ」
「……わかんない。理不尽だったらやらないと思う。人にはそれぞれおつとめがあるんだって植物園のおじさん言ってたよ」
「何でそこに刑務所が出てくるんだ」
「服役のことじゃなくて」
「ジョークだろ、ばぁか」
けれど王則は言わないよ、とアヤは付け足す。ジンは肩をすくめた。
「兄ちゃんだっていつか手を汚さなきゃなんなくなる時が来るぜ」
「それまでに新しい手段考えつくかもしれない」
「あんたの希望通りに世の中動くと思うなよ、その逆なら結構ビンゴばっかりだけどな」
「どんな?」
「うるせぇよ、間抜け。くだらねえこと考えてる暇あったらさっさとどっか連れてけ! 本気で俺をどうにかする気あんのか?」
いつの間にか車道に上がっていたのだ。
「あ、ごめんね。今車作るから……ジンって短気だね。王則と同じ」
「俺達のペースの方が常識的なんだよ」
優しげな声色で答えた後、ジンは不意におとなしくなった。サイドシートで脚を縮め、ゆっくりと動いていく遙か遠くの景色を眺めるその姿は歳相応の子供に見えた。
彼はこれからの自分の境遇について一言も尋ねようとしない。たかを括っているのか、希望などとうに放棄したのか。目の縁にどぎついメイクを施したその顔からは表情を読み取るのが難しかった。
「ティーに気をつけな」
「……オレねぇ、ムカさんにあんな怪我させたのがジンだったら、ジンのこと好きになれなかったかもしれない」
「上にいたのは俺じゃんよ」
「そうなんだけど……どうもその辺がぴんと来ないなぁ」
ぼやいてからアヤは微笑んだ。
「ありがと。オレたとえこの街のネットワークの一部になってても王則達に注意してるから、安心してて」
「……ばっかか?」
「よく言われるけど?」
「本気で受け取るなよ。あんたが妙な妄想に浸って姿晦ますのはいいけどな、そしたらキミノリどうすんだよ」
アヤは訝しげな顔をした。
「……今まで通りじゃない? 十七年間オレのこと知らなかったんだし」
ジンが不意に安全フィールドにナイフを突き立てた。特有の反動と共に警告音が鳴る。
「あっそ。あんたホントに何も考えてないんだな。今兄ちゃん多分血相変えてあんた探し回ってるぜ、何にも言わずに俺と二人で逃避行だもんな」
アヤは目を丸くした。
「何で? 今までいつもそうやってたけど」
ジンはさすがに一瞬何も言えず、飛び去っていく車道に苦々しい顔で唾を吐いた。
「あんたもしかしてすっげー冷たいのか? 天使ちゃん。都合のいい時だけ可愛い弟かよ、仕事って宣言してるだけ娼婦の方がましだぜ。最っ低だな。やっぱ騙される方が悪いってことか?」
「まさか。そんなつもり全然ないよ」
「へえ、全然そう見えねぇけどな。あんたキミノリより自分のやりたいこと優先してんじゃん。あんたの好き嫌いって言葉だけだろ、何も解ってないだろ」
「言葉じゃないよ。本能みたいなものだと思う」
「じゃああんたの本能ってプログラムなんだな。受信して切り替えてまた受信」彼はこめかみを押さえてみせる。「俗世をチョーエツしてんの当然か。人間のふりすんのやめれば?」
瞠目したアヤの双眸が異様なほど透明に見える。ジンは薄笑いを浮かべたまま、しかし鋭く彼を見つめている。
「ドゥイみてえなクズとあんたと、どっちを選ぶって訊かれたら俺はあの豚野郎を取るね。あいつは耳朶炙れば喚くし、弾かすらせればポプコーンみたいに飛び上がる。けどあんたは刺してもつまんね。貸し出しても返品される。あんたの手品なんてこの街じゃ全然珍しくねぇんだぜ?」
何か言おうとアヤが口を開きかける度に彼は語調を強め、不機嫌に畳みかけた。
「キミノリのコピーならコピーでもっと上手くやれよ、けどそんなの人工知能の方がずっと上手いだろ。あんた買うと何がおトクなんだ、高性能のジャック・ツール? 胸クソ悪ィんだよ」
腹立ち紛れに彼は睨みつけた。
「どっか消えろ」
その途端、アヤが消滅した。
1ØØØ
ケイの口元にはまだ痣が残っていたが、人工皮膚テープと化粧で殆ど目につかない。肌を露出する服ばかり好んでいる彼女が今日に限ってはまるで白兎のようなセーターを着込んでいるので王則は驚いた。
「……もしかして風邪引いたのか? あれで」
彼女は一瞬何とも言えない表情になったが、堪えきれずに爆笑した。
「一日転がされてただけで風邪ひいてたら、あたしとっくにくたばってるよ。うちの仕事場すっごい寒いの、手に汗かくと駄目だし」
彼女がそこまで笑う理由が王則には解らず、彼は暫く目を丸くしていた。
「これ駄目? 可愛くない? あたし着太りするし」
「……いいと思うけど。いつも寒そうに見えたから」
ケイは頬杖をついてにっこりと笑った。いつもは蠱惑的になるそのポーズも、今日の服装なら目のやり場に困らない。化粧も幾らか薄くしている。
彼女は表情を戻した。
「アヤってホントに見つかる気あるの?」
「……どういう意味?」
「あの子誰にも見えなくなれるもん」
こともなげにケイは言う。
「ジンって言葉だけでも人操れるじゃない? あのクソガキがでかい図体の奴らに指図してたの聞いてたもん、あたし。すっごい筋肉ダルマが苛められても耐えてんの……最初にめちゃくちゃにプライド潰されるとああなるんだよね。反抗する気もなくなるの、トラウマみたいな感じ」
「解る」
「そうかなぁ、キミノリ無縁っぽいけど」
彼女は頭を微かに揺すった。
「アヤってナイーブじゃない? ジンはそういうの壊すの、絶対好きだよ」
「けど俺にも何も言わずにって……」
王則の胸中の深い部分が不安に揺れた。
理由。ないことはない、アヤが知ったのだとしたら。
ケイは彼を暫く見つめてからオレンジジュースをきっちり一周だけかき回した。氷が鈍く音を立てる。
「……薬の反動とか大丈夫か?」
「全然。二つ目は歯の裏に貼りつけてたし。前は仕事中結構やってたから」
「だからケイの溶けてんのか……危ないな」
「ゲージュツだって」
言葉が途切れると王則の思考は再び戻り始めた。焦燥感ばかりが募る。だが今度は怒りではない。
「逃げちゃうのって卑怯」
ぽつりとケイが呟いた。
「人のこと言えるほど立派なことしてないけど。ねえキミノリ、あたし半分本気で撃つつもりだった」
王則は顔を上げた。何を言われたのか解らず、少しの間ケイを見やっていた。
窓の向こうの遙か下方は《ブロック・ストリート》、奇抜に着飾った人々が色砂のように流れている。
賑々しくも穏やかな日常……。
「後ろ向けて撃てたら良かったんだけど。ビー玉がころっと落ちたらそれでアウトだったじゃない? 落ちてたガムでくっつけただけだったし。でもそうすると絶対先に撃たれてたから。運が良ければ腕取っ替えだけで済んだし、暴発したらもしかしたらジンも巻き添えに出来ると思って……結構威力小さいんだ、あのグロい奴も結局助かったんでしょ?」
「無謀な女だな、お前は」
思わず呟いてから彼は俯いた。あの時彼女を確かに疑った。アヤが肉体的に決して傷つくことがないと知りつつも、ケイではなく銃口を向けられていた彼を優先した。その判断は間違っていなかったとは思うが……。
「うまく暴発しなくてもあの子は絶対大丈夫だと思ったんだよね、これ言い訳だけど。アヤに謝んなきゃ」
「……ごめん」
「何でそこで謝るの、とムカなら言うと思うけど、あたしそこまで人間出来てないから」
拗ねた口調で告げてからケイはふわりと笑う。
「たかーい貸しにしてあげる」
「……俺あの拉致の件でもまだお前に一言も謝ってなくて……」
「要らない!」
ケイは弾かれたように身を乗り出し、彼の唇の上で二本の人差指をクロスさせた。
「解んないかなぁ、キミノリだったらそうして欲しい? あんたのせいじゃないっていうのは当たり前だとして、めっちゃくちゃに犯られたとか絶対治らない身体にされたとかしても……謝って欲しくない相手っているでしょ? だってそれすっごい他人みたいじゃん」
真摯な目だった。
「……あたしは別にキミノリの恋人じゃないけど、淋しいじゃん。もしキミノリが真っ先に謝ってたら絶対許さなかった。こんな目に会わせた責任取れって、すっごい嫌なオンナやってたよ、きっと」
暫く彼らは黙り込んだ。ケイは執拗に氷をストローで追いかけていた。
やがて王則が口を開いた。
「謝るのが駄目な時は、どうすればいいと思う?」
ケイは眉を上げ、薄まったジュースを不味そうに飲み干してから答えた。
「何も。ふつーうにしてればいいと思うけど。完璧に忘れるのは無理だとしても……忘れて貰っても癪に触るけど。どうにかなるんじゃない?」
「……そう?」
「キミノリ別件で何かあるの?」