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今夜の番組チェック
Debugbear


1.
2.
3.
4.(END)
D.B.B.(Debugbear)
第一章
エーテリオン実験都市《シェル》のど真ん中を走る第一シャトル。俺は夜間照明装飾ってやつが好きなので、シャトル・レールが闇の中に浮かび上がる光景は見飽きない。だからレールがよく見下ろせるこの部屋を借りたんだけど、それが間違いだったみたい。
夏の風呂上がりに景色を眺めながらクラッシック・バドワイザーで一杯! とやりたいところだけど、残念ながら俺はビールが飲めない。だから濡れたまんまの頭を窓から出して、夜風にあったっていたんだけど……
いつもよりシャトルはゆっくり走っていた。地上三十メートルくらいかな、高速シャトルとは違うからのろのろ走るのは当たり前。でも今夜のはいくら何でも遅すぎる。俺だって走れば追いつく。
その後ろを馬鹿でかい犬がついて走っていた。
シャトルと同じくらいの大きさの茶色いやつ。舌を出してそれは嬉しそうに、シャトルの速度にあわせて走っている。耳と尾は見当たらなくて、その辺りには陽炎みたいなもやもやが漂っている。
頭を引っ込めてタオルでくしゃくしゃ拭きながら、端末で電話をかけた。(電気じゃなくてエーテリオン・ネットワークなのに電話って呼ぶのは違うと思う)。真っ先に思いついたアドレスを呼び出すのがちょっと嫌だったんで、二番目の人にかけるとすぐに繋がった。
『……何だ』
ごめんなさい今寝てた? と思わず訊こうとしたくらい機嫌の悪そうな顔だけど、どうも地顔らしいと最近気づいた。それに、思いっきり夜行性の楝さんがこの時間に寝ている筈がない。
「今どこ?」
『家』
「第一シャトルの後ろにでかい犬のバグがついて走ってるんだけど」
この人と話す時って、いつも何となく早口になる。見かけより全然親切でいい人だとは判ってるんだけど、やっぱり怖い。
『遂は』
「まだ」
『お前の部屋の真ん前で起こっているんだろ。先に報告しろ』
「うわっ! そうだけど、これから電話しようと思ったんだけど」
『後で何か言われるのはお前』
「分かった、かけますかけます電話。でも俺バイトだよ、一人じゃ何も出来ないよ、権限ないし」
『そっちに行く』
楝さんが画面から消えた瞬間に電話がかかってきた。ぎくっとして留守電に切り替えようとしたがもう遅く、画面に遂のすごく楽しげな顔が現れた。
『まー君こんばんは。突然ですがアナタ犬種には詳しい? オレとしてはコーギー君なんて好きなんですが、パグの愛くるしさも捨てがたいし。でもやっぱり雑種だねぇ、どんな風に育つか楽しみで。耳がぴんとしてて尻尾はきりり、オレ日本犬の雑種がいいな』
うわぁ回りくどい! 偶然犬の話なんてする筈がない、こいつ知ってて言ってる!
遂は俺と大して歳が違わないように見える。十七歳と聞いたけど、もっと年下っぽい。見かけはものすごく可愛くてきゃしゃで、スレンダーな女の子に見えないこともない。いつか会った遂の友達が《阿呆天使》と呼んでたっけ、あれはぴったり。
「犬は真夜中に脳天気な声で妙なたわごと喋り出さないからな」
いきなり頭上から低い声が降ってきて俺は驚いた。楝さんがいつの間にか俺の隣にいた。
この人はでかい上に黒い服ばっかり着ている。ブラックジーンズとか革ジャンとか。一六〇センチない俺は並んで立つのも前に立たれるのも嫌だけど、足音もなく背後に立たれるのはもっと怖い。よく見るとめっちゃくちゃ男前だと思うけど、ちゃんと見ればの話。たいていの人は目なんか合わせたら最後、どころか目が合ったと間違えられるのも嫌だ! と思うだろうな。
『そっか、楝さん犬好きだもんね。で、外のあのヒトは何て犬種?』
「お前は犬種によって差別でもするのか」
『うーん、無毛種だけは寒そうだからあんまり好きじゃないんだけど、ああ本人のせいじゃないね。ところであのヒト危険度低いのでオレ達に任されました。放っておいても他のデバッガー来ないからね、乗客はきっかり四時間半あのまま閉じこめられているそうです。オレ今人混みの中にいます、あ痛。結構見物人がいるのよ、今ちょうどあのヒト達見晴らしのいいとこ走ってるもので』
「さっさと来い」
楝さんが淡々とそう言って通話を切った。ちらっと窓の外を見て、そしていきなり跳んだ。慌てて窓に駆け寄ると、楝さんはレールの上にぽんと降りてこっちを振り返っている。おい、軽く百メートルはあるんだけど……。
「うわ、ちょっと待ってよ! 俺いきなり目測で跳べない!」
返事代わりに、手首に巻いた端末にそこの座標が表示された。
「分かるわけないだろ、俺はコンピューターかっつーの! それにレールって不可視防壁張られてるじゃないか……初心者にもーちょっと優しく教えろよ!」
『うるせぇ。喰われたいか』
「やだ!」
ひとしきり唸ってから俺は端末の上の赤い突起を押した。まるでそこから飛び出てきたように見えた指向銃を引ったくって、楝さんがこっちを睨んだに違いない辺り(もうそこにはいなかった。意地悪)に照準を合わせて引き金を引く。
パシュッ、と何だかいい音を立てて、レールと俺の間を赤っぽい光が走った。思わずそれを触ってみると、ちゃんとケーブルみたいな硬い感触がある。
「落ちたら恨んでやる!」
楝さんに言ったのか遂に言ったのか自分でも判らないけど、ヤケになってそれに飛び乗った。どうせ落ちても俺は死にはしないけど!
おっかなびっくり綱渡りしたのは最初の数歩だけで、俺はケーブルの上を走った。もたもたしている方がやばそうだし、楝さんが怖い。このケーブルはまー君に合わせて設計してあるから足を踏み外しても三十センチ以内の誤差なら勝手に修正してくれるよ、と遂が言ってたっけ。(いいけどまー君っていうのはやめろ)。とにかく今は遂のプログラムミスがないことを祈るしかない。
飛びつくようにレールの上に着地した途端に首ねっこを捕まれた。と思ったらいきなり宙を飛んで、気がつくとシャトルの最後尾車輌の上にへたり込んでいた。
「……どうも」
ボーゼンとしている暇はあんまりなさそうだった。俺と楝さんが乗ってるシャトルを追いかけている犬のバグが視界一杯にあったんだ。あ、よだれ。
「うわぁ……」
疑似体験のアクションアニメを見た次にホラーを見ている気分。犬は何だかゼンマイ仕掛けの超レトロなおもちゃみたいに走っている。
「走査」
横に突っ立ったまま、ぼそりと楝さんが命じた。俺は慌てて指向銃を走査モードに直し、でも眉間を狙うのは嫌だったので背中をかすめるようにして撃った。手首の端末のスクリーンを空間表示にして広げると、俺の前にバグ犬のデータがずらずらと表示された。
「うへ、もうほとんど犬のデータ残ってないじゃん。分解しちゃってる。『動くものを追いかける』って行動データだけ残ってるってこと?」
「そろそろそれも怪しい。『意味はないが走り続ける』だな」
「え? じゃあ何でこのシャトル走り続けてるの?」
「運行プログラムをあれが改竄したから。停まらせるのは簡単だが?」
あ、そうか。犬が衝突するかも。というか、捕まえたとばかりにべろべろ舐め回されたりして。
『はーい、データいただきました』
いきなり遂の声が聞こえた。端末のマイクを通さず直接聞こえるってことは、だいぶ近くまで来てるってことだ。走査と同時にそのデータが遂に送られるプログラムになっているらしい。そりゃあ便利だあはは、でも今のは心臓に悪かった。
『そのヒト2D化しちゃってオッケーです。楝さん散らばったデータの回収よろしく。まー君《虫籠》の出番だよ』
「そのネーミング何とかならないのか?」
確かにバグは直訳すると虫だけどさ。
『え? 変かなぁ、《まー君専用バグディスク》でもいいけど』
「最悪!」
ああ通信切りたい。
他人事のように楝さんはバグ犬を跳び越してレールに降り、すたすたと歩いていく。そうだった、あの人はデータ回収やるんだった。ってことは何、俺が一人でこの犬捕獲するってことだよな?
「嘘ー……」
『もーちょっとで五時間か。大変だよねぇシャトル内のヒト達』
「分かった分かった、誰もやらないなんて言ってない!」
『オレも別にまー君責めたわけじゃないよ? ごめんね、もうちょっとで辿り着くからね』
思いきりにっこり笑った顔が想像出来た。何であいつ顔と中身がああ違うんだろう。
端末の選択画面から《虫籠》を選んだ。こんな風にバグっているやつは映像化すると元の実体に戻せないことが多い。けど、遂がそう分析したんだから大丈夫なんだろう。
《虫籠》はキャップみたいな形をしている。指向銃の先に填めるとモードが自動的に切り替わり、照準装置がファインダーになる。ちょうど犬が収まるサイズに広げたところで遂が言った。
『もうちょっと大きめの方がいいよ』
「……どっから見てるわけ?」
『アタシはいつもアナタのことを見守っていてよまー君』
俺は危うく銃を取り落としそうになった。
「頼むから気を散らせないでくれ」
『ああごめんなさい』
バグ犬だって可哀相じゃないか、こんなにいつまでも走り続けて。引き金を引いた瞬間にふとそう気づいた。
黒い壁のように出現した《虫籠》の中に、犬はその勢いのまま駆け込んでいく。野次馬がまだ見ていたとしたら、バグ犬はまるで見えない箱の中に入っていったみたいに見えたと思う。この手品では犬は二度と観客の前に出てこないけど。
シャトルから飛び降りて、《虫籠》の隅っこの縮小ボタンを押すと、それは掌サイズのディスクと化してぽとりと落ちた。中を覗き込むと小さな画面の中で犬はまだ走り続けている。
横から伸びた指先が画面に触れた。犬の前に赤いボールが出現し、転がり続けるそれを追いかけ始めた犬は何だか幸せそうに見えた。
顔を上げると遂がいた。
「ご苦労様でした。シャトルの方は直しといたから」
こいつは苦手だ。変なギャグで脱力させるし、人使いは荒いし、シンシュツキボツなとこはゴキブリ並(これは楝さんが言った)だし……おまけにでかい借りがあるし。
遂は何故か一瞬悲しそうに見えた。
「こいつって、分析終わったらどうするわけ? 中央管理局の資料室で厳重保管?」
「いーえ、龍図さんが飼ってくれるって。あそこソーイさんが動物アレルギー持ってるから本物は飼えないのよ、このヒトはかなり復元出来そうだから」
「リュートって誰」
ソーイさんは聞いたことがある。遂の直接の上司じゃないけど中央管理局のエリート・プログラマーで、いつも遂が世話になっている……というより、厄介事を持ち込まれている不幸な人だ。
「ソーイさんの息子さんで御歳十一歳。動物好きでね、こないだ一緒に動物園行ったんだ、触れるとこ。オレ狐に似てるって言われた」
確かに遂の赤っぽい髪とちょっとつり目の感じは狐っぽい。
「あ痛」
いつの間にか遂の背後から歩み寄ってきていた楝さんが、遂の頭をはたいたところだった。遂が狐なら楝さんはうんとでかくて黒い虎か狼、と言いたいところだけど、この人の場合は元々決まっている。まだ一度しか見たことはないけど。
「動物園には鏡はないのか、『世界で最も緊張感のない性悪生物』とかいうのは」
「『世界で最も危険な動物』という鏡なら、確かヨーロッパのどこかの動物園にあるって聞いたよ?」
「データ」
「ありがとうございました。うわぁ、これだけあればかなり実物っぽくなるね」
じろりと俺を見てから楝さんはくるりと踵を返してすたすたと歩いていく。と思ったら突然消えた。……羨ましい。
「そういえばツールの具合はどう? まー君専用水鉄砲」
「指向銃! それと、まー君っていうのやめろよ。俺は数馬!」
「数馬君専用水鉄砲?」
「水鉄砲じゃないって」
「でもホントは馬君かもしれないじゃない? 楝さんと一緒で大陸系かも」
楝さんのフルネームは李楝という。
「名字の方が可能性低いと思う! それに中国語なんて知らないよ」
「本名も数馬だったらいいけど。忘れちゃって残念だね」
だからそういきなり真面目な顔で言わないで欲しい。笑っている遂は最悪だけど、笑っていない遂はもっと始末が悪い。
《シェル》では名字なんてほとんど廃止されたも同然だから、俺は楝さん以外の人の名字を聞いたことがない。フルネームを名乗るのは外から来たばっかりの奴だけだろうし、そいつらも大抵すぐに名前だけになる。身分証明(ID)ならコードナンバーだけで十分だから。
「今のところまだ手がかり見つからないんだ。ごめんね」
「だから別に頼んでないだろ」
「でも御家族とかいたら会いたいじゃない?」
「あのな!」
指向銃を非実体化して俺は吐息した。こいつ自分の言ってることホントに考えてるのか?
「俺は死んでるの! 比喩じゃなくて本当に御臨終して、それが何かのはずみでゴミと融合してエーテリオン体になっちまっただけ! 『バグベアー』ってそういうことだろ? お前がそう説明したんじゃないか」
「ゴミじゃなくてネットワーク・プログラムの断片」
「同じだろ」
「違うってば」
違わないってば。こいつに拾われなければ、俺はぼろぼろ肉片を落として歩くゾンビみたいに、記憶が分解してそのうち消滅した筈だ。その前に何か事件を引き起こして、シャトルを延々と走らせるどころか、もっとやばいことをしていたかもしれない。
エーテリオンっていうエネルギーは散らばりやすいらしい。この街はそれを使ったプログラムで丸ごと出来ているんだけど、よっぽどしっかりしたプログラムじゃないと分解してしまう。バグなんか出来たらやばいことになるわけで、だから遂みたいなバグ取り屋がいる。
まあ俺は自分が死んだって記憶もないし、この仕事はどんなゲームよりもスリリングでしかも高給で(これが肝心)、だからいいんだけど、バグった犬なんて見るとどうしても自分と重ねてしまう。なぁんかじめじめしてて嫌なんだけど、もしかしたら俺もあんな風にゾンビだったのかなと思うと……
ああっしかもこいつに助けられたなんて末代までの恥!(ところでマツダイってどこだ)
「帰ろっか」
遂はにこっと笑った。
「まー君また綱渡りして帰るんだ? あれ片づけてないでしょ。あれバリアそこだけ自動解除しちゃうから危ないよ」
「片づけるよっ! お前どっから上がってきたわけ?」
「それは非常手段として自分でエレベータを作ってね、こんな風に」
遂の耳に填っている、一見通信マイクみたいなエーテリオン変換器がちらちら光ったかと思うと、俺達の立っているレールの脇にいきなり見覚えのあるエレベーターが現れた。中央管理局の正面にあるやつだ。
「ずりぃ! お前の変換器ってエーテリオン消費の上限ないんだろ、楝さんに聞いたぞ」
デバッガーというのは色々危険を伴う仕事なので、その分特権みたいなものが多いらしい。法律サイトを見たわけじゃないから知らないけど、こういう公共物を複写したり私有化したりするのは違反だぞ、普通は。
「はーやくしないと置いてっちゃうよ」
「うわぁ待て!」
「あ、次のシャトル来た」
「嘘、ちょっと待って、これ解除……」
「嘘」
遂がいかにも無邪気そうな声で笑う。
× × ×
「やあリー君今日も大きいね! 君はまるで雨後の筍のように背が伸びてるんじゃないの? ああ、君が新しいバイト君か。リー君と並ぶとちっちゃいなぁ、うちの子と同じくらいかな? 頑張ってくれよ! 遂、君のカーソラーはメンテナンスの必要はないだろう? はは、これは冗談だよ」
俺達三人の手を忙しく握ったり肩を叩いたりして、中央管理局警備部門対策部長クテンは巨体を揺るがせて笑いながら出ていった。クテンは遂のボスってことになっているけど、はっきり言って遂は一人でやりたいようにやっているから、クテンは俺や楝さんの素性を知らない。
「ウゴの筍って何?」
ソーイさんの研究室に向かう途中で訊いた。何かあのおっさんは失礼なことばっかり言ってなかったか?
「用法間違い」
「楝さんがにょきにょきいっぱい出てきたらいいなぁ……」
あ、そういう意味なのか。いや待て、それはあんまり良くない。
「今お前、人手が増えて便利とか思ったな?」
「だってむしろBB事件のことだよ、筍って。この頃続発してるもん」
BB。その呼称を聞くたびにぎくっとする。バグとバグベアーをかけているわけだけど、俺もその一人だと思うといい感じがしない。何たって、俺達三人はBB事件専門のデバッガー・チームだから。
遂によれば、エーテリオンは動植物が造り出しているらしい……確かによく見ると人間は全身から湯気を立てるみたいにエーテリオンを出している。(俺はもっと小さい動物のはわかんない。計測器じゃあるまいし)。エネルギーというには物理学的には違うらしいけど知らない。とにかく”元”が一緒だからモノとオバケが融合するみたい。
「じゃあ雨って何だ? 事件が頻発するのに原因があるってことだろう」
真っ昼間の日光が苦手らしい楝さんは一見素通しのサングラスをかけている。この廊下は眩しいから。この人は眼鏡かけると妙にインテリ臭く見える。
「この街の生物がエーテリオン環境に慣れてきたってことじゃないかなぁ。もう第三世代くらいに入ってるよね」
『HIROSHIGE』というロゴと、確か浮世絵とかいうイラストがでかくプリントしてある朱色のTシャツを着た遂と、今日はちゃんとジャケット羽織ってる楝さんと(このカッコ見て管理局行くんだと気づけば良かった……ていうか教えて)、どう見たってただの一般人なガキの俺。あ、ジーンズに穴あいてる……浮いてるよなぁ。
「慣れで騒動が続発してどうする」
「エーテリオンの性質はまだあんまり分かってないもん。楝さんだって自分のことどのくらい知ってる?」
「お前は自分のことどのくらい知ってるんだ」
「古人の言葉を借りるなら、考える葦というところでしょうか」
「その定義だと俺だって人間だ」
何のことを言っているのか俺にはさっぱり解らないから、(足に耳がある虫がいるってこないだ遂は言ってたけど……今度はもの考えるのか)聞き流しながら周囲を見物することにした。
外から見るとごちゃごちゃして変な形だったけど、中は何から何まで最新型。趣味みたいにしょっちゅうプログラムを更新しているんじゃないのか?
中央管理局ネットワーク管理部門といえば、《シェル》のど真ん中のてっぺんだ。場所的に言ってもそうだけど、つまりこの街の大脳なわけ。だって街ごとネットワークだもんな、ここは。それを管理するシステムを作っているのがソーイさん達。俺みたいな一般人がこんなとこ入っていいのかな、と心配になったけど、入口のゲートは走査しただけですんなり通してくれた。
……ちなみに俺一人が認識票をつけないで立ったら、多分センサーは感知してくれない。考えてみると、俺達三人の中でちゃんと生身の人間なのは遂だけなんだよな。俺は生きてないし、楝さんは人間じゃないし。
「ところで葦って見たことないな。今度植物園のおじさんに訊いてみよう」
「お前のオフはやけに文化的なことに費やされてないか? 確か明日は美術館とか言っていなかったか」
「だって今更アミューズメント施設行って楽しい? オレ達街の中で空中散歩したりアクションゲームしたりするじゃない」
でも遂本人はあんまりそういうことしないんだよな。こいつはうっかり墜落死なんてことになるとやばいからいいけど。飛び回るのはカーソラーだよ、つまり俺と楝さん。
遂みたいなデバッガーが使うツールのうち、人工知能を備えた独立型アシスタントをカーソラーという。デバッガーにとってみれば画面上の点滅みたいなものだからそう呼ぶんだと思うけど。俺と楝さんは試験的に使われている人間カーソラーなんだ、登録上は。
「こないだの蝶のバグベアーの分析終わったよ。キアゲハチョウのメス。あの光の色が彼女のお気に入りだったみたいよ」
「光源を片っ端から紫っぽくしてった蛾か」
「蛾じゃなくて蝶だって」
その違いは俺にも解らないけど。
「楝さんって動物は好きなのに虫は無関心っぽいよな」
「不味い」
ああそう。よく分かった。
「虫とか植物はエーテリオンをあまり含んでないから」
遂が付け足した。
楝さんは黒狻猊(自称)っていうらしい。古い中国には楝さんみたいのが結構いたそうだ。つまり人間に化けたり、「気」(エーテリオンはそう呼ばれていたらしい)を喰ったりする奴。人狼とかとどこが違うのかと訊いたら、そんなもん存在しているかどうか知らんと言われた。……人間から見ればコクサンゲイも人狼も大差ないと思うけど。えーっとつまり妖怪? 俺が幽霊で楝さんが妖怪で、そしたらそれをバイトに使ってる遂は何?
まあとにかく、楝さんはエーテリオンを喰う。要らなくなった道路とか囓るのかな……それはいいけど、俺なんかは特に美味そうに見えるらしい。生身の人間より全然多いもんな、エーテリオンの量が。
「オレの友達にすごく植物っぽいヒトがいてねぇ、そういえば楝さんあのヒトには無反応だったね」
「それ逆だったらやばいじゃん、喰われちゃうよ」
「大丈夫。楝さんはゴハンと友達ちゃんと区別してるから。もう長いこと生き物は食べてないっていうし。ねぇ楝さん?」
それ、思いっきり極端な分け方だと思う。
前からどやどやと一塊りの学者かプログラマーらしいのが来た。顔の前に幾つも画面を広げて、何だか分からない宇宙語みたいので喋りながら歩いてくる。一人が遂に躓きかけて、やっとこっちに気づいた。
「こんにちは、デュフィさん」
出たな遂スマイル。
「ああ遂! お父さんは元気? 新しいプロテクトはいいよー」
「そうなんだ? オレ早速トライしてみる」
「息子に破られちゃ敵わないなぁ」
何だか楽しそうに笑っている。バージョン0.8の時の第三門のナントカがさぁ、とか何とか、まるでゲームの攻略法を教えあってるオタクみたいなことを言っている。
「遂の父親はエーテリオン研究所のお偉方で、暇つぶしに作ったプロテクト・システムが玄人泣かせの出来だったそうだ」
日陰に入ったのでやっとサングラスを外した楝さんがそう教えてくれた。俺はものすごく退屈そうな顔をしていたらしい。
「へぇ……親子揃って頭いいんだ」
デバッガーになる為のテストは何段階もあって、それぞれ鬼のように難しいらしい。そりゃそうだよな、変な事件ばっかり片づけるからマニュアルなんてないようなものだし、あいつの作ったツールって出来いいもん。ネーミングは変だけど。
「そのプロテクトを破ろうとして、毎日ハッカーが群れをなして攻撃しに来るらしいけどな。攻撃するとゲームっぽい映像が出てくるそうだ」
「……親子揃って頭おかしいんだ」
「そっちの方が近いだろ」
楝さんはほんのちょっと笑った。うわ、初めて見た。
プログラマー達がまたがやがやと歩いていくと、そこに一人だけ残っていた。見るからに頭の良さそうな、けど何だか寝惚けているような顔をしている。そのおっさんは目をぱちぱちさせて遂を見た。
「ああ、例の新しいバグベアーか」
えっ? と一瞬焦ったけど、俺のことじゃなかった。
「犬だって?」
ああ、この人がソーイさんなのか。そういえば胸のプレートに『NVM主任』とある。NVMというのはワクチン、つまりバグに対するいろんなプログラムを設計するプログラマーだ。小さいバグを発見して自動的に直すやつとか、巡回装置とか、やばすぎのバグが発生した時の緊急対策ソフトとか。
「オレ一応分析と復元してみたよ。このヒトのエーテリオン純度は約12.5パーセント、ほとんどはシャトルの運行プログラムを食べて大きくなったみたいね。はいこれ報告書」
「12.5? 高いな」
ちなみに俺が30パーセントちょっと。人間だから特別なのかもしれないけど、俺以外の人間バグベアーを知らないから判らない。
「拡散しないようプログラム書き足しておいたけど、それだけ」
「後の躾は龍図がやるだろう」
「ゴハン食べたがるんだけどどうする?」
「属性を不干渉に変えて……」
何だかペットを引き渡しに来ているみたい。それにしてもバグベアー犬を飼いたいっていうその子もすごいけど、それを許しちゃうソーイさんもすごい。ところでそいつ躾って出来るのか?
話が長くなりそうなので、俺と楝さんは廊下の隅にあったソファに腰掛けてディスクの中の犬を見ていることにした。犬なんてめったに見ないし。
広げたスクリーンにディスクから犬を出してやると、いきなり世界が広がったのが嬉しいらしくて、犬は狂ったように暴れている。あのボールも生き物みたいに飛び跳ねている。
「まだ子犬っぽくない?」
「多分」
ちょっと見ただけでは実物の犬の映像にしか見えない。

