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Debugbear

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1.2. 3. 4.(END)

D.B.B.(Debugbear)


 犬は自分を観察している視線に気づいたらしく、鼻先をこちらに向けて匂いを嗅ごうとしている。たとえこいつに嗅覚があっても、俺はどうせエーテリオンの匂いしかしないだろうけど(どんな匂いだ)。
 もちろんエーテリオン体バグベアーは食事なんかしない。けど最初のうちは何となく腹が減ったから、俺は遂に頼んでその本能データを凍結してもらった。そういうのをどんどん削っていってもやっぱり俺は人間って言えるのかな、とは思うけど、食えないんだから仕方ない。
 楝さんが片手を画面の中に突っ込むと、その匂いを犬はひとしきり嗅いでから舐めた。
「それどうやってるわけ?」
「手だけ2Dにしている」
 これだけ完璧に人間に化けるんだから、そういうことも出来るんだろうな。俺としてはこの場で犬を実体化させて一緒に遊びたい。だって楝さんずるい。犬ってどんな触り心地がするんだろう?
 不幸自慢みたいだけど、今の俺は新しいデータを取り込むことが出来ない。生身だったら犬を触って、これが犬の背中のあったかさと感触! と分かるけど、俺は本物の感触を知ることが出来ない。
 遂が説明してくれたんだけど、俺は生前の五感データを横流ししているらしい。ああこの犬はあったかそうだな、毛はさらさらだろうなと思ったら、記憶の中からそれっぽいのを探して置き換えるわけ。もっと細かいこと言うと、見るっていうのも違う。俺は相手のエーテリオンがどんな風になってるかを無意識に分析しているんだって。
 俺がこの犬に触ったら何の記憶を使うのかなぁ。洋服用ブラシとか?
「楝さんってどんな姿にでもなれるんだ?」
「時間をかければ多分な」
「どのくらい?」
「人間までが多分二百年くらい」
「……ふーん」
「お前の方が簡単だろうが、形を変えるだけなら」
「理論的にはそうかもしんないけど、そりゃあ俺だって、せめてあと十センチは背が欲しい! 永遠の推定年齢十四歳だぜ?」
「言っておくが俺は好きででかいわけじゃない。原体が大きかったからであって、人間に化してもこれ以外にはなれん」
「え? 自分で選ぶんだろ、外見」
「お前はその顔を自分で選んだのか」
「違うけど! ええっそうなの?」
 何を騒いでいるんだ、って顔で楝さんは俺を見る。
「楝さん、傍目から見ると手品だよ」
 遂が覗き込んで、小さい声を上げて笑った。楝さんはまだ片手を画面に突っ込んだままだった。
「あ、怖がられてる」
「うるせぇ」
 犬はごめんなさいポーズをしている。
「楝さんって動物好きな割に怖がられるよね。やっぱり肉食獣だから?」
「確かにこいつは美味そうだな」
「あ、逃げた」
 後ろでソーイさんが声を立てずに笑っている。……って、ええっ?
「れれれれれれれ楝さん?」
「レレレの楝さん?」と遂の意味不明なツッコミ。
 楝さんとソーイさんはすっげー不思議そうな顔して俺を見ている。ええ? だって楝さんカンペキに見られてんだけど、ソーイさんに。俺はものすごく一人で焦ってきょろきょろして、そして遂のにっこにこした顔を見た。
 俺が口開けたままその笑顔を見つめているうちに、よくわかんないけど何か問題が片づいたらしい、と判断したらしいソーイさんは楝さんと話を始めている。
「平面化した部分の感覚データはどうなっているんだ? 楝」
「変わらんですよ。自然に適応するから」
 ちょっと待って……置いてかないで。
「このヒトはこーいうヒトなのよ、ものすごく現実的なの」
「お前俺が驚くの見たかったんだな? くそっ! どこが現実的だよ、非現実的っていうんじゃないのかっ!」
「だって現実じゃない」
 それはそうだけど。
「ああ数馬。そのうち暇な時データ取らせてくれないか? 相手が人間語を解してくれると非常にありがたい」
 ほらね、と遂は大真面目なソーイさんを目で指した。
 学者って頭固いもんだと思ってた……。
 

第二章
 
 
 はめ殺しの窓を消す(ちゃんと言うと、『窓の構造プログラムを解除して非実体にする』。うへっ面倒)と、すごい突風で転びかけて、がしっと楝さんに頭を掴まれてしまった。
「うー、頭掴むのやめろよっ」
 じゃなかった感謝の言葉が先! と思ったけど、楝さんは今度は俺の襟首を掴んでぽいと放った。
「うわぁっ!」
 悲鳴を上げたのは見ていた警備員。地上百メートル(以上?)の宙に放り出された俺は声なんか出なかった。がつっと何かに尻餅をついて、俺はその見えない床越しに下を見てぞぅっとした。
「ごめんなさいっだから色つけてーっ!寿命が縮むよこれ!」
「冗談を言う余裕があるのか」
 冗談じゃないよ……
 すごく投げやりな感じの床(白い、ざらっとした基本型アーキタイプの建物用素材フォーム)に変わってくれて俺はほっとした。立って半畳寝て一畳、と遂が言う(何の呪文?)いつものサイズ。俺としてはもうちょっと大きくてもいいと思うんだけど、そしたら多分「自分でやれ」だろうな。はい、感謝してます楝さん。
 やっとバグを見上げて、走査モードにした指向銃で撃つ。今回の場合、調べなくてもバグの性質はバレバレだけど。
「ただの吸引型バグだよ、やっぱり」
 近くをふらふら巡回していた警備装置《レトリーバー》(銀色の風船みたいなやつ)が幾つか吸い込まれたんで、その知らせが管理局に届いたって聞いた。けどさ。
「でも俺達バグベアー専門じゃなかったっけ? しかも休みオフだよ今日」
「何度も言うがお前の部屋のすぐそば」
「そりゃそうだけどさー何で俺んちの回りばっかりなんだ? くそーっ」
『ごめんね、だってオレ今街の反対側にいるのよ』
「もしかしてお前の存在がバグを呼んでいるんじゃないのか」
「呼んでないよっ」
「せいぜい稼げ」
「そうだ休日出勤手当!」
『はいはい。あんまりやさぐれないで』
 分析完了変なところなし、のサインが画面に出た。はいはい分かってましたとも。俺達はいつも例外ばっかり当たっているから、走査プログラムがすごく念入りなんだ。今回は俺だってデータ見れば判る。
 バグはもごもご動いている。色のはっきりしない雲みたいな感じ。ブラックホールってこんなやつ? 近くにあるプログラムをぱくっと吸い込んじゃうんだけど、どこに行くんだろう。
「消すよー!」
 遂特製ツール《サイノメ》は白くて小さいキューブ型。サイって確か動物だよな、その目って何のことだ? 小さくて四角い目玉なのか? と遂に訊いたら喜んで、早速キューブの六面にマンガっぽい目玉の絵を描いた。その後楝さんにサイというのはダイスさいころのことだと聞いたけど遅かった。
「お前がスライドした方が速くないか?」
「出来るよっ!」
 《サイノメ》は立体バグを囲む領域を作るのに使うんだけど、このバイトを始めた頃はうまく使えなかったから、楝さんがキューブじゃなく俺の方を動かしたことがある。こういう床を『空飛ぶジュータンフライング・カーペット』(遂の証言)みたいにして。
 俺はキューブを睨みつけた。座標変換座標変換。自分の身体(データ)なら生身の人間が手足を動かすのと同じように簡単なんだから、こんなちっちゃいやつの演算なんてちょろい筈!
 《サイノメ》が掌から浮かんで、ぎくしゃくしながらバグの回りをゆっくりと回り始める。
 こういうのはホントは動いているわけじゃなくて、表示する座標を変えているんだ。アニメーションと同じ。そんなの当たり前だろ、と言われるかもしれないけどさ、俺はまだそれに馴染めてないみたい。遂と出会ったのが一年くらい前(だと聞いたけど俺が憶えているのは半年くらい)だけど、たった一年で慣れるもんか。
 俺はこれをまるで超能力者みたいに動かせるけど、普通の人間デバッガーはプログラムを書いて作動させる。人工知能カーソラーに憶えさせておくとか。遂がすいすいやれるのは、いろんなパターンのプログラムを作って端末に入れてあるから。あいつはプログラム書くのがバカみたいに速くて、しかも座標を読むのが上手い……センスの問題、と楝さんは言った。
「近寄りすぎ」
 楝さんが言ってくれなければ、ふらぁっとした《サイノメ》は吸い込まれていたかもしれない。
「……はい」
「このビル削らなければ、ちょっとくらいでかくてもいいぞ」
 この場合は指定した領域を削除デリートするから、《シェル》の空間ネットワークがそこだけ穴が空く。だからなるべく小さい方がいいんだけど、まあいっか。
 《サイノメ》を動かすのにちょっと慣れて、俺はくるくるっと操作してバグを囲んだ。はみ出しとかないのを点検して『指定完了』にすると、今作った領域がぼんやり赤く光った。
 指向銃を削除モードにして撃って、はい終わり!
「うへぇ、疲れたぁ」
『御苦労様……あら?』
 遂がずっと通信をオンにしていたことを俺は忘れていた。
 いきなり脳天気な声で爆笑する。
『まー君楝さんお気の毒様! オレも出来るだけ早く行くわ』
 何何何?と思わず窓の中の楝さんを振り返ったら、腕組んだまま顎で俺の傍の画面を指さしてみせた。
 ……バグベアー事件の呼び出しだった。
 大急ぎで窓をはめ直して警備員のおっさんに(楝さんがおっそろしく速い口調で)報告して、下りエレベーターの中からいきなり要請地点の近くまで転移した。(というか、楝さんにまた運ばれた)。
「ねぇ、俺はともかく楝さんが座標変換出来るのは何で?」
 コンビニの裏から出て早足で歩きながら訊くと、楝さんはちょっと首を傾げた。
「何となく」
「そういうもんなのか?」
「坊主が悟りを開く為のマニュアルがあるか?」
「そのたとえ分かんねーよ」
「昔、崖から落ちた時にこつが掴めた」
 何て大雑把な。でもちょっと分かった、この人は『やりゃあ何となく出来る』主義なんだな……。
 
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 その工場跡を見てびっくりした。
 どこもかしこもただ白い。でかくて白い建物を平面かべごとに解体して、途中で飽きて放り出したみたいな……壁が変にきちんと並べられて立っている。何これ。
 先に駆けつけた警官が野次馬よけの防音壁を周囲にばたばた立てていったから、その中に入るまでは何が起きたのか判らなかった。楝さんが除雪車みたいに人混みを掻き分けてくれなければ俺は永久に入れなかったかも。
「あれ? リリアン君とマー君だけ?」
 すげー暗い顔で警官の質問を受けてる工場関係者達の中から、妙に明るい声が聞こえた。どこかで見たことがあると思ったら、ソーイさんの助手か何かだった。サボり名人の学生みたいな顔をしてて、スーツのポケットは何かでぱんぱんだし、あんまりエリートっぽくない。いい人そうだけど。
 中国語だと確かに李楝リー・リアンって発音するって聞いたけど……リリアン。この身長タッパ体格ガタイでリリアン。(後で遂に聞いたら、このデュフィって人は何度訂正しても最初に憶えた呼び方でしか呼んでくれないんだってさ)。
「あの極楽トンボは街の反対側でのんびりデートです。デュフィさんこそどうしたんですか」
 ぐふっと笑ってしまった俺の頭を殴りつつ、リリアン兄貴はすっげー平然として訊いた。
「デート? いいなぁ」
 極楽トンボって死んでるってことか? そういえば、ネットワーク管理部門の人がバグベアー事件の現場に出てきたのを見たのは初めてだ。
「うん、レベル4のバグベアー事件なんて初めてだから、ちょうど手が空いたところだったし。昼飯食いはぐれたよ」
 デュフィさんは書類ケースみたいなやつから何かパックを出した。『懐かしのホイップクリーム入りあんパン』と印刷されている。どこで見つけてきたんだ……というか、懐かしの味なんだ?
「一個食べる?」
「いえ」
「あは、いいです」
「皆そう言うんだよな。今まで相伴してくれたのって主任だけだよ」
 え? 主任ってソーイさんだよな? あの見るからにエリートって感じの二枚目なおっさんが? やっぱただ者じゃなかった。
「ソーイさんも甘党なんですか」
 楝さんが俺の代わりに訊いてくれた。
「いや、あの人何かに没頭していると何食べさせても大丈夫なんだ。こないだなんてコーヒーにシロップ五つ入れても平然と飲んでたよ。飽和状態に達して二層になってたのに」
 ……この人っていつもそんな悪戯やってるのか?
 デュフィさんは今度はスーツのポケットからコーラのドリンクパックを取り出した。ちょっと待て、これが想像つくってことは、俺この組み合わせ食ったことあんの?
 楝さんが画面を出したので、俺は気を取り直してこの変な建物の残骸みたいのを調べることにした。《サイノメ》をまた出すと楝さんが手を差し出した。渡すと、楝さんがちょっと握ってから手を開くと四つに増えていた。
「うわ、人間コピー機」
「このオブジェでかいからな」
 一つを俺に寄越して後の三つをピンピンと弾くと、《サイノメ》はあちこちに飛んでいった。何だそういうことも出来るわけ? まぁ手伝ってもらえるならラッキー、と俺も慌てて別の方向に飛ばす。俺はまだ二つや三つを一度に使えない。何百年も生きてる楝さんに負けるのは全然当たり前だけど、でもちょっと悔しい!
「中に十二人がいたんだけど、何だか判らないうちに外に放り出されたって。その拍子に一人が転んで軽く捻挫したけど、それだけ」
 デュフィさんがもごもご言った。へえ、ずいぶんと人間に優しいバグベアーだ。
「安全システムが作動したんですか?」
「いや、それならそもそも実体化しない筈。領域内から弾き出しただけだな。平地で良かったよ」
「あの……それじゃ」
 工場の作業員らしいおっさんが青ざめた。これが例えばさっきのビルで発生していたら、領域からぽいと放り出された人間はまっさかさまに墜落してるもんな。
「大丈夫、建築法でバグ災害の対処は万全になってますから。その辺はあんた達の上司さんに訊いて下さい」
 デュフィさんが言うと、作業服のおっさん達は偉い人を探しにがやがやどこかに行った。
「上手いですね」
 あ、追い払ったわけね。
「気が散るだろ君らも。ところでリリアン君ってどこに作業装置コンソール持ってるわけ? 変換器ヴァーチャライザーとか。腕のそれ一般型だよな、デバッグ用じゃなくて」
 あ、やっぱ目敏い。
「埋め込んでいます」
 端末とか周辺装置アクセサリを身体の中に外科手術で埋め込む奴は多いから、楝さんはいつもそう答えることにしているらしい。一見手ぶらのプログラマーっているもんな、たまに。そう簡単に盗まれないからだけど、ヤバい奴らにぶつかると逆にひどいことになる。身体の中からほじくり出されるわけだから。
「ふーんそっか。遠隔型を作ってみたのかなーと思って。遂も指にショートカット機能入れてるよねぇあれは、幾つ仕込んでいるんだろ。あのイヤカフ型って容量すごいよな……」
 デュフィさんは何かぶつぶつ言っている。食うか喋るかどっちかにすれば?
「走査終ーわりっ」
 思わず声に出すと、楝さんもほとんど同時に終わったらしかった。ちぇっ。
 ……ところで何、この建物。
「デュフィさん、パズルとか得意?」
「頭を使わないやつなら」
「……それパズル? いいけど」
 楝さんの集めたデータが俺のとかみ合っているのを確認してから画面に図で出した。デュフィさんがぽかんと口を開ける。
 びっしりと作られた迷路なんだ。
 ちょっと見ていたデュフィさんがポケットからペンを出した。スクリーン用の入力ペン。それですいすい迷路をなぞり始めて、へぇと声を上げている間にゴールした。
「直感勝負なら得意」
「すげぇ」
「……おみごと」
「上から見たとこだから余計に楽だよ。じゃあ今回のバグベアーは無料でアミューズメント施設を一つ増やしてくれただけ? で、その当の本人は」
「もう出ていった後です。あ、今見つけました。俺と数馬はそっち行きますから、工場の復元よろしく」
 え? いつ探してたんだ?
「あ、うん。工場のバックアップっていつの?」
「六時間前です」
 デュフィさんの横でしょんぼりしていたまんまるなおっさんが即答した。工場のお偉方だろう。
「それならバグの影響もなさそうだな。オッケ」
「あのー、これただの実体オブジェクトじゃなくて消去領域消しゴムです。重いですよ」
 一応教えてやることにした。え、とデュフィさんはまた驚く。つまり触ったプログラムが消されちゃうんだ、吸引型バグと違ってこれはきちんと書かれたプログラムだから、それだけ重い。おっさん達が弾き出されたのも邪魔だったからじゃないかな?
 消去領域っていうのは建物とかの実体よりもプログラムがずっと重くて固いから、これをそのまま転移させようとしたら一気にメモリ不足。このサイズだったらデバッガーじゃなくて撤去業者に頼むべきだと思うな。
「そんな大容量の圧縮ゲージ持ち歩くデバッガーなんていないだろうなぁ……」
「遂持ってますよ。でも中央から転送した方が速いですかね。じゃ」
 楝さんがすたすた歩き始めたから、俺もちょっとデュフィさんに頭を下げてからついていった。危険度が低いと判ったから、他のデバッガーがそんなに早く来るとは思えない。
「あの工場って保険下りるのか? 今日一日仕事出来ないね」
「危険なのはこれから捕まえに行く奴だぞ」
「あ、そうなの?」
「何かのはずみでそこらを迷路に変えないとも限らないだろ」
 そういえばそうだった。
「楝さん走査と同時に探してたんだ?」
「旨そうな匂いがする」
 楝さんはちょっと顎を上げて空気の匂いを嗅ぐような仕草をする。ホントに嗅いでいるのかもしれない。
「……便利だね。どんな?」
 楝さんはこっちを見てにやっと笑った。何だか生命の危険を感じた(この言い方間違い)。
「俺は旨くないっ!」
「なら味見させろ」
「俺はオトモダチでメシじゃねーだろ! え? ってことは何、この迷路の犯人って」
「純度が高いな」
 俺と同じようなレベルってことは、もしかして人間バグベアー?
 
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 割と簡単に見つかった。
 煉瓦っぽくした凝った外装の建物と、隣と競争するみたいにレトロな石っぽい外壁に囲まれた建物との間の私道。古い映画の映像みたいなところだった。
 子供だった。五歳とか六歳とか、それくらいの。目が大きくて髪はちょっと長めの、男の子か女の子かは判らないけどきれいな。
 ……こんなちっちゃい子が。
 肉眼だとまるで生身ホンモノに見えると思う。どこで区別がつくのかって、それは俺自身にもよくわかんない。大質量のエーテリオン同士? それとも生身には絶対入ってないプログラムの気配かな。
 その子は俺を見てびっくりしたように目を見開いた。ああ、とその時気づいた。遂もこんな目をしている。俺には見えないものが色々見えているような。あいつもよくびっくりしたみたいな顔をする。
「お前、さっき迷路作ってなかった?」
 あ、まずいかな、いきなり。
 その子はにこっと笑った。
「うん。お兄ちゃんゴール出来た?」
「うん……けど、あれは工場だぞ。いろんなプログラム作って複写しまくって売るとこ」
 あ、意味解ってないかも。
 けどそいつは不思議そうに言った。
「どうしてあんなに広くなきゃいけないの? エイどこでも出来るよ」
 そりゃそうだ、あれだけの迷路が造れるなら……あれ一瞬で変わったって言ってたよな、確か。どうやったんだ? 俺まだ分析結果読んでない。
「お前エイっていうのか」
「うん」
「幾つだ?」
「七歳」
 男かな。俺にも七歳の時代があった筈だけど、ガキの歳ってよくわかんない。
 俺は触っただけじゃまだちゃんと走査出来ない。けど指向銃なんか出したら絶対怖がる! 楝さんを見上げようとして、そこにいないことに気づいた。俺のちょっと後ろに下がっていた。
 エイは初めて楝さんに気づいたらしかった。
「エイ!」
 一瞬でエイは消えた。そこに何の痕跡あとも残さずに。
 おそるおそる振り返ると、楝さんはそこから全然動いていなかった。やっぱり野生動物だなぁ、とこんな時ながら思う。動くと相手が逃げると判ってたんだと思う。
「お前よりよほど生存本能が強いな」
 楝さんのポーカーフェイスは変わらなかったけど、ちょっとがっかりしたみたい。犬に懐かれなかった時と同じ。
「あの、それって俺を美味しそうだなーとか時々思ってるってこと?」
『いけないセリフに聞こえるんですけど、聴いちゃまずかった?』
 いきなり遂の声が直接鼓膜に響く。うへ、もう近くに来てるのか? 思わず回りをきょろきょろ見回した。生の声と区別がつかない。
「違ーうっ!」
『何だ、オレはまー君がずいぶん大胆なこと言ってるなと』
「こいつはともかく俺は野郎なんかに興味はない」
「うわー俺だってないよーっ!」
 楝さんの後ろから小路に入ってきた遂が爆笑した。もう来たのかっ!
「逃げられた」
「楝さんに反応するってことは、よっぽど感知能力が高いか警戒心が強いかだね」
「どうせ俺はそんな本能ねーよ」
 遂は何か妙に嬉しそうに笑って、俺の髪をぐしゃぐしゃにした。何なんだいきなり。
「オレは一人や二人くらい楝さんのこと平気なヒトがいてもいいと思うけど?」
 別に平気なわけじゃない。後ろに立たれるとやっぱり怖いし。でも楝さんは確かに動物好き(ゴハンの意味じゃなくて)なんだよな。って俺は動物か……。
 いいや別に。
「走査は出来なかったわけね?」
「行動データと映像データだけだな。だいたいの知能も判るだろ」
「まあ充分としましょう。はいまー君、帰るわよ」
 
 
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