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fmt01-2p 破章の書(背景なし)

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破章の書


 
 
 俺が音の再構成から始めてほぼ実用段階にまで復元していた古い魔詩まがうたの断片を、やっぱり今お前にやるのはやめたとか何とかぬかした挙句、クソ爺ィはいやあな目で俺を眺めてから言った。
悪戯豎子アールティオスが訪ねてきているんだ」
 アールティオスと名乗るチビの本名を俺は知らない。なりは小さいくせに偉そうで可愛げのないところは雄鶏そっくりだ。卵も産まねぇのに威張りくさってのし歩き、あまつさえ飼主様の手をつつく。奴もこの爺ィの弟子ってことになっているが、《紫眼》スクアリナの弟子を称する物好きな輩は世間にごまんといるから(ああ、俺もか)、その肩書きはクソの役にも立たない。
「それが何だ」
《破章の書》ジュエリクス・イリューを探しているのだそうだ。ベルヴィラで噂を耳にしたらしい」
「……破章?」
 都ベルヴィラもしばらく離れているうちに変わったもんだ、あの馬鹿すらそんなものの噂を嗅ぎつけられるほど物騒になったとは。
 破章と呼ばれるやつは二つある。
 一つは文様、渦を巻いた三角形を果てしなく繋げた単純なやつ。破壊と再生の神ジュエルホーンの神官が発明したらしく、多分書きやすいのだろう、神殿の屋根から制服、食器の縁にまでやたらと使いまくってある。賭けてもいいが奴らの脳みそにも刻んであるだろう。
 四歳児にだって書けそうなそいつにエセ哲学的な解釈つけて信者を惑わす神官どもも何だが、そんなもんで人生観ころっと変えてエセ宗教にのめり込む奴らも悪い。……俺の知る限りだとジュエルホーンというのは神じゃないんだが、それはまた後回しにしよう。信仰されているもんは仕方ない。それにしても、汚れた世界を浄化するありがたい神だそうだが、浄化されて灰になりたいのかそいつらは……いいけどな別に。人を巻き添えにしなければ何やろうと信じようと結構だ。
 けど、信仰についてならともかく、文様についての記述なんて残すか? ひたっすら三角渦でも書いてあるのか? いくらあの物好きなチビでもそんなもんは探さない。よってこの仮定は却下、二番目の方だ。
 破章の二つ目は紋章だ。円の中に内接する三角形。こっちはまっとうな魔法使いが使う呪文強化系の魔法触媒だ。(そもそもジュエルホーンってのは神サマじゃなくて破壊力そのもの、再生なんて意味を付加したのは商売上手な神官どもであって、本当は壊すだけ。信者だってきちんと勉強すれば判ることだが)。
 魔法触媒ってのは魔法を行使する時に補助的にその効果を高めるもの。学校で養成されたひよこ魔法使いどもは、魔法触媒といえば街の専門店で売っているいろんな合成品のことだと思っているらしいが、本当はそこらの土くれから枯葉、この俺の毛髪一本だって立派な魔法触媒なんだ。ただ使い方を知らない奴らが多いわけよ、魔法単語イーアン暗記して平易な簡易呪文レア・ヴァーツ使えれば立派に一人前だと思っているからな、ひよこどもは。
 この紋章について書かれたものであれば、まず魔法の研究書とみて間違いない。単純なだけに物騒な紋章だからな、制御も難しいし威力も大きい。こんなのを呪文に組み込んで使えるのは実力のある魔法使いだけだ。ひよこどもの頭じゃ破裂しちまう。
 ふと気づくと、爺ィは例のいやあな目で俺を観察してにやにやしている。人の頭の中を読んでいたらしい。
「噂なんてあてになるかよ」
「情報とはそれを選別し利用する者によって価値が異なるが、更に言えば大切なのは発信された時点からの経過状態だろう」
「古いネタは価値が減る、そう言えばいいだろうが」
「もう一つは?」
「伝達経路」
「アールティオスがはるばるここまで出向いてきた。それなりの信憑性があると思わないか?」
「……どうせ紛いもんだろ」
「正真正銘の本物」
 この爺ィ、やはり噂の真偽を知っていやがったか。
「じゃあ全然大したことないつまらんやつ」
「複写されたことがないんだ。あれが朽ち果てていくのは惜しいな」
「欠陥があるんだな? あんたが気前よく何か寄越す時は絶対何かある」
「あの書を理解する者がいるとすれば、それは世に名だたる偉大な人物となろう。アールティオスは単に読んでみたいだけだろうが」
 そんなことは解りきっている。あの馬鹿には知識欲しかないんだ。ひたすら金を貯め込んで、それを使いもしない婆さんと同じだ。
「だから何で俺にそんなの話すんだよ、またどうせ何か企んでるだろ、クソ爺ィ!」
「心外だな。お前ならきっと聞きたがると思ったのに」
 爺ィはいつものように少しだけ目を細めた。

 

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「私は貴様なぞ供にするとは言っていないぞ」
 開口一番にチビはそうぬかした。
 アールティオスは多分二十歳をちょっと過ぎたくらいだろう。チビで童顔だから余計に若く見えるが、おそろしく醒めきった目と顰めっ面のせいで可愛いげがない。敵国に宣戦布告する外交官のような口調でよく喋る。これが何で悪戯豎子いたずらこぞうと称しているのか知りたいものだが、訊けばまた言語学だか何だかの講義を聴く羽目になるだろう。
 見た目だけでも俺よりずっと年上ならまだしも、こいつは己の分というやつを知らない。こちとらお前の十倍は生きているんだ、態度でけぇぞと言ったら、チビは冷めた目つきで見上げて言ったものだ……その歳になっても自立出来ていない半人前が偉そうな口を利くな、と。その瞬間、じゃあ半人前の魔法でくたばりてぇかお前……と思ったのは確かに俺の未熟さだろう。
 爺ィに会う前の俺なら、そうだな、とりあえず一晩幻覚見せておいたかな。全身から蛆虫でも這い出てくる悪夢とか。けれど多分この男には、何冊かの本を目の前で引き裂く方が効果的だろう。
 そういうのは廃業したが、憶えていやがれ雄鶏野郎。俺との魔力差を知りながらそう言える、度胸というか図太さだけは誉めてやろう。
「アリナが道案内をつけると言ったのは、もしかして貴様のことか?」
 いつ聞いても爺ィの本名は違和感がある。女の名前だぜ、それは。もしかして赤ん坊の頃は可愛かったのか? 笑う気にもならん。
「探査魔法もろくに使えねぇくせに一人前の魔法使いを名乗ってる馬鹿がいるとは思わなかったな。都からどうやって来たんだ、そのでっかい烏のシラミ代わりにぶら下がってきたのか?」
 アールティオスが供と称して連れ回すのは人間とは限らないらしく、今は烏だ。前に見かけた時には奴隷商人から買い叩いた大男だった。その前はおっとりしたお坊ちゃんだったな。運良く逃げられたか、それともどっかで置き去りにされたか……このチビは自分の行きたい場所にはめったに辿り着けないくせに、やたら行動範囲が広い。しかも同行した筈の人間をぼろぼろ落とすように置いてくる。まあ、こいつにこき使われるよりは多分ましだと思うが……。
「阿呆。一人前とは知識ではなく精神の成熟を言うのだ。だから貴様はその歳でまだあいつの教えなぞ受けているのだ」
「お前だって弟子だろうが!」
「誰が弟子だ。アリナは知人のことを弟子と呼ぶのか?」
「ちょっと分からんことがあれば訊きに来るくせに、でかい口叩くな。世間じゃお前のことを《探求の賢者》ディア・ウェラス・アルなんて呼んでいるらしいが、俺から見ればただの学士サヴァントだ!」
 学士とは一般語でいう学者だ。一般には器用貧乏と評される魔法使い。質量計測や年代推定や成分分析の呪文を駆使して何でも書き留めたがる奴が就く職業だが、そいつらを雇ってくれる機関は限られているので財布の中身も貧乏なのが多い。学士がいけねぇってわけじゃねぇよ、古い魔詩の断片なんかを掘り出してくれる重宝な奴らだし、俺だって似たようなことはしている。
 だがアールティオスを魔法使いと呼ぶのは絶対間違っていると俺は思う。一括りにされたら学校出たばかりのひよこだって鼻白むだろう。
 チビはふんと鼻を鳴らした。
「当然だ。私が目指しているのは世界一の学士だ。陳腐な称号で呼ぶのは勝手だが、学士のすべきことは真実の探求だ。本を読み漁ろうと人に訊こうと遺跡を発掘しようと誰かを騙して手に入れようと、結果的には同じなのだ」
「最後のは世間的にまずいと思うぞ俺は」
「黙れ半人前。知識の中には持つべき者が持たねばならんものがあるのだ」
「少なくともそれがお前だとは限らねぇぞ、雄鶏野郎!」
 アールティオスがもう一度鼻を鳴らすと、その肩に止まっている烏が俺を見て馬鹿にしたように鳴いた。
 ……焼鳥二羽分にしてやりたくなった。
 

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 術にお誂え向きの場所を見つけるのは造作もなかった。爺ィの隠居小屋から少し離れた、小高い丘の上だ。風は通るし人気もなし(邪魔なのは目の前の一匹一羽だけ)、土や植物もごく正常。日時や時間まで注意して選ばなければならない高度な召喚ライアはともかく、魔法ってのは環境条件にはそううるさくない。でなきゃ戦争に使えるもんか。ただ、俺の使うのは少し特殊なので、いい場所を選べればそれに越したことはない。ここに住み着いた理由の一つもそれだ。
 探査魔法と俺は言ったが、確かにそこらで常用されている程度の呪文で《破章の書》とやらを見つけるのは難しい。その本の形状から内容までしっかり記憶しているのならともかく、題名だけで在処を捜すのは普通は無理だ。方向だけを探す呪文はあるが、それなら棒を倒して行き先を決めても同じくらいの速さで見つけられるだろう。
 俺の取り出した、金貨にそっくりな道具一式をアールティオスは興味深そうに眺めた。
 貨幣と俺は呼んでいる。正式名称なんてない。本来は紙だったそうだから絵札と呼ぶのが正しいのだろうが、俺は金にちょっとばかり細工したやつで造ったから、どう見たって貨幣と呼ぶのが相応しい。現在では金貨は流通していないから、通貨と間違えることもない。
貨幣術フォア・フィーグァというやつか?」
 その呼称を知っているだけ大したものだが、こいつを更に増長させても仕方ないので無視する。
 101枚の貨幣には古代文字や記号や紋章が彫ってある。現存する最も古い魔法の一つだが、俺以外に使える奴を見たことがない。というのも、術を教えてくれたのは爺ィだが、彼はこれを使いこなすだけの魔力を持っていなかったのだ。
 貨幣術を使うには101の力ある言葉を一つ一つ解く必要があるわけで(言葉の本質を正確に理解することを、魔法使いは解くズナークという)、その殆どが禁忌に属しているだけあって、やたらと言魂ことだまが強い。ちょっと修正を加えて弱めても、普通の人間だったら声に出すだけで御臨終のやつもある。解いた途端にぶっ倒れたのは何度だっけ、鯨を101頭釣竿で釣る方がまだ楽かもしれない。
「貴様のような奴が、よくこんな術を完成させたな」
 チビがそうほざいた。誉め言葉として受け取っておこう。確かに貨幣術は無理に分類すると占いだから、黒い魔法ばっかり得手としてきた俺向きではないと最初は思っていた。効力がはっきりしないやつは今ひとつ好きじゃないんだ。だがそれが十割当たる占いなら話は違う。
 上衣の裾にじゃらりと開けた金ぴかの中から一枚つまみ出してチビの前に置く。
《眠れる男》メーネン・ギア。これが例の本の代わりだ」
「何故だ」
 唱えさせてみようか、とふと誘惑に駆られる。こいつはくたばりはしないだろう。根元的破壊力を示す言魂だけあって、上から何番目かにやばい言葉なんだが。
 やめた。
「自分で調べろ」
 俺はこの言葉一つの意味を知るのに三年と七ヶ月費やしたんだぜ短絡野郎。結果だけ丸呑みにして経過を省いたら、街のひよこどもと同じだろうが。
 ……まあ、この南氷樹地帯リエトフェルディーフィアと呼ばれる地までアリナを訪ねてくるのは、ろくに移動魔法を使えない世間一般の魔法使いにとっては大したことかもしれない。たとえ、それが一応賢者と呼ばれる奴であっても。だからあの爺ィも安易にあてにされないよう隠遁しているのだろうが。
 賢者に助言を乞うには相当の代償行為を必要とする、と言われている。だからこいつが質問するのは正当な権利とも言える。
 と、俺が善意的に考えてやると思ってんのか、この若輩野郎。俺は賢者じゃねぇし、爺ィから言いつかったのはてめぇの道案内だけだ。ふと思いついただけの興味につき合っていられるか。
 爺ィならにやりと笑って教えてやるだろう、三年と七ヶ月を費やして御丁寧に漏らすことなく、一度聞いたら後悔するところまで……このチビも爺ィには用心深い。
 ちらと見やると、アールティオスはまるで興味を失ったかのように無表情だった。つまらんが一番利口な態度だ。
 
 
 妙な術につき合うのには慣れているのだろう、奴と烏は意外なほど精神集中の妨げにならなかった。
 表層意識から一段階、二段階と潜り、周囲の景気が全て去るまで沈み込んだ。脳裏には例の紋章だけを描く。額の中心、第三の目サーディーで見るように……円を外せば最も単純で凶悪な《嘗ての友》エルゼロキ、即ち混沌の主神を意味するから、描く順序を間違えるとやばい。
 金色の貨幣の山が魔力を放っている。どれがどれであるか判りかけたので、俺は更にもう少し意識を下げた。感知力が増したのかもしれない。俺としては少し鈍い方がやりやすいんだが……自分の中に深く入り込みすぎると外世界に気が回らなくなるから。端的に言えば、次の貨幣を取り上げようにも自分の手を動かせなくなる。
 貨幣の表面がつるつるの無印に見えるようになるまで意識を調節し、一掻きした山から次々に貨幣を取り上げては並べる。この作業を一気に終えて、俺はようやく意識を元に戻した。
 漠然としていた空間にチビと烏と木々が現れる。
 胡座をかいた足元を見ると、横一列に何枚かの貨幣が並んでいる。単純な調べ物だから読むのも楽な筈だ。
「……なんだ、すぐ近くだ。涼しい風。辺境。地下。ちょっと待て、白い……老人……もうそこにはいない。囲み。いや、人間……が囲んでいる。北。生まれた時。……ここからは要らないな、終わり」
 貨幣をふっと吹くと魔力の名残が消えた。顰め面でそれを逆から眺めている小男の額にある大きな黒子がぼんやりと目につく。
 世に名だたる、と爺ィは言ったっけ。
 そんなものになりたかったことは今まで一度もないし、多分これからもないだろう。あれは嫌味だ。いっそ逆なら是非とも手に入れたい。
 俺はアリナと知り合うことで無名になり、今こうして爺ィの弟子として過ごしている。昔の俺を見憶えている奴はもう殆どいないだろうが、どこかの記録には残っているかもしれない。昔俺の手にかかってくたばった奴らの子孫も生きているだろう。色々な理由で俺は手を汚した。
 このチビの「世界一」の基準は何だろうか。知識の量か、深さか、賢さか? 謙虚さでないことは確かだが、醜悪な記憶の量でもないだろう。
「涼しい風……」
 アールティオスが呟いた。
涼しい風の渦巻く地ブレイアードだろ、勿論」
 ブレイアードはつい先年、王を称した豪族エーリク・サザリスによって真っ先に占有された村だ。そこから北上して都市ザトリフに侵攻したこの魔法使いは、今やこの地方の大半を領有する勢力家となっている。そのうちベルヴィラに迫るかもしれないが、都の魔法使いどもがそこまでお気楽に待ち構えているかどうか。別に俺の知ったところではない。何しろ今俺がいるのはブレイアードの南(つまり都とは逆側の僻地)、見渡す限りの大森林、人口密度約二名という寒々しいところだ。ついでに言うとここらの木は木材にも燃料にも向いていないから、エーリクの興味を引くとは思えない。
「あの村は辺境フォートとも呼ばれている。符合はしているな」
「村の地下室に隠してあるか、埋めてあるんだろう。けど白い老人ってのは誰だ? もしかしてアリナか」
「確かに貴様の師という可能性はなくもないが」
 爺ィは《白鬚の賢者》ハープ・ウェラス・アルとも呼ばれることがある。あの変わった目の色の方がずっと有名だが。
「お前の師匠でもあるって言ってるだろ」
「エーリクが挙兵した頃までブレイアードの村長を務めていた老人が今ベルヴィラにいる。パルスト・ブリューといって、やはり白髪に長い白鬚だった」
「聞いたことないな」
「いつもそう素直に無知を認めれば良いのだ」
「……ああそうかよ」
「元はあの村の出身ではなくどこかの学士だ。気象学と地学が元々の専門だと言っていたな。村人がエーリクの側についたので追い出された。多分、彼の住んでいた家の地下あたりを探せということだろう」
 侵攻、と聞いていたが噂とは違うらしい。進んでエーリクの庇護下に入ったのか。そう訊くとアールティオスは頷いた。
「どちらも間違いではない。扇動されたのだ。パルストは成り上がりの村長、その地道な方針が気に入らなかった者が中心になった。ブレイアードは耕地に適した場所の少ない貧しい村だったからな……麾下に入れば宿場町として栄える、中継地点となるから交通も便利になる、男だけでなく女子供にもいい仕事がある、と。ああいう村の者を唆すのはたやすいのだ、不幸なことに。むしろ大半の者は喜んでエーリクの足元に身を投じたのだ」
 無表情に言って小男は立ち上がった。黒い学士の制服についた土埃をはたく。
「見当がついた。礼を言うのは見つけた後にする。これが無駄足なら貴様の無能が露見するまでだ」
「てめぇが勝手に解釈したんだぞ」
 奴はすたすたと歩いて行きかける。俺は貨幣を革袋に納めてしまい込んだ。
「待て雄鶏。てめぇが一人でエーリク陣営のど真ん中に入れるものか」
 人が囲んでいるところってのは、軍隊の駐留地ってことじゃないか。ブレイアードは前線への中継点でしかないが、無人というわけじゃない。烏を連れた子供みたいな顔の学士がのこのこ入れるものか。
「ついて来たいのならそう言え」
「俺が一人で行った方がよっぽど早ぇよ」
「価値の解らん者が持っていては無駄だとアリナも言っていた。それなら私が行くしかあるまい」
「俺が目を通してからなら、てめぇにだろうと爺ィにだろうと山羊にだろうとくれてやる。読むなり食うなり好きにしろ」
 アールティオスは少しの間考えていたが、やがて頷いた。
「いいだろう。さっさと案内しろ」
 

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 俺は言葉通りにさっさと案内した。つまりブレイアードのそれらしい家の中に直接転移したのだ。新しく建てられた倉庫やら簡易兵舎やらを別にすれば村で一番大きいやつだ。
 この地域の民家は冷え込みを防ぐ為に半地下になっている。つまり一階の窓が地面すれすれに位置し、二階は大方の場合、屋根裏部屋として使われている。俺達が転移した家はちょっとした村の集会なんかに使えるように二階も広く造られていたが、半地下からは階上の足音が微かに聞こえるだけだ。
「誰かがいる部屋に出たらどうするつもりだったんだ?」
 アールティオスが小言めいた口調で呟きながら周囲を素早く眺め回した。そうしたところで、どうせ動じもしないくせに。
「見計らって転移するのは常識。……お前、予断呪文使ったことないのか?」
「ない。転移転移と言うが、移動魔法とはどこが違うのだ」
 色々やばい経験しているくせに、何で無事だったんだ? こいつは。
「時間」
 小声で喋るのも煩わしくなって、俺はそう答えた。阿呆かこの賢者は、呪文構成から強度まで全然違うだろうが。直線を集めて曲線に近いものを描くのが移動魔法だとすれば、その曲線だけを描くのが転移魔法だ。抽象的に言っても(一番解りやすいのに)解らないならてめぇも爺ィの元で何十年か修業しろ。
 魔法使いの最高位たる賢者の称号を持っているくせに、こいつは魔法そのものに関しては無頓着だ。ハナから憶える気がないのは訊かなくても判る。傭兵として流れ歩いている戦魔法使いの方がまだ色々な呪文を持っているだろう。……ああ、賢者って何のことだろうな。爺ィに訊いてもその度に答えが違っていた。もしかすると単に性格が最悪の奴のことか?
 まあ魔法使いってのは知ってる魔法単語の数とか魔力の多少じゃないけどよ、一本の棒きれやほご紙の方がよほど使い道があると真顔で言ったことがあったっけ。それが爺ィのように魔法学を極めた奴なら嫌味にもなるが……いいけどよ、いいよ、こいつみたいのがやばい魔詩なんかいじりだしたら、学問の為とか言ってその破壊強度を実験しかねない。アールティオスが探検の果てにどっかの密林でくたばるなら世の中は平穏だ。
 そこは廊下の突き当たりにある小倉庫だった。湿った空気の中に黴や古い木や衣類の臭いが混じっている。アールティオスは積み重なっている木箱を覗こうとしたが、今にも砕けそうな脆さだったので止めさせた。上でうろついているのは兵士だ。駐屯軍の将校がここを使っているのだろう。
「お前、この家の間取りは?」
「全部は知らんが、まさか葡萄酒倉などではあるまい。寝室と書斎から始めてみよう」
「書斎には人がいるぞ」
「何人」
「二人」
 いきなり烏が低く鳴いたので俺はぎくりとした。このでっかい馬鹿のことを忘れていたのだ。アールティオスが小さく指を鳴らすと(発動条件を設定した固定呪文だ)烏の姿が消えた。村の上空に移したのだ。この辺りは季節風が強いんだが……凍えても知らんぞ俺は。
「ちょっと待て」
 身動きしかけたチビの肩を押さえて、俺は懐に手を突っ込んで貨幣を一枚取り出した。術なんか使わなくてもある程度のことは出来る。親指でなぞると数字が読めた。七十六番は……。
《書記》クセルツォ。書斎だな、多分」
「物書き部屋だったらどうする」
「こんな狭い家にあるもんか、そんなのが」
 廊下には誰もいなかった。まあ、ただの中継基地だし、ここの警備体制なら不思議ではない。
 アールティオスは不用心にもすたすたと一つの扉に歩み寄って、いきなり開いた。
 中にいた書記官か何からしい男二人が振り返ったのを見て、俺は思わず呪文を放った。二人はくたくたと床にくずおれる。言っておくが殺したわけじゃない。何時間か眠らせて、ついでに今見たものの記憶を抜き取っただけだ。チビの怪しい風体はもちろん、俺はやたらと人目を引きやすい(役に立つのは女を引っかける時くらいだが)ので、忘れてもらうに越したことはない。
 身の程知らずの雄鶏野郎がもうちょい常識的なら、扉を開ける前にそう考えて呪文を用意しておくだろ、当然。そういう呪文がなければ別の手を考えるもんじゃないのか。こいつは今までこんな調子でやってきたのか、それとも俺をあてにしていたわけか?(ありがたくて涙が出るな)。
 反射的に呪文を唱えるのは消耗激しいし、特に精神系呪文は失敗すると相手の頭に傷害残すかもしれねぇんだよチビ、てめぇもひよこ育ちなら学校でそう教わっただろうが。
「馬鹿か、お前」
 だがそう言ったのはチビの方だった。
「……怒る前に一応聞いてやる。どういう意味だ」
「単語六つの呪文など唱えられる者はめったにいない。それだけ高位の魔法使いが来るだけの価値を持つものがここにあったと知られるだろうが」
 大雑把に言うと、魔法単語は一つ繋げる毎に倍の魔力を消費する。だがとっさに相手を殺さずきれいに処理するにはそれくらい必要だろ、それとも何だ、こいつらの頭ちょっとばかり削ろうが塵にしようが構わなかったか? と俺はひどく理不尽な気がした。
「知られるとまずいか?」
「エーリクからパルストに追及の手が伸びる」
 何となく意外な気がしたが、口には出さなかった。
「……解った」
 俺は二人に別の呪文をかけ直すことにした。ちょっと探ってみると昨日、一昨日、一週間前、どうやら毎日変わりばえのしない優雅な生活を送っているようだから、ここ数時間も無駄口叩いて居眠りして帳簿をいじるふりをしていました、と。記憶をわざわざ捏造する間でもなく、思い出すことを忘れさせればいい。馬鹿丁寧でも粗雑でもない適度な呪文を拵えるってのは勘を要求される作業で、嫌いではない。
 最後に、その辺の魔法臭を丁寧に散らしておく。これに気づくほどの奴がこんな処に来るとは思えないが、念の為だ。大雑把な野郎どもとつき合っていると、自分が常識人に見えてくるから不思議なもんだ。
 処理を済ませてアールティオスを目で探すと、壁際の小書架に見とれている馬鹿が一人いた。
「……おい」
「あった」
「何?」
 そんな目につきやすい処に並べてあったら、いくら田舎魔法使いだろうとエーリクにだって分かるだろうが!
 だが小男が差し出した分厚い綴りの表紙には、確かに『破章研究』と手書きしてある。字を崩してあるのは魔法効力を持たせないようにしてあるのだ。もちろん中身も全部手書き。ああそうだっけ、アリナもそう言ってたよな、写されたことがないと。何枚かめくってみても公式や発音記号は見あたらず、あまつさえ魔法単語も使われていない。色褪せた文字が淡々と並んでいるだけだ。こいつは紋章研究なんてものじゃない。
 俺はそのひからびた埃っぽいやつをしばらくぼーっと眺めた。エーリクは多分、一度ちらっと手にしただけだろう。その時よく捨てられなかったもんだ……きっと良く燃えるだろうに。
「生まれた時というのは、ここで著されたという意味だろうな」
 落ち着き払ってチビは言う。
「……パルスト・ブリューが書いたってことか?」
「彼以外の者がここに住んでいたとは思えない。独身だったし。私の他にも何日かここに滞在した者がいないではないが、この筆跡は多分あの老人のものだ」
「ふざけんなよクソ爺ィ……」
 子供の頃、宿酔になった時の記憶が蘇ってくる。ちょうどこんな感じだった。
 チビは綴りを引ったくって冒頭から読み始めた。こうなると何も聞こえないんだ、この馬鹿は。鬱憤を晴らそうにも相手がいないとつまらんもので、俺は腹の底から溜息をつくことでそれに代えた。
「あ、帰る時アレムを回収してくれ」
 読みながらぼそりとチビが言った。
「……アレムって」
「烏」
 あの馬鹿にしたような鳴き声が聞こえたような気がした。
 

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 アリナはそれを受け取ると、ぱらぱらとめくってから視線を上げて俺を見た。
「次の課題はこれにしようか」
 ここに帰り着くまでには憤懣が消えてしまっていた。最初から何かあると腹を据えていたせいかもしれないし、アールティオスの態度が発見前と全然変わらなかったせいかもしれない。だが怒り狂っていたとしても、この爺ィの顔を見れば怒るのが馬鹿らしくなってしまっただろう。何しろこの爺ィは喜怒哀楽がはっきりした奴や破天荒な行動を取る奴を眺めるのが大好きなんだ、そんなのはとっくによーく解っている。
「俺は爺さんの日記を読む趣味はねぇよ」
 内容については推測がついていたが、わざとそう言った。
「素晴らしい研究書だろう」
 爺ィは実に楽しげだ。
「ジュエルホーン信仰や神話の成立過程まで遡って、破章文様の詳しい研究がなされている。彼は民俗学にも興味があるようだ。他の神々に関しても同様のものがあれば面白いだろうな」
「そういうのはアールティオスに任せておけばいいだろうが!」
「彼はお前が読み終えるのを見計らって受け取りに来るそうだ」
「あんた、これを読んだ奴は何とかって言ってなかったか?」
 アリナは軽く眉を上げた。
「言ったとも。エーリク・サザリスにはこの書は理解出来まい。あれは人物が小さい。お前はあれの二の舞になりたいのか?」
「二の舞って表現はエーリクより若い奴に使ってくれ」
「確かに、二の舞ではなく先達と言うべきかもしれないが……昔の話だろう?」
 クソ爺ィは穏やかに笑った。
 
 
 昔、今よりも更に阿呆だった頃、俺は強い奴が最上なのだと思っていた。なんだかんだ理屈つけても、魔力で劣る奴は俺に負けたからな。この爺ィ以外。
 アリナの持つ珍しい(そして禁忌中の禁忌の)魔法と言葉巧みな誘い文句に乗ったのも、こいつの知識を全部ものにしちまえば面白いと思ったからだ。そうすれば更に強くなる、負けなくなると。だから爺ィの魔力の限界が徐々に見えてきた頃には正直言ってがっかりした。もうここにいる必要はないと思ったからだ。……それでがっかりすること自体が以前の俺なら考えられなかった事に、気づかなかった。
 力押しで生きる奴はいつか力に負ける。そう頭で理解していたわけじゃないが、いつも何となく不安だった。負けるのが怖かった。けれどうち負かして欲しいと願っていたのかもしれない。醒めた暗い目でせせら笑っている昔の自分に今出会ったとしたら、素手で思いきりぶん殴ってやるだろう。俺にはまだ、爺ィのように言葉だけで癒すことは出来ない。
 やばい魔法の取引に耐えられず発狂した奴を殺した時も、魔力を強引にねじ伏せて倒した奴の身体を見下ろしている時も、勝利感はちっともなかった。相手より強い呪文を使った奴が勝つのは当たり前すぎた。
 そういう魔法には面白味がないと爺ィは言った。
 アリナは無益な殺生云々とほざいたことはない。無駄な敵は作るなとは言ったことがある。(無駄じゃなければいいらしく、彼は時々敵を作ってそいつをからかって遊んでいるように見えるが……気のせいか?)だから俺は貨幣術に手を染めたわけだ。
 古い時代には、魔法とは芸術だったそうだ。戦争すら外交官同士の優雅な論戦に始まって終わったという。そういうお気楽な人種はあっという間に衰退して、がさつでしぶとい連中が今は主流になっている。
 魔法文明が最も繁栄した時代とはそれを戦に用いずに済んだ時代のことだと、いつか爺ィの知り合いが悲しげに言っていた。
 力押しで勝つ必要はないのだ。そう聞いた時俺は何となくほっとした。そうして爺ィの弟子になって、いつの間にか何十年も過ごしていた。
 
 
 俺は木の根元に腰を下ろして古ぼけた綴りを受け取った。丁寧な字だ。アリナのそれのような流麗な筆跡ではないが、長いことかけて記されたものであることは判る。書き込みがないということは、何度も推敲してから清書したんだろう。紙はあの辺ではかなり高価だから、何か別の方法で。
 ブレイアード村の荒れた様子を思い出した。嘗て農地だった地面はかちかちに硬くなり、小石と枯れた雑草ばかりだった。女子供の姿は見あたらなかったと思う。輜重車の轍が乾いた土の上に深く刻まれていた。
 あの村の連中は、パルスト・ブリューを追い出してから少しでも幸せになったのだろうか。
 ざまぁ見やがれとは言わないけどな別に、自分の責任くらい自分で取れ。だがてめぇらが不幸になるのは勝手だが、子供はどうなるんだよ。その子孫もな。
 多分あの村はもうすぐ消えるだろう。ブレイアード、古くて由緒あるあの村の名前を俺は好きだったけどな。
 ふと目を上げると爺ィと目があった。何故かひどく後ろめたくなった。
「……これ、爺さんに返した方がいいんじゃないのか」
「借り受けても良いか尋ねてきたらどうだ?」
 アリナの声はいつもと変わらなかったが、俺がそう言い出すのを待っていたのだろうと後になって気がついた。
 

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 考えてみれば、辺境のそのまた片隅で一人の爺さんがこつこつ書いたやつのことが都で噂になる筈がない。アールティオスも騙されていたのか(チビは別に構わないだろうが)、それとも俺だけが一杯食わされたのかは知らない。どっちにしろ、この一件の首謀者はクソ爺ィだろう。
 パルスト・ブリューは予想していた通りの穏和そうな老人だった。彼はエーリクから離反した若い魔法使いの世話になっているらしいが、俺の見たところ、世話になっているのは若造の方だった。その若造も、もしかしたら昔の俺と同じように心細かったのかもしれない。この爺さんには、何となく人を安心させるところがあった。ブレイアードの村人がそれに気づかなかったのが不思議なくらいだ。気づいたとしたら、村長を失ってからだろう。
 老人は綴りを見て喜んだ。しばらく貸して欲しいと申し出ると更に喜んだ。多少はにかむように、そして愛おしげに表紙を撫でる老人の手は、長らくあの辺境で暮らした為か、農夫のそれのように荒れていた。
 あんたなら村を守れたか? 俺はそう訊きたかったが、その手を見てやめた。
 気象や地質の知識は戦魔法使いの呪文に対抗する為のものじゃない。耕す者に必要なのだ。そして実生活においてはパルストの知識の方が役に立つことの方が多いのだ……これはアールティオスの主義を認めたわけではないが。
 多分このパルスト・ブリューという爺さんが村長のままでいれば、村と村人を存続させる為に知恵を絞っただろう。人畜無害なこの爺さんをわざわざ無駄に殺すほどエーリクが馬鹿とは思えんから、ブレイアードはかつかつながらも生き延びたかもしれない。そして阿呆な野心家が前線でくたばった後も昔通りに暮らしていたかもしれない。
 それとも何もかも徒労に終わっただろうか。収穫を直前に控えた畑は焼かれ、種芋さえ徴発されて、離散するか餓死を待つしかなくなっただろうか……もしかすると、爺さんは居たたまれずに自分から逃げ出したのかもしれない。
 何も言わなくて良かった、と後で思った。生まれてこの方「力なき弱者」でいたためしのない俺には、爺さんや村人の内心など解らない。ただ考えるしかないのだ。
 

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「あの魔詩、ちゃんと完成させろよ、シュール」
 唐突にアリナが言った。
「……魔詩って?」
 尋ねてから気がついた。アールティオスが訪ねてくる直前まで研究していたやつだ。
「くれないって言わなかったか、あんたは」
「今は、と言った」
「……ああそう」
 それはとてつもなく美麗な詩のくせに、解いてみるととんでもない威力を持つ破壊系の魔詩だった。解いてみるだけなら別にいいだろう。音は綺麗な詩だ。
 もし俺に持たせておくには危険すぎると判断したなら、このクソ爺ィが俺の脳裏から記憶をきれいにこそげ取ってくれるだろう。いくらこの爺ィでもそういう馬鹿に魔詩持たせてそこら一帯破壊させて責任取れとは言わねぇよ、……多分な。
 騙してでも手に入れるとチビが言ったのは、多分それと同じ意味なのだろう。今のところはそう考えてやることにする。