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太陽と砂

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太陽と砂


 
第一章
 
 土は星の下で仄かに発光している。
 昼間の戦闘で使用された魔法力の名残りである。土を枯らしその生命を奪った引き換えとして、魔法力は乾いた月光のようなそれを残していく。その光はあまりにも弱々しく、まだ片づけられぬまま布袋のように散らばっている死者らはひっそりと闇の中に横たわっている。
 シュラクは立ち止まって耳をそばだてた。まだ息のある者が呻いたような錯覚に囚われたのだ。錯覚ではないのかもしれない。失神していた為に救護兵に助けられず、放置されたままでいる兵士がいたとしてもおかしくはない。
 だが、そんな重傷者を探し出してきて何になろう。明け方までには静かになる。
 あの岩影に一つ、爆破跡に二つ。シュラクは胸中で死体とも人間ともつかないそれらを数えてみた。両断されたものは頭部がついているものだけを数え、原形を留めていないものは大凡の一塊を一つとして。自分なりの数え方を彼は編み出していた。
 時には死体になりすましたセレグレーン軍の兵士が哨戒兵の通過するのを待っていることもあるぜ、というのは古参兵が新兵をからかう時によく使われる話だ。そいつらを見分けるのは簡単だ、怪しいと思ったらざっくり刺してみりゃあいいのさ……。
 怪しい人影を捕えてみれば、せっせと死体漁りに励んでいた地元民だったこともある。金目のものはとうに友兵の手によって持ち帰られているのを知りつつ、貧しい人々は衣類を剥ぎ、革帯を取り、靴を取る。衣服にちょっとした財産が縫い込んであることも少なくない。
 下級兵士、ことに傭兵上がりが闇に紛れてそのような仕事を行なうことも多い。哨戒兵に発見されたとしても分け前の幾らかを手の中に押し込んでやればすむ。従って交戦直後の夜間哨戒は危険だが悪くない仕事だった。シュラクは当番に当たった男から銀貨一枚でそれを引き受けた。無論、大隊長に知れれば営倉入りだが、見つかることはまずない。
「他人よりよく働いているだけじゃないか。腕利きで働き者の男を営倉入りさせるのは、わざわざ孕み牛を選んで屠殺するようなもんだ」
 そう公言した古株もいるという。
 つまり、それだけ手が足りないのだ。シュラクは無意味に死体を数えるのを止めずに考えた。
 
 
 小さな農村地帯の領主であったエーリク・サザリスは三年足らずでサザフ地方を統一し、王国を称した。ぽつぽつと農村集落が点在するだけであったこの地が瞬く間に近代的な軍事国家へと変貌したのは、徹底的に合理化した紅兵アルファークス(魔法兵)養成が最大の要因であると思われる。都市は軍事拠点として発展し、交通路の整備と共に商業が栄え、付随した様々な技術が急成長した。現代文明の驚くべき発展は最大都市ベルヴィラではなく《王国アル・ロードラント》の首都サザフベイルスに端を発した、と極言する者は少なくない。
 だが、エーリクの強引すぎる指導力は領土の拡張と共に敵対勢力を招いた。信頼されることは出来るが信頼することは出来ない男だ、と誰かが評したという……誰でも言いそうなことだ。畏怖されこそすれ敬愛されることは少ない、冷厳な男なのだ。
 彼はまずブレイアード地区をほぼ無傷で掌握したジェマイン・セレグレーンに疑いの目を向け、謀反を企てたという名目で処刑しようとした。エーリクは才知のありすぎるこの青年の台頭を怖れたのだと言われている。彼の腹心であったその若い魔法使いは王の野心的な指導力の崇拝者であり、処刑直前まで王の命令が撤回されることを信じて疑わなかったという。
 しかし彼の部下が奇跡的に彼を救い出し、ジェマインはベルヴィラに逃げのびた。数年後この青年は《南王サザフ・ロード》エーリクの敵対者として歴史上に登場する。
 《黎明公ニュール・ギルシルト》ジェマイン・セレグレーンは十七世紀における最も有力な君主の一人であり、エーリク・サザリスの最大の好敵手とされているが、その為人は意外なほど知られていない。後世の冷静な史家には「君主としては凡庸」と評され、必ずしも得意な軍事的或いは政治的手腕を備えていたわけではないとされる。同時代に《黒衣公アル・ダラネス》ディアス・ノルザや騎馬民族カラドの長ケサル・リン(二世)のような天才が存在した為もあろうが、領土の広大さや華々しい戦歴に比べて、彼個人の影は薄かった。
 だが彼の元に優れた人材が多く集まったのは事実である。エーリクから離反した者も少なくないが、特徴としては異様なまでに紅兵戦力に恵まれていたことが挙げられる。
 《黒雷卿ダルギルト》ジュレイ・マイトール、エル・ヴィゼアを双璧とした紅兵師団はサザリス軍にはなかった厳格な軍規を持ち、サザリス軍の狼籍乱行に悩まされていた各都市の民はこれを歓迎した。ジェマインの政治顧問として、ある意味ではジェマイン以上に信望を集めたパルスト・ブリューは、都ベルヴィラに本部を置く世界最大の魔法統制機関《ターン》からも一目置かれる存在となった。
 セレグレーン軍とサザリス軍の優劣が決定的に逆転したのは、一六一二年、《髭伯ハープ・アルフツァー》ディバール・アレノスがサザフ最重要拠点の一つローダンでセレグレーン軍に敗れ、都市もろともその麾下に加わった頃だ。エーリクはディバールと彼の擁する軍を失い、大幅に領土を削り取られたばかりではなく、その紅兵戦力がセレグレーン軍には遙かに及ばないことを暴露されたのである。
 彼は軍事面では確かに異能と評するべき才能を発揮したが、その性格は名戦術家の域を脱しておらず、政治家としては威圧的な為政者に過ぎなかった。また有能な部下は疑念を抱かれることを怖れ戦々競々としていた為に、兵士らは「国王がいれば必ず勝つが、いなければ運任せだ」と放言した。
 エーリクはまた外交政策でも失敗した。東方の《黒衣公》ディアスとの共同戦線は成らず、逆に都市クリュースを失った。一六一四年には首都サザフベイルスを手放し西遷を余儀なくされた。一六二一年現在、サザフ地方に残っている領土は僅かにエルトリード以南となっていた。
 
 
 エルトリードに陣を構えた国王の存在は兵士を安堵させた。数多くの欠点がありながらも一般の兵士はエーリクを畏敬し、時には軍神の如く崇拝してやまない者もいるほどである。広がりすぎた領土の為にセレグレーン軍が数の利を活かせず、この地における軍力は僅かながらサザリス軍が上回っていた為もあろう。二度の交戦が繰り返されたが、いずれもサザリス軍の有利に終わっていた。
 だが不安な情勢には変わりない。まもなくセレグレーン軍の後方部隊が到着するらしいという噂をシュラクは聞いている。傭兵上がりの兵士の嗅覚は敏感であり、時には敵陣にかつての知人の姿を見かけることもあるから、情報を入手することはさほど難しくない。玉石混淆の噂の中から真実を選び出すのは難しいが。
 勝ち目は薄いな、と彼は朧げに考えた。頭数ならこっちが多いが、魔法使いが少なすぎる。セレグレーン軍の援軍が紅兵師団だとしたら……。
 傭兵上がりの仲間の中には脱走する者も少なくない。土地や家族によって国王に束縛されていない為である。同僚の中にはシュラクの脱走を賭の対象としている者もいる。脱走するか否か、ではない。いつ脱走するか、である。シュラクに幾らかの迷いがあったとしてもその噂を耳にした時に消えた。今のところ賭はデニフィという男の一人勝ちであった。
「お前が稼がせてくれた分だぞ。負けた奴らの顔を見ながらだとまた格別だな」
 デニフィは何かの折にそう言ってシュラクに酒を振舞ってくれたことがある。久々に良い酒だった。一五九九年もの、つまり戦争が始まる前に仕込まれた最後の酒だった。
 
 
 
 
 交代の兵士は太緑草ブディーの根をくちゃくちゃと噛んでいた。檳榔びんろうの代用として出回っている嗜好品だ。シュラクは砂利を蹴り飛ばしながら番小屋に辿り着き、敷居の上に座っていたその兵士の脇腹を軽く突いた。くすぐったそうに唸って兵士は緑色の唾を吐いた。
「お前は得だぜ、シュラク。闇に紛れれば白目しか見えねえ」
 獣脂の燃える匂いが番小屋の中に丸く澱んでいた男達の体臭をゆるく取り巻いた。
「笑えば歯も見えるぜ。こいつが笑うとすればな」
「そっちの方が敵さんより怖え」
 使い古された冗談を言い合う男達を無視してシュラクは奥の小部屋に入り込み、横になった。目を閉じた途端に心地よい闇の中に落ち込み、ぼそぼそとした仲間の声が何か不思議な音楽のように静かに広がっていた。
 目を閉じても星空が見えた。
 天頂近くに昇っていた赤い二つの星。その下のきれいな三角形を描く三星とあわせて、《朱烙犀斗シュラク・シェイト》と呼ばれる、その星。朱烙が鮮明に見えるのは不幸の前兆だという。
 
 
×    ×    ×
 
 
 彼女はその荒涼とした光景に目を丸くした。平原を覆うものは微光を発する奇妙な土くればかりとなっていた。乾いた土の匂いに混じって腐臭も漂っている。彼女は当惑して傍らの青年を見上げた。
「お花畑は?」
 視界一面に広がる黄色い花々。黄日草イシャナというその名の通り、春先の優しい太陽を思わせる。摘み取ると白っぽい液が丸い茎の端から垂れてくる、その青臭くも甘い香り。手が染まるような緑と黄の中に身体を埋めると、花々の生命力が身体に注ぎ込まれるような感覚を覚えたものだ。平原は彼女一人の為に幾ら摘んでも尽きぬ花畑をいつも用意して待っていてくれた。
 しかし、この夜空の下ではそれらの思い出も幻のように思えてくる。
「朝になったら咲くのかしら」
 呟いてみたが、そんな筈はあるまいと彼女自身も承知していた。草花は踏みにじられ、根ごと爆風に吹き飛ばされ、土さえも粗野な手技によって枯れたのだ。万物の不思議、魔法の本質さえ知らぬ者達によって。
「酷いわ」
 傍らの青年は何も答えず、ほっそりとした白い手をひらひらと動かしていた。指が朧な白い蝶のように踊るのを楽しんでいるようだった。その優雅な姿は暗い大気に包まれ、夜そのもののように思われた。
「戦争が悪いのでしょう、この前会ったお百姓さんが言っていたもの。西の方のあの冷たいお爺さんと、北の方の疲れた男の人が悪いのね。どうしてそんなことをするのかしら。元通りに直せないなら、初めからお花畑以外のところで戦争すればいいんだわ」
 それぞれの方角を睨んで少女は言った。
「ねえ、あたしあの人達嫌いよ。王様だとか偉い人って名乗っている人達は嫌い。……あの馬に乗っている人達は別だけど」
「例の君のお気に入りだね、エニド」
「あの子は優しかったわ。とても綺麗な目をしていた。三尾猫サーフグレンのような。あたし花冠を作ってあげたわ。あの大きな黒馬が食べちゃったけど、きっとおいしかったのね」
 少女は小さく息をついた。
「どうしてあんなに早く死んじゃったのかしら」
「人の子は生き急ぐものだ」
「でも、あの子は今戦争をしている人達には似ていなかった。真昼の黄日草みたいだったわ」
 騎馬民族の少年の思い出に耽る少女の長い髪をそっと撫でて、青年は微笑んだ。
「そうしようと思えば、君はあの兵士の一人一人を黄日草に変えることだって出来る。王を称するあの老人は冷たい樫の木に、南の男は椈の木に。昨日会った老夫婦はまた畑を耕すだろうし、乳呑み子を抱えていた婦人は花を売って暮らしていくだろう」
「曾て人間だったお花なんて厭よ」
 そっけなく答えて、彼女はふと足元に屈み込んで歓声を上げた。貧弱な葉の上に蕾をつけた黄日草を見つけたのだ。まだ肌寒い風に耐えるように首をすぼめたその蕾を少女は愛しげに撫でた。
「どうしてこんな大きな蕾をつけたのかしら。葉っぱは萎びているのに」
「咲く為に生命を使い果たすつもりなのかもしれないな」
「ディズはすぐ酷いことを言うのね」
 温かい息を蕾に吹きかけてやってから、少女は立ち上がった。白い衣装がひらひらと揺れた。
「お日様が見たいわ」
 不意に彼女は呟いた。
「じきに朝だよ」
「今見たいの。昨日みたいなぼんやりとしたのじゃなくて、強くて激しくて、こんな厭らしい土くれなんか全部消し去ってしまうくらいのが見たいの」
 青年は声を立てずに笑った。憎らしげに彼を睨み、少女は歩みを早めて彼から離れた。青年がゆっくりとした足取りで追ってくることはわかっていたが、それさえも煩わしかった。
「太陽を引きずり出せばいい。もう一つ造るのもいい。君の好きな黄日草で造ってあげようか? 日の沈まぬ世界で君は今度は夜が欲しいと言うだろう。夜歌鳥や梟が恋しいとね。あの星々も月も君の花畑には劣るというのかい?」
 嘲るような優しい声に彼女は振り向かなかった。詩人の夢想はいつも残酷な結果を迎える。彼女がそれに気づいたのはいつであったか、以来少女は彼の提案を取り上げないことにした。
 ディズはそれを楽しんでいる。自分がこうして憤っていることさえ楽しんでいる。楽しむことが彼の本質なのだ……それだけだ。
 何故か悲しくなって彼女は唇を歪めた。涙が白い衣装の上を転がり落ち、地に落ちるとそこに小さな黄日草が芽吹いた。立ち止まった少女の足元に、小さくも輝かしい花をつけたそれらは次々に現れた。
 青年が彼女の傍らで密やかに笑った。
「もっと泣くがいい、リューヴァエニド。闇の姫君が咲かせた黄日草ほど可憐なものはない」
 彼女はしゃくり上げた。温かい涙が胸に落ちて、彼女はまた馬に乗った少年、人間の短い寿命すら全うしなかったあの友達のことを思い出した。
 
 
×    ×    ×
 
 
 イダル、と彼を呼ぶ声が聞こえた。彼を仇名でなくその名前で呼ぶ者はごく限られていた。目を向けると、それはやはり人懐こそうな顔立ちの金髪の青年だった。
「半分眠っているのか? お前。三晩続けて夜警なんか肩代わりするからだ。今日は正真正銘、イダルの番だぜ」
 シュラクは返事の代わりに洋袴の膝にこびりついた埃を弾き飛ばした。デニフィはその横に座り、直刀を抜いて磨き革やぼろ布を広げた。彼にはそれらを常に同じように畳む癖があり、片足を伸ばした上に刀を置く位置も屈み具合もいつも同じだった。
 彼に限ったことではない。自分で決めた些細な習慣を守り通すことが兵士の性質である。ある兵士は磨き終えた刀の柄を弾く癖があり、いつもの音が出なければ何度も弾き続ける。最後に啜る為に一口だけ飲み残した肉汁を誰かにひっくり返され、隣の兵士と刃傷沙汰に及んだ男もいる。
 どれほど高名な呪い師の守り札も彼らの小さな儀式がもたらす安心感には及ばない。それを破られた時の不安は、度々当人の死という形で現実となる。彼の隣の兵士は言うだろう、あいつは今朝洋袴をいつものように左脚から穿かなかったのさ!
「せいぜい腹括っておくんだな。今日は日が悪いよ」
「何が」
「俺の田舎じゃ今夜は闇祭りだ。つまり今年の運勢を精霊に尋ねるんだけど」
 デニフィはわざと生真面目な顔つきでそう言ったが、声には幾らかの真摯さがあった。シュラクは無表情に視線を外して剣の手入れを続けた。支給品の粗悪な直刀はとうに売り払い、ある程度満足のゆく剣を故買屋から買ったのだ。おそらく戦死者の持ち物だったのだろう。柄の巻革を替えただけで新品同様に戻った掘り出し物だ。
「俺の故郷にもあったな、そういうのは」
「へえ」
 デニフィは意外そうな声を途中で押し殺した。シュラクが故郷について語ったことは曾てなかった。戦災孤児であったと聞いたことがあるだけだ。
「火の近くから離れちゃいけないんだよな、一晩中」
「暖炉の側に寝かされた」
「そうそう。子供の魂を精霊が土産に持って帰っちまうから」
 デニフィは少年のように笑った。白皙の顔と見事な金髪のこの青年は、薄汚れたなりをしていても他の兵士とは毛色の違う存在であった。実際はごく普通の農村の出身なのだが、明るい青の双眸や屈託のない微笑みは、名家の末弟でもあるかのような錯覚を起こさせる。その印象を抱くのはシュラク一人ではないらしく、彼は多くの者に好かれていながら時に敬遠されもした。
 この青年に常と変わらぬ態度を取ることが出来るのはシュラク一人だと誰かがいつか言った。
「お前どこの出身だっけ?」
「トライル」
「え? ベルヴィラの向こうの? なあんだ、俺達すぐ近くで育ったんだな」
 デニフィが顔をほころばせて尚も何か言いかけた時、銅鑼が鳴った。昼食の合図だ。待ちかねていたように飛び上がって駆け出す者もいれば、いかにも古参兵らしく大儀そうに立ち上がる者もいる。
 慌てて磨き革を畳むデニフィを一瞥し、つき合いきれぬと言わんばかりに肩を揺すってシュラクは昼食を受け取る兵士らの列に加わった。デニフィの癖は何故か彼を苛立たせ、一旦それに気づくといまいましくさえあった。
 
 
 《今は静まれり、暗き時。精霊集い、篝火を囲み踊る》
 シュラクの脳裏にそんな文句が蘇った。呟いていたのは年取った女呪い師であったか。彼女が現れるのは祭りの前兆であった。子供達は彼女の薄汚れた白髪や古びた衣服に恐れをなしながらも、祭りの日の素晴らしい夕食や夜食に思いを馳せて胸をときめかせた。恐ろしげな呪いの文句の意味はわからなかったが、その不気味さは魅力的だった。
 《いずこより来たるや、御神の声》……。
 それとも《精霊の声》だったか。シュラクは首を傾げた。目は昨日の晩と同じように死体の数を数えながらも、彼の関心は視線の先ではなくずっと奥を探っていた。
 デニフィがおかしなことを言い出すからだ。
 西に広がる黒々とした森、発光する大地、砂粒のように撒かれた星。光は常よりも輝きを増し、闇は一つの巨大な生物のように息を殺しているような気がする。死体だけは変わらない。だいぶ除去作業がはかどったとはいえ、陣営からずっと離れたこの辺りには、まるで親しい友のようにそれらがシュラクを待っていた。
 彼らは実に静かだ。まだ残っているものは肉体の中身を思いきり良くぶちまけた奴やほんの一部ばかりだから、数える為にはまた新しい法則を作らなければならない時もある。だが彼らは生きている人間とは異なって何の干渉もしないし裏切りもしない。躓いたくらいでは怒りもしない寛大な奴らだ。
 そう考えてシュラクは思わずにやりと笑った。兵士達との猥雑な会話よりも一人笑いの方が遙かにやさしかった。
 シュラクシェイト(或いはイダル)という無愛想な男も、死体になれば物分かりの良い隣人として土ぼこりや死体の間に横たわるのだろうか。誰かが剣を取り、誰かが衣服を取り、デニフィは言うだろう。闇祭りの夜に明かりから離れたからさ、と。
 涼やかな風が吹いた。揺らすべき草の葉はなく、足元に横たわる頭蓋骨にこびりついた頭髪がほんの少し踊っただけだった。
 ふと顔を上げてシュラクは瞠目した。遠い森の方に明かりを見たのだ。焚火ではなく、おそらく手にした蝋燭か松明の。
 敵の斥候兵がそんな真似をする筈がない。だが付近の農民が戦場に近づくだろうか? もう収穫物は何一つ残っていない死の畑に。
 シュラクは剣の柄に触れてその感触を確かめた。番小屋に戻るよりも明かりの位置の方が近かった。それに、仲間に臆病者と謗られるのは厭だった。
 彼は足音を立てないように明かりへと近づいていった。
 
 
 
 
 昨晩に拵えた小さな花々の一つ一つを少女は愛しげに撫でた。花の中には淡い青色のものも淡紅色のものもあった。
「どうして色が違うのかしら? ディズ」
「その時何を考えていたんだい?」
 青年は頭を軽く傾けて揶揄するように微笑んだ。背中の中程まであるその黒髪の一房を思いきり引っ張って、少女は僅かに上を向いた鼻でそっぽを向いた。
「ディズのその笑い方、嫌い。あたしを子供扱いするんだもの」
「君はまだまだ子供だよ。力大き一族の中で君ほど若く純粋な者は他にはいない。末子とは最後まで末子なんだよ」
 少女は怒って彼の髪をぐいと掴み、笑いながら優雅に屈み込んだ青年を睨んだ。
「あたしに弟や妹がもっと出来ないとは言えないじゃないの」
 彼女の一族は血の繋がりを示す言葉を用いないのが常であるが、血縁などないくせに……女の腹から生まれたのではないくせに、彼女はそう呼ぶのが好きだった。
「君達はそうたやすく生まれるものではないよ、《砂君》クレス・クーン。世界に満ちる魔法力を全て掻き集めて漸く一人生まれるぐらいだろう。世界を枯らしたいのかい?」
「でも、だからといってあたしを小さい子供扱いしていいことにはならないわ!」
「だって弟達はあっという間に成人したのに」青年は無邪気そうに笑う。「君は成長したくないのだと思っていたよ、後に生まれたあの二人が先だなんて」
 口惜しがって少女は彼の髪を掻きむしり、上衣を皴になるほど掴んだ。踊るような仕種で青年は彼女の手から逃れた。
「どこかに行ってよ、ディズなんか!」
 彼女の命令通りに青年の姿は闇の中にふっと消えた。憎らしそうに彼の消えた辺りを睨み、まだその気配が漂っているような気がして掌で扇いで、少女は息をついた。
 彼女は花の側に腰を下ろした。心配そうに見上げている小さな花々に微笑んでみせて、彼女はまたそれらを撫でた。
「平気よ。何でもないんだから。ディズは子供のあたしが好きなんだわ。だからこのままにしておきたいんだわ」
 呟くとそれは真実のように思われた。立てた膝に顎を乗せて、彼女はそっと頭を揺すった。
 頭上で光の球がくるくると踊った。青年が呼び寄せた光の小精霊だ。震えるように淡い光。
「だってエニドは子供だもの」
 足元の花が甲高い笑い声を上げた。可憐を装った邪悪な響き、そのどれもがあの青年の口調の名残りを留めていた。次々と口真似するように嘲りが周囲の花々に広がる。
「エニドは可愛いから」
「癇癪持ちだよ」
「泣き虫だな」
「もっと泣いて僕らを増やしてよ」
「歌おうか」
「ディズを呼ぼうよ、ディズを。ねえ」
「何もわかってないくせに」
「笑ってよ」
 不意に声が止んだ。まるで水面に小石を投げ込んだように、花々は波紋を描いて砂と化した。
 少女は膝に額を押し当てた。出来る限り身を縮め、優しく触れていく夜風に耐えた。いつか青年に聞いた御伽話の姫君のように白い岩の中で眠れたらいいのに、と彼女は切実に願った。夢を見続けるお姫様、一本の青桜ブリュエナイツの巨木を話し相手にして……年老いた木はきっと素晴らしい友達になるだろう。
 ふと彼女は頭を上げた。足音が近づいてくる。用心深い足取りだが、獣達の軽やかなそれに比べれば人間の歩みはひどく粗野だ。
 光球が彼女の意志を受けて不意に動き、近づいてくる者に接近して照らし出した。その人間は不意を討たれて立ち止まった。
 少女はまじまじと彼を見つめた。肌の黒い人間を見たのは初めてではなかったが、彼のような黒樫色の人々はずっと北の暑い地方にいるのが普通だ。何故あんな不恰好な服を着ているのだろうと彼女は訝しく思った。彼ら特有の素晴らしく均整の取れた身体には、よれよれの垢じみた兵隊服はちっとも相応しくない。
 眩しそうに眉を寄せた青年は鑿で彫ったように高い鼻梁と薄い唇の持ち主だった。光を反射した白目の中心に血色の瞳が輝いているのを彼女は見、その荒々しさに驚いた。彼の頭越しの夜空に煌めいているあの二つの星にそっくりだ。
「朱烙犀斗だわ」
 思わず呟くと見知らぬ青年は沈殿した双眸で睨んだ。何か気に障ったのだろうか? 少女は一瞬ひるみ、おずおずと微笑みかけた。
「今晩は。あたしリューヴァエニドよ。貴方は誰?」
 
 
 シュラクは度肝を抜かれていた。真夜中に戦場の端で女に出会ったとしたら、と彼は無意識のうちに胸中で呟いていた。すっ飛んで逃げるか、神の名でも唱えてみるか、銀貨一枚払って楽しむか? だがこの娘はどう見ても薄利多売の女神様には見えないし、息子の死体を捜しに来たお袋さんでもない。
 だが彼は内心を面に表わさなかった。思考が働かない代わりに彼はおうむ返しに呟いた。
「リュ・ワエニド?」
 首を振り、彼女は丁寧に繰り返したが、その発音は彼には難しい。少女は諦めて小首を傾げた。菫のような双眸だ、ひどく幼い。そう、まだろくに喋ることも出来ない幼い子供のような目をしている。
「貴方は?」
「イダル」
 ぼんやりと視線を離さずに彼は答えた。思わず本名を言ったことに気づいたのは後になってからだった。
 少女は嬉しそうに手を叩いた。
「ぴったりだわ、がっしりとした岩山みたいだもの。貴方によく似た岩山を知っているわ、その後ろから朝日が昇る時、お日様の光が岩山で二つに分かれて帯みたいに広がるのよ」
 小柄でほっそりとした少女だ。麦藁色の長い髪、白いふわりとした衣装。むきだしの首筋から鎖骨にかけての白さは、まるで日の光や荒々しい風に晒されたことがないかのように滑らかだ。夜は彼女の肌に清らかな青みを添えている。小さなふっくらとした手、まだ堅そうに小さく膨らんだ乳房。高く澄んだ声は春宵の夜風よりも軽く、はっとするほど清爽である以外の印象を抱かせなかった。
 それらを見て取ってからシュラクは我に返って彼女の言葉を反芻してみた。
「何で岩なんだ」
「だってイダルだもの」
 意味のわからぬ返事を返した少女に何か言い返そうとして、彼は愕然とした。身体中に熱湯を浴びたかのように皮膚がひきつれた。それは痛みに近かった。
 目に見えぬ巨大な波紋が、彼女を中心にして広がっていく……見る間に自分という存在が縮まり、砂粒よりも小さくなっていく。
「イダル?」
 身体の芯から細波のように痙攣が沸き起こってくる。何だ、これは? 彼は視線を剥がそうと息をつめた。俺は一体何を相手にしているんだ?
 呼ばれた瞬間に魂を取り戻した。目の前にいるのはただの売春婦や農婦ではありえなかった。気まぐれに戦見物に訪れた豪族の姫でもなかった。否、人間ですらなかった。
 闇祭りの夜には……。
「イダル」
 その瞬間に恐怖が打ち勝った。凝固した筋肉を地面から引き剥がし、彼は全力で逃げ出した。唖然とした少女が尚も呼ぶ声が聞こえたが、それを聞くまいと彼は走った。両脚が独りでに弾むように地面を蹴り続け、やがて調子を狂わせて地面の上に転がった。剣の鞘が音を立てた。
 精霊なんている筈がない。
 頭の中で彼は繰り返した。そんなものは年老いた魔法使いや詩人の戯言だ。喋る剣だの放浪し続ける呪われた男だの人語を解する獣だの、そんなものが実際に存在した例はない。伝説や御伽話が事実なら、この世は強大な魔法使いや王子王女や邪悪な神で溢れている筈ではないか。生憎生まれてこのかた、そんなものに出会ったことはない。精霊なんて御伽話の中で魔法使いの魔法をちょっと手伝うだけの奴らじゃないか、そんなものが実際にいる筈がない。
 ……なら、あれは何だったんだ。
 彼は起き上がった。頑丈な肺は常のように静かだった。頬についた土を払い落としてシュラクは頭を振った。
 そもそも、魔法を使えない自分が魔法の気配を感じ取れる筈がないのだ。デニフィが言った通り荒稼ぎをしすぎたのだ。さっさと交替して眠る、それが一番だ。多分あれはどこかの呑気な御令嬢だったんだろう。供とはぐれて迷っていたのかもしれない。
 知ったことか。真冬ならともかく、今は春先だ。せいぜい風邪を引くか野犬に襲われるくらいだ。
 野犬の群れに食い殺される少女の姿を想像してシュラクは憮然とした。だが多分その前に供が彼女を見つけるだろうし、野犬もおとなしく転がっている死体の方を選ぶだろう。
 それ以上考えまいとして彼は立ち上がり、腰や脚の土を払って歩き出した。
 じゃあ、あの飛び回っていた明かりは何だったんだ?(考えるなよ、阿呆)。ただの娘だとわかっていれば楽しめたかもしれないのに、何をうろたえていたんだ? 俺は(デニフィには絶対に言えないぞ)。あんな風に声をかけてきたんだから、もしかすると狂っていたのかもしれないな。どっかの金持ちの娘でさ。惜しいことをしたかもしれない(じゃあ戻れよ)誰が戻るもんか。
 胸中で自問自答しながら番小屋の明かりに向かって歩き続け、彼は思わず吹き出した。自分は発狂したのではないかという、奇妙にも楽しい想像を思いついたのだ。
「何か面白いの?」
 不思議そうに尋ねる声に気づいて彼は飛び上がりかけた。あの小柄な少女がすぐ脇を歩いていたのだ。彼が立ち止まると彼女も脚を止め、悲しそうに彼を見つめた。
「あたしが怖いの?」
 思考がどこかに吹き飛んだまま、彼はこくりと頷いた。
「どうして?」
 それを説明するのは難しかった。目が痛くなるほど見開いてシュラクはそれを考え、漸く声を絞り出した。
「段違いの……力が」
「ちから?」
 リューヴァエニドは目を見張った。夜風がその軽やかな髪を薄絹のようにそよがせる様を彼は小さく口を開けて見つめていた。恐怖さえ忘れていた。周囲は交戦を終えたばかりのように音一つなかった。
 やがて少女は何か思いついたらしくぱっと顔を輝かせた。
「わかったわ!」
 彼女の小さな両手が自分の右手をそっと包むのをシュラクはぼんやりと眺めていた。少女の手は想像通りに柔らかく、ほんのりと温かかった。
「あたしが怖くなければ友達になってくれる?」
 ふと彼は訝しさを覚えた。彼女は何をしているんだろう?
 彼がそれ以上考える余裕を与えずに少女は彼を見上げた。秀でた額の清らかさに心うたれた。
「あげるわ」
 彼女はにっこりと笑った。
 
 

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