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蓋星水滸伝ギャグ番外:黄信日記

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蓋星水滸伝ギャグ番外:黄信日記


■○月○日 快晴

 早朝、慕容知府から秦明将軍に使者が来た。あのオッサン人騒がせだからな、また焚火を見て火事と間違えたとか何とかじゃないか。いつも早トチって俺達が迷惑被るんだ。褒姒ほうじ を笑わせる為だけに狼煙を上げたというバカ王と大差ないぜ。慕容知府がボケるのはどうでもいいけど、その為に走り回るのは俺達なんだ。毎回それを真に受けて頑張る秦明将軍、大丈夫かな、いきなり走り回って血管切れないといいんだけど。

追記:やっぱりガセだった。将軍はえらいご機嫌ななめで帰ってきた。剣に曇りがあったと怒られた。そりゃ手入れさせるのは副官である俺の責任だけどさ、将軍剣なんてめったに使わないのに。それにしても狼牙棒って凶悪な武器だよな、斬るよりよほどグロい。叩き潰すというより、将軍くらいの腕力になるとクリーンヒットすると顔半分くらいなくなるんだ。うげ。


■○月○日 曇天

 今日もまた慕容知府から召喚。秦明将軍、懲りるってことを知らないらしい。この前そう言ったら「そのようなことで軍人が勤まるか。良いか、軍人の敵はまず何より惰性と怠慢と驕りなのだ! 呆れた奴だ、毎日何を学んでおる」とさんざん説教を食らった。いや、ガセ情報で呼びつける時の使者の態度見れば本当かそうでないか判るって。この前なんか『儂の屋敷に賊が侵入した!』と騒いだのに、実は奥さんのヒステリーで家具めちゃくちゃになってただけだもんな。使いの豎子の奴、笑いを押し殺していたぞ。なのに俺が怒られるって割に合わないと思う。

追記:今日のはニアミス賞。例によって慕容知府が水賊と間違えたのはただの釣り船だったけど、調べが終わって帰ろうとした時近くで平頭車にぐるま同士の事故が起きて、交通整理と事故の片づけに俺達が役立ったわけ。普通やらないよ、軍がこんな仕事……でも将軍の命令だし、脚を怪我した婆さんからお礼に桃をもらった。まあ、たまにはボランティアもいいか。たまには、だからな。


■○月○日 晴れのち曇り

 今日の訓練鬼のように辛……なので今日はもう寝る。


■○月○日 晴れ・にわか雨

 来たよ恒例の慕容知府の「大変じゃ」。と思ったら今回はもしかするとガセじゃないかもしれない。何と清風塞の劉知塞から急使が来たそうだ。ピンときて秦明将軍のお供をして知府の元に出向くと、驚くなかれ、あの花栄が謀反に連座しているらしいとのこと。
 マジですか!
 つーか、あの親の七光りだけで知塞やってるおとなしげな青二才の軟派っぽい顔の弓しか取り柄のないなのに女に妙に絶対タラシだあいつ、っていう花栄が? そんな甲斐性あるようには見えないけど。
 将軍はまたもや真に受けて考え込んでいる。
 劉高って俺会ったことないんだよな、そいつも知府と同じでいい加減なデマで騒ぐタイプだったりしないか? それともあれか、一応同僚なのに花栄が妙に若すぎるから嫌っていて讒言とか? 文官が武官を讒言したらまず巻き返す見込みないからな……って、俺は別に花栄の肩を持っているわけじゃない。俺と大差ないのにいきなり知塞だもんな、羨ましいっていうより肩の荷重そう。それに清風塞なんて官っていうより地方の有力者に近いだろ、事実こうやって世襲しているわけだし。何十年経っても栄転出来なさそう。やだね、俺は秦明将軍の下で武功を立てて将来は枢密の切れ者になっている予定だ。ま、将軍が順当に昇進してくれれば俺はその幕僚としてついてくだけなんだが、将軍って戦では無双に強いのに上とのつきあいが下手だからな。辛いぜ、幕僚としては。

ところで花栄の件はどうなるんだろう。いきなり捕縛ってわけにはいかないし。話だけでかくなって中央送りにして、もし無実だったら慕容のやつ責任転嫁するぜ。何たって妹が貴妃だもんな、罪になる筈がない……とするととばっちりを食らいそうなのは将軍。だよな。
 ここはひとつ献策といきますか。


■○月○日 快晴、のち雨

 秦明将軍を何とか説き伏せて、将軍の代わりに俺が出向くことに成功。へへんどうだこの三寸不爛の説得の巧さ。ところで何で三寸不爛って言うんだろうか。いくら使ってもただれない舌ってことか? それだけ鍛えてるって? 舌を? ……意味不明。
 清風塞は青州から百里ほど離れた、こじんまりとした感じの町だ。俺が青州城の町並を見慣れているからかもしれないけど、雑然としていてガキらがうるさく走り回っている。兵士達の服装もちょっとだらしない。それでいて青州内ではかなり治安はいい方だから不思議だ。いや、数字からすれば普通なんだけど、兵士が起こす騒動が極端に少ない。それだけ軍をうまく管理しているってこと……いや、先日も書いたように花栄は小規模の地方軍閥だから部下の忠誠心が高いんだろう。なーのーにー平均して普通ってことはかっぱらいや盗賊が多いってことじゃないか。製塩工場とかあるしな、ゴタゴタしているからやむを得ないとしても緝捕使臣けいさつは文官の劉高の管轄だからそっちの能力が下ってことに……いや、それだけとは限らない。花栄がその父の後を継いだのは最近のことだぞ、花栄の代になってから急に悪化しているのかもしれない。ふん、若すぎるトップっていうのはやっぱり考えものだ。それ以前に軍閥化しているのが悪いと思うな俺は。帰ったら秦明将軍と議論してみよう。

 劉高と対面。出向いてきたのが若僧しかもただの幕僚で偉そうな肩書きなしだったのがお気に召さなかったらしい。俺が若いのは俺のせいじゃないって。やむを得ず秦明将軍の名前を大いに利用させてもらうことにした。こういう威張り腐った馬鹿は暴力と自分以上の肩書きにとことん弱いのだ。
 劉高の第一印象。絵に描いたような悪代官。何故この季節に汗をかく……一月だぞ。握手の習慣なくて良かった。絶対脂でべとついている。こいつの悪事の尻ぬぐいやらお膳立てやら賄賂工作やらは嫌だな、こいつの部下じゃなくて良かった。慕容知府はまだましだったのか。
 劉高の話を要約すると、花栄は日頃から不審な者と親しくつきあい、手紙を取り交わし、軍の規律を緩め、上官を蔑ろにしていたという。(最後のは無理もない)。町の者は花栄贔屓ばかりで、自然と劉高への風当たりも強くなる。(税つり上げてるんだから当然だ)。あまつさえ、花栄の屋敷は劉高のよりもずっと広い。(代々ここに住んでいるんだから当然だってば)。
 長々とそんな愚痴を聞かされて閉口していると、劉高は思い出したようにとんでもないことを言い出した。
「しかしついに儂は尻尾を捕まえてやりました。あの青二才め、何と清風山の山賊と誼を通じていたのです。証拠も掴んでおりますぞ!」

 三山の一つ清風山の山賊は凶悪で知られている。
 その頭領の一人、《白面郎君》鄭天寿の仲間が花栄の屋敷に出入りしているのだという。
 ……中傷にしては具体的すぎる。これはもしかして本当に?


 俺は花栄という男が嫌いだ。
 満足に学問も身につけられずに何とかここまでやってきた俺に比べて、花栄はあまりにも多くのものを持っていたからだ。無論、単なる妬みだということは判っている。もっと馬鹿な二代目は都にいくらでもいるだろう。
 けれど、それらの幸福な連中のうち俺が最初に会ったのが花栄だから仕方ないじゃないか。幸せに育った坊ちゃんオーラを振りまいて、誰もがその父親に「いい息子さんをお持ちで羨ましい」と褒め、父親も満更でもなさそうな顔をして……むず痒い光景だった。一緒にいるとその場の空気に染まりそうで嫌だ。顰めっ面をしていたらしく、後で秦明将軍が何だか気を遣ってくれたような気がする。将軍に同情されたのが一番こたえた。
 花栄の父と将軍は懇意にしていたので、俺達が顔を合わせる機会は割とあった。花栄にしてみれば将軍からの使い走りに過ぎなかっただろうが、俺は花栄がその父の供をして清風塞内を巡察したり、武術の稽古を受けているのをよく見かけた。
 言葉を交わしたのはほんの数回だ。それも挨拶やごく些細な質問をされたくらいで、会話というほどではない。けれど、苦労せずに育つとこういう男になるのか──と奇妙な感慨を覚えた程度の印象は受けた。
 先行きに何の不安もないんだろうか。悪名高い三山を抑える為に設けられたこの清風塞で、のほほんと育つ方がどうかしている。
 花栄の父は良い軍人であり良い人だったが、何年も前に賊と交戦した時の負傷の為に、ひどく身体を損なっていた。見た目は頑健そのものだったが、激務に耐えられる体調ではなかったと思う。そして文官との折り合いも悪かった。(俺の知る立派な軍人は文官のあしらいが下手な人ばかりだ、全く)。彼は息子に知塞としてどれほどのものを遺訓として残したのだろう。
 花栄は凡庸……とまではいかない。花栄は確かに人を引きつける雰囲気が備わっていた。武芸も人並み以上こなすし、救いのない馬鹿ではない。多分。
 だが、それらは年齢からすれば、だ。指揮官としてはあまりにも頼りない。部下が生命を預けて戦いたいと思う指揮官は、例えば秦明将軍のような威厳を持つ老練な男だ。(勿論俺も論外だ。そこまでうぬぼれていない)。花栄のような若僧に知塞が勤まるのだろうか?
 そう思っていた矢先にこれだ。
 馬鹿じゃないのか、あいつは。ただでさえ年齢というハンデがあるのに、軽々しく怪しい奴とつき合うなんて。だから劉高みたいな蝦蟇のアブラ爺いにまでつけ込まれるんじゃないか。
 この、馬鹿者が!
 秦明将軍ならそう雷を落としているところだ。


「それで、証拠というのは」
 真剣な顔で頷いてみせると劉高は得意そうにそっくり返った。
「実は先日、儂の家内が山賊に襲われかけましてな。無論、儂の名を出すと震え上がって逃げていったそうですが」
 おいおい、あんたの方が山賊とつるんでるんじゃないのか? こういう地方の塞って官と賊の癒着多いからな。
「さすがは知塞殿の御高名ですね。それが清風山の?」
「そうとも。その賊の中にいた者を元宵節に家内が見つけまして、さっそく捕縛したところ、そやつが花栄の屋敷から出てくるのを見たという者がおりましてな。一旦は花栄の奴めによって奪い去られたのですが、手の者を張り込ませておいたところ、見事一人捕まえてやりました」
 鼻高々と劉高が呼んだ夫人は、まだ部屋に入ってこない時点でも判るほど脂粉をぷんぷんとさせたケバ女だった。劉高と似たようなデブを想像していたけど割と見られる顔だ。少なくとも化粧している限りでは。けど、何だよこの品の悪いコマダムみたいのは。
 夫人はX線みたいな視線で俺を一瞥した。何だガキか、という顔。……早く帰りたいぜ俺。
 間違いありませんともあたくしの目は5.0ですのよ云々の、最初の8文字以外大して内容のないお喋りを聞かされた挙句、やっと放免された。今日は厄日だ。

 ああそうだ、捕まえたというその「証拠」にも会った。これは肩すかしだった、何故ならそれは人相の悪い山賊野郎ではなくほんの孩子だったからだ。だいぶ拷問で痛めつけられたらしくボロボロになっていて、今にもくたばりそうだったから慌てて食事と手当をさせたくらいだ。馬鹿だ劉高、こいつが死んだら証拠がお前ら馬鹿夫婦の証言だけになるだろうが。
 花栄の為にはこの孩子が死んだ方がいいのかもしれないが……いや、もう「仲が悪い知塞と副知塞」のレベルじゃない。万が一こいつが山賊とは無関係だったとしても花栄の挙動は行き過ぎだ。奪回したって? お前らもしかしてただの喧嘩をエスカレートさせていっているだけじゃないのか?
 一応尋問はしてみたが、孩子はぐったりとしていてろくに喋れなかった。小綺麗な格好でおとなしそうで、どう見ても山賊の下っ端という雰囲気ではない。別の奴を捕まえたか、それとも劉高夫妻の申し立てがそもそも事実無根なのか、段々判らなくなってきた。
 それにしてもひどい有様だ、手当てした部下によると骨まで何本か折れているらしい。それとなく皮肉ると劉高は、これは元々だ!と息巻いた。こんな怪我人が元気に歩き回って祭見物していたっていうのかよ。
「それにしても、よくこんな孩子を憶えていらっしゃいましたね、奥様のご慧眼には畏れ入ります」
「いやなに、印象に残っていたのはその脇にいた女だそうだ。儂の家来が申しておった」
 劉高の惜しそうな表情からして相当な美人だったと聞かされたらしい。エロオヤジめ。
 清風山の山賊は女をよく拐かす。もしかするとこの孩子は山塞から逃げて花栄に救いを求めた、ということも考えられる。いや、それじゃ辻褄が合わないな、花栄が劉高から奪回したということはやはり親しい間柄の筈だし、もし山賊から逃げてきたなら公然と山賊討伐に乗り出すのが務めだ。
 ああもう、何でこんな馬鹿馬鹿しいトラブルに飛び込んじまったんだろう俺。秦明将軍なら一喝してこいつ黙らせて、花栄の尻でも叩いて終わりじゃないのか? とりあえず今の時点ではガセネタに一票。
 けれど一応やることはやっておかないと。
 いくら劉高でも俺の前ではせいぜい花栄と罵り合うくらいだろう。(そりゃ面白そうだ、劉高ってのは日頃は偉そうにしているがお前の母ちゃんでべそくらいは言いそうだ)。人騒がせな花栄にもお灸を据えてやらないと。
 もし花栄が本当に山賊と癒着しているとしたら……その時は、俺が捕まえて護送してやるのがせめてもの情けってやつだ。


■○月○日 雨時々曇り

 俺が出向いて劉高邸まで誘い出したら、花栄はむちゃくちゃあっさりと捕まった。やだな、こんなことで俺に後ろめたさを覚えさせるとは花栄、お前あの怪我だらけのガキと一緒のレベルだぞ。
 一年ぶりの再会だった。あと2センチくらいでこいつの身長越すんだけど花栄は相変わらずすっとぼけた顔をしていたが、それでもまあ、幾らか知塞っぽくなったかな。手枷をかけられた状態でそう評するのも何だけど。俺と劉高への問いかけが「どういうことだ!」ではなく「あの孩子は無事か?」だったのはちょっと感心した。お前、ちょっとは肝が据わったみたいだな。
 花栄が言うには、あの孩子は花栄の遠縁で劉丈といい、元宵節の燈籠見物に来ていたそうだ。最初に奪回する前に劉高へと宛てた書状にもそう書いていた。
 それを聞いた劉高は小躍りせんばかりだった。何故って、あの孩子が張三という名前であることだけは尋問(拷問だろ)で聞きだしていたからだ。
 花栄……やっぱりお前はただの坊ちゃんだ。口裏くらい合わせておけ。

 ちょっと失望したような、むしろ見直したような。
 少なくとも花栄は安穏と日々を送るだけではなく、自ら事を企む程度のバイタリティは備えていたのだ。……あっさりと露見したけど。

 速やかに州城に護送してそこで本格的に取り調べることにする。秦明将軍がどんな雷を落とすか。いや、将軍の髭がしおしおと萎れるのはあんまり見たくないんだが。
 牢内の花栄と、格子越しに暫くたわいのない世間話をした。


■○月○日 みぞれ

 書きたくない。






















 花栄のいんちき野郎! 汚ねーぞこの、……騙された!!

 花栄と劉丈だか張三だかを護送する途中で襲撃された。
 襲撃したのは清風山の山賊御一同。何でこんなに速く話が伝わっているんだよ。こっちの警備に抜かりがあったわけじゃないぞ、なのに兵はばたばた倒れるわ劉高はすっ飛んで逃げてそのまま消息不明だわ花栄は素手で手枷割るわ……おい、その軟派な顔で何でそんな力あるんだよ。昨日はわざと捕まったな?
「悪いけど、もう宮仕えは飽き飽きした。ちょうどいい機会だから出奔する」
 ぬけぬけとそう抜かして、おまけに「良ければ一緒に来ないか?」だと。馬っ鹿かお前。都仕えってお前、まだやっと一年くらいだろうが。残された家族はどうするんだ。
 しかし清風塞に帰ってみれば花栄の屋敷はもぬけの殻。
 兵士達は痺れ薬を盛られていたことが判明した。
 劉高がいない今(生きちゃいないだろう)、これ全部俺の責任になるわけだよな……いや、俺肩書きないから将軍の責任? 都に伝わるとかなりヤバいことになるよな? 将軍って絶対上にいいコネないから譴責や左遷じゃ済まない。



 ……将軍、こうなったら俺のやることは一つです。
 お互い家族いないのがせめてもの幸い。ずらかりましょう。


「おい黄信。これお前んだろ」
 差し出されたものを見て黄信は顔から血の気が引くのが判った。晁蓋は何事もなかったように蒋敬から回ってきた紙の束を眺めている。
「あのー塞主。これ読みました?」
「でなきゃ誰んだか判らねぇだろうが。せめて表紙の裏にでも名前書いとけ」
 泣きたい思いで黄信は冊子を受け取り、吐息する。
 あの時の孩子がまさか梁山泊塞主・晁蓋だとは誰が思うだろう。ましてや自分、そして秦明将軍までもが落草の果てにここに落ち着くとは。
「あの時は、大変申し訳なく……」
「いや、色々参考になった」
「は?」
 晁蓋は細筆を置いて卓上に脚を投げ出した。そんな孩子じみた行儀の悪さがまだ年相応なのだと、思い出したように黄信は気づく。塞主がずっと年下の孩子であるということに慣れるまでは時間がかかったが、一旦認めてしまうと全く気にならないものだ。
「何故あの時花栄が捕まったのか判らなかったんだ。その後ずっと忘れてた」
「は? だから、親類の劉丈と……」
「俺は奴に張三と名乗ったぜ」
 晁蓋は憮然とした。
「同姓の者であれば劉高も多少手加減すると考えたのでは?」
「あの怪我は武松のせいであのガマオヤジのせいじゃねぇ。むしろ殴ったら死んじまうだろうとブルッてたぜ、あそこの奴ら」
「……はあ」
「つまり、わざと俺の名前を間違えて捕まるような真似をしたってことだろ。あいつが」
 黄信は晁蓋に倣ったように顔を顰めた。はっきりとした言葉を返せないのは黄信自身が何より嫌う態度であるが、頭の中を晁蓋の言葉がぐるぐると回るだけで考えがまとまらない。
「俺はもう少しあいつに粘らせるつもりだったんだが……あの時点で花栄が出奔したのは誤算だった」
 もう少し昇進すれば軍内から工作を進めて云々と、晁蓋は何やら不審なことを呟いている。
「しかし、それなら花栄が密かに準備を進めれば良いだけの話ではないでしょうか。何故わざわざ捕まるというリスクを?」
 晁蓋は顔を上げてにやりと笑った。
「お前を見込んだんだろ」
「……はあっ!?」
「秦明もだな。お前らみたいに頭が固いのを軍から引っ張り出すには、本人の意志を変えるよりも軍から追い出されるよう仕向ける方がたやすい。お前にしてみれば屈辱かもしれねぇが」彼は腕を組む。「俺はへろへろしていたし呉用は王矮虎に目ェつけられるし、花栄に出くわしたのは偶然だ。奴が腹決めて計画を立てるまで殆ど時間はなかった筈だぜ。もしかして俺が劉高にとっ捕まったのもあいつの計画のうちか? ったくヤな野郎だな。だが、あの時点では俺は晁蓋なんてまだ名乗ってなかったんだが」
 ぼやいてから、晁蓋はいつまでも突っ立っている黄信を怪訝そうに見上げた。
「用はそれだけだ。そんなもん落とすな、誰に読まれるか判んねーぞ」
「あの……これ読んだの塞主だけですよね?」
「拾ったのは花栄んとこの部下だ。字は読めねぇが上官の名前くらいは判ったそうだ」
 安堵しかけた黄信に晁蓋は続けた。
「その上官の名前が随所に出ているから花栄のだと思って持っていったってさ」
「……読んだんですか」
「さあ。俺のじゃないって俺んとこに回してきた。直接お前に手渡すよりはいいだろうと思ったらしいぜ」
「何か言ってました?」
「何故天気を書くのかって不思議がっていたな、そういえば」
 黄信は途方に暮れて冊子を見つめた。今更焼却処分にしても遅いだろう。
「……塞主。その憐憫混じりのにやにや笑いはやめて下さい」
「考えてみりゃあいつ一人の出奔のせいで何人被害被っているんだろうな? 無自覚な台風の目って怖いもんだ」
「全くいい迷惑ですよ!」
「そーかい」
 それきり晁蓋が事務に戻ってしまいそうな気配だったので黄信は慌てて付け加えた。
「いや、結果的には……ここの方が俺に合っているし」
「フォローいらね。ま、あの暴走野郎がいつまでも軍にいたらえらいことになっていだろうからあれで良かったのかもしれねーけど」
「あんな優しげな面してんのに」
「見る眼ねぇな小猿。あいつの目はおっかねーぜ」

「晁蓋? 公孫勝が……」

 房を覗き込んで呼びかけた花栄と黄信の目があった。それぞれの表情を塞主は面白そうに眺めている。
「ああ黄信、悪いけどそれ中ちょっと読んだ。名前書いていなかったから。晁蓋、公孫勝が見つからないんだが何か頼んだか?」
「あのクソ道士におつかい頼むならそこらの狗にでも頼むぜ」
「随分な言われ様だな……」
 苦笑して、花栄はふと首を傾げた。黄信に視線を戻し、困ったような顔をする。
「黄信。一応訂正しておくけど」
「な、何だっ」
「俺、お前より6つくらい年上だと思うよ。確かに背は追い抜かれたけど」
 今ではのっぽの部類に入る黄信を見て笑いかけ、彼は頭を引っ込めた。
 房に残された二人に暫し沈黙が下りる。
「俺、やっぱりあいつ嫌いです」
「その表現が苦手って意味なら俺も同感だ」


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