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蓋星水滸伝2 孤吼9

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蓋星水滸伝2 孤吼9


 


第四章
 

 孔明こうめいは練習用の棒を握り、その重さを確かめてみた。妹はより重く長い棒を持ちたがるが、彼は自分が支障なく使えるうちで三番目に重い棒を選んだ。それでもまだ、棒を操っている気はしない。操られているのは自分の方だ。
 幾らか武芸を嗜むといっても所詮はほんの手慰み、児戯に等しい。子供の頃に少し手ほどきを受けただけで、今では妹のりょうが三度に二度は勝つ。哥哥にいさんは欲がなさすぎるんだ、というのが亮の言い分だった。
 自分が無欲だとは思わないが、覇気がないとは思う。村人から慕われる父と闊達な妹との静かな暮らし。そろそろ嫁取りをと族父らしんせきが時折思い出したように話を持ちかけるが、伯父上の宜しいようにと素直に答えると、気がないと思われるのか話が立ち消えになってしまうのが常だった。別に好きな娘がいるわけでもなし、ただ父によく仕え妹を可愛がってくれる人なら誰でもいいのだが。
「そんなことを俺に訊かれても答えようがねぇぞ」
 自分がいつの間にか庭石の一つに腰を下ろして客人相手に無駄話をしていたことに孔明は気づき、急に可笑しくなって笑った。客人は向かい合うように置かれている苔むした石に座り込んで脚をぶらぶらさせている。
「そうだよね、晁君が相手だとつい、いろんなことを喋ってしまうんだ」
 十か十一か、もう少し上か。妹よりも更に年下の孩子こどもだ。ひどく生意気な孩子で頭の回転の速さはおとな顔負け、喋り方は粗野だがただの小生意気な豎子とは違う、まるで老練さに裏打ちされたような不思議な雰囲気がある。青州せいしゅうにいる親戚を訪ねに行く途中だというが、旅慣れているのか、訊けば様々な風物について話してくれる。この孩子の話を聴いていると、この白虎山はくこざんの住まいに満足している孔明でさえ、旅もいいなと思えてしまうから不思議だ。
 しかし、嫁を取るだの取らぬだとのという話をするにはまだ早すぎる。
「ま、いいけどな。こっちはタダメシ食らいだ、お前の人畜無害な戯言くらい訊いてやるよ」
 晁蓋は山猫のように鋭い目を細めて笑った。一体どう育てばこういう子になるのだろうと孔明は思う。
「晁君本当にこれから清風塞せいふうさいへ行くの? 幾つも山を越えるよ。冬の山をなめちゃいけない。本当に物騒だし──」
「熊、出るかな!」
 唐突に孔明の肩越しに話に加わったのは、晁蓋の連れのうち年下の方だった。孔亮と同い年くらいの端麗な少年で、道士見習いだと言われてみれば成程、その浮世離れした雰囲気も頷ける。
「ど阿呆。熊より虎だこのへんは」
「そうだよね、熊は冬眠するって聞いた。寝る前にたっぷり食べて蓄えるんだって。凄いね、胃腸が独立しているのかな? 外付け?」
 はいこれ見つけた、と公孫勝が手渡したのは数本の赤茶けた古釘だ。ちぎれんばかりに尻尾を振って飼い主を見上げる子犬を見たような気がして、孔明は自分の失礼な連想に思わず咳払いした。
「尋常な生き物ってのはお前ほどデタラメな造りはしてねぇ」
 晁蓋は古釘をこすり合わせて錆の具合を確かめている。
「オレ冬眠出来ないよ多分。楊志さんなら出来るかもね、生辰綱しまっていたし」
 二人の意味の判らぬおかしなやり取りに孔明は笑った。
「青州には虎はそう多くないんだよ。虎よりも山賊の方が多い。虎といえば晁君達の友達の、あの赤い髪の人が話してくれたのは凄かったねぇ。あの人にももっといて欲しかったな」
 晁蓋がちらりと厳しい表情になったことにも気づかず、孔明はまだ手にしていた棒の表面を磨くようにさすった。
景陽岡けいようこうって孟州だっけ」
「ああ」
「虎の多そうなところだものね。でも、人が虎を殴り殺すなんて本当に出来るんだろうか」


 景陽岡にその巨大な虎が住みついたのは、去年の春頃だという。
 ──白額の老爺。
 虎、という言葉さえ禁忌とされるほど恐れられた。
 虎の額には王の字に似た斑があるのが普通だ。しかしその虎にはそれがなかった。甲を経て紋が抜けた、それだけ長く生きているのだという。されば、目も弱り牙も抜けかけた老虎であるかといえば、それも違う。老爺というのは畏敬の意味だ。獰猛な猪さえ戯れのように倒し、そのまま道端に置き去りにしていた。傍らに巨大な足跡を残して。
 ──老爺は人間の目を持っている。
 人の表情を読み、心を読むほどに老獪なのだという。あれはもはや獣ではなく虎精、妖孼ようげつ(あやかし)だという者の言葉を笑い飛ばす者はいなかった。退治を依頼された地元の猟師らは十のうち四、五は帰ってこない。大勢で分け入ってみれば、影も見えぬ。あの巨体が低木一本も折ることなしに森の中を徘徊するのだ。
 危険を冒してでも景陽岡を行き来しなければ妻子が飢える、そうして命を落とした者もいた。二、三十人が殺された頃には、ようやく官札が立てられた。峠を越す者は隊伍を作ること、巳・午・未ひるま以外の通行は禁止。
 少人数で旅をする者は峠下の酒店に泊まって峠越えの連れを待った。お上がわざわざ注意書きをしたほどの被害が出ているというのに、それを無視する愚か者はいない。
 ──ただ一人以外は。
 それは、垢にまみれ、襤褸をまとった行者であった。


 ただの乞食でないことはその墨色の衣で知れた。一言も口はきかなかったが、鉄の戒箍はちまきと頭髪の下からのぞく双眸は静かに澄んでおり、数多くの旅人を見てきた酒店の亭主も黙って彼を迎えた。苦行を自らに課す修験道の者であれば奇行奇態は珍しくない。やつれてはいるがごく若く丈高く、綻び始めた袖口から覗く手首は逞しかった。杖代わりの棍棒は護身用でもあるのだろう、しかし物騒には見えなかった。
 ──あれは儂らの苦難を見かねた、明王様の仮の姿ではなかったか。
 亭主は後にそう言った。
 そうでないことは承知していた。勝手に明王だの菩薩だのの恩恵とするのは、あの行者に申し訳ないではないか。
 だが、亭主も猟師らも、官兵らに問われた際には生真面目な顔でそう言った。官兵らに告げた行者の姿形はでたらめであった。尋ねた側の都頭らも地元の者、目と目のうちに頷き合って、虎は老いて崖から転落したのだと報告された。
 ──儂らの大恩人を売るわけにはゆかぬ。
 それでも噂は伝わる。講釈師は酔って虎を打ち殺した痛快な好漢の物語を語る。《打虎武松》、元宵節の頃に毎年やってくる旅芸人らが演じるその物語を、後々まで景陽岡近隣の民は誇らしげに楽しんだという。
 楽しい祝賀の宴会の度に亭主一人は、あの行者の沈鬱な双眸を思い出す。


「でもさ、どうしてその人が虎を退治したって判ったの? 誰も見てなかったのに」
 公孫勝が小首を傾げた。
「折れた杖が虎の頭の傍に落ちてたんだとよ」
 半分に折れた棍棒。逆しまにそれを握り、杭を打ち込むように虎の頭に叩きつける手。
 何度も何度も。
 血に染まった獣の頭部。牙の間からも双眸からも血が流れた。
 断末魔の獣の叫び声。
 それを掻き消すほどに響いた声もまた、人の声とは思えぬ咆吼だった。
「食われちゃったんじゃないの? だってその後誰も行者さんを見てないんでしょ?」
「虎はハラワタぶちまかれてんだよ。食われてりゃ判る。尤も飛び散った臓物はあちこちの枝にひっかかってたらしいから、まだどっかにぶらさがってる可能性はあるがな」
「晁君、それ生々しい……」
 猟師らが腰を抜かした、その惨状。
 ──半月前に張蒙方邸で十五人を殺した、その遣り口と似ていたからといって、それが儂らに何の関係があろう? あの行者殿は儂らの恩人だ。
「劉唐って訊くのホント上手いよね」
「すげぇ強い酒が名物の酒店らしいんだが、そこの亭主が酒に弱いってのも笑えるな」
 巨大な獣の眼球を抉り出して岩に叩きつけても、自分を見つめるその視線は変わらなかった。嘲笑い、懇願し、なじるように。両手は乾いた血で変色し、冷たい風が肌を切り裂くように吹きつける。
 道を下れば陽穀県だ。ようやくそれを思い出した。帰れば兄に会えるような気がしていた、だが、
 ──こんな手で、
「──さん」
 不意に呼ばれて視線を上げると、落日色の硝子のように透明な双眸が覗き込んでいた。
「……何だよ」
「一つ思いついたんだけどね。実はその行者さんこそが虎だった! というのはどう?」
「誰が殺したか余計にわかんねぇ」
「えーと、空中分解?」
「そんな器用な真似が出来んのはお前くらいだウスラボケ」
「……いつも思うんだけど晁君の思うところの勝君って何者?」
 あの男には、こうして現実に引き戻してくれる仲間がいない。
 あれは、一人だ。


 喉が渇いた。
 舌を舐めてもざらりと乾いた感触しか感じられなかった。砂埃の味。赤土の道の上が白茶けているのは人が通るからだ。
 人とすれ違う。顔を覗き込まれる。
 ちらりと想像しただけで気が重くなった。親切に声を掛けられても煩わしい。話しかけられれば苛つく。喧嘩を売られた方がまだいいが、ちらりとこちらを見ただけで無法者らは舌打ちしながら去っていく。
 あいつらには判るのか。
 俺がひとごろしだと。畜生だと。
 どくりと胸の奥で熱く鳴る。
 がらんどうの筈なのに、ひたひたと血が満たされる。ごっそりと抉り取られた内臓、まだ脈打つ。殺されたのは誰だ? 血の臭いがする。
 獣道のような細い道が目についた。きっと、向こうに行けば人に会わない。足は自然とそちらに向いた。
 十数歩も踏み込めば周囲は暗く、静まりかえった。ただ自分が不格好に歩く物音だけが聞こえる。
 足の下で小枝が折れる。
急な勾配に、脚を藪の中に突っ込んだ。窪地らしいがまだ目が慣れていない。
じきに日が落ちるだろう。昼なお暗いこの森は暗黒に包まれる。闇の中は、まだましだ。
 どこかで水音が聞こえる。
 狩りのようだ。俺が獲物だ。
「は──」
 笑い、だろうか。


×    ×    ×

 
 市場の飯屋に挨拶を済ませて帰ってきた陳達は市場で買い込んできた細々としたものを広げている。塩の塊、乾貨かんぶつ、唐辛子、新しい砥石、膏薬。肉は何日も前に買ってきてよく煮てから干してある。麻鞋ズックの裏には革を二重に縫いつけた。旅支度は出来る限り丈夫な布で仕立て、綿を入れ、隠しには小粒の銀を入れた袋が入るようになっている。これは更に二重底になっていて、こっそりと取り外すことも可能だ。楊春がこのような細工が上手くなってしまったのを見るにつけ、陳達は何やら悩んでいる。
「いいよね、あんたみたいにどこにでもいそうな顔の男は。なまじ美貌を持つと苦労するよ。ああ外を歩きたい」
「男のなりをすりゃいいだろうが」
「全然似合わないんだもの。だったら似合う衣装の方がいいじゃない」
「そんならぶつくさ言うな、お嬢さんを見ろ」
 朱武は楊春と共にほとんど一月もの間、陳婆の家に隠れ住んでいた。幸い、緝捕使臣らが追っているのはけだもののような凶悪犯であり、か弱い小娘ではなかったから、万が一陳婆の家を捜索されたとしても、手伝いの娘が二人いるのを見つけただけだ。けろりとした顔で朱武はそう説明し、楊春と陳婆を手伝って繕い物などしていた。気が気でなかったのは陳達だが、彼も何食わぬ顔で一月もの間市場で働いていたのだから自分でそう思うよりも図太い。
 歌の上手な娘、蕭玉蘭は哀れにも殺されたものと思われたらしい。鴛鴦楼と耳房となりを繋ぐ廊下には玉蘭の血まみれの片袖がひっかかっていた。焼け落ちた鴛鴦楼の瓦礫の中からは、誰ともつかぬ遺骸が次々と掘り出され、その幾つかはばらばらになっていたから何人が死んだのかも定かではない──自室で震えていた召使いによれば賊は一人であったというから、屋敷内の人数から生き延びた者を引けば全て死んだものとみなされた。
 施恩については不問であった。彼女が連れてこられるのを目撃した者も連行した男らも全て武松に殺されたから、彼女がその場にいたことを誰も知らなかったのである。
 尤も彼女はそのような凶悪な囚人を店で働かせていたのだが、武松を引き立てていったのは張蒙方なのだから責任はない。新たに赴任してきた団練と兵馬都監はそう見なした。施恩の父である典獄がたっぷりと心付けを渡していた為もあろう。施恩については、朱武はそれきり忘れることにした。彼がその娘の名前を思い出すのはだいぶ後のことだ。
 旅の荷物をもう少し小さく出来ないかと工夫していた楊春が、手を止めて小さく溜息をついた。
「あの人、どうしているでしょうね。可哀想に」
 陳達には別の意見があったが黙っていることにした。あの夜、朱武が連れてきた巨漢に優しい声をかけて手当てしてやったのは、この娘だったのだ。
 ──言ったじゃない。貴方は強いのだから、こんなことをしてはいけないと。
 恐れもせずに、血まみれの手を取ってそっと洗っていた白いちいさな掌。
 変装させたのは朱武だった。とある処──何故朱武がいかがわしい故買屋まで知っていたのかは不明だ──に遣られた陳達が戻ってきた時には墨色の衣服を一揃い、戒刀や鉄の戒箍まで添えた包みを持っていた。大きさサイズが合うのがこれしかなかったというが、額の金印を隠すのにちょうど良い。髪を梳かして切り揃えると、着替えさせた彼らも驚くほど様変わりした。
 けれど、彼は一人で行ってしまった。
 あの人は自分を殺しにどこか山の中に向かったのかもしれない。そう楊春は思ったが、何も言わずに見送った。
 武松は重罪人。いつ暴れるとも限らない哀れな狂人。その彼を陳達や朱武とは引き換えられない。
 自分ら可愛さに武松を見殺しにした。
 可哀想に。そう呟く権利などないのだ。
「お嬢があれだけ言い聞かせたんだから当分はおとなしくしているんじゃない。別に人殺しを楽しんでいたわけじゃなさそうだったし、それらしい噂も聞かないしさ。何か訳ありだろうけど僕らが首を突っ込むところじゃないよ」
 第一もう一月も経ってるしねと、朱武は懐から取りだした書きつけをぱらぱらと捲りながら唸っている。文字ではなく、地図や何かの図面らしきものが細かに記されている。文字なら何千語であろうと一度で暗記してしまうのだ、この少年は。
「幸い僕ら手を汚さずに済んだからまだこれは要らないと。嫌だな何で年々こういう伝手つてばかり増えるんだろう」
「てめぇの性格の悪さのおかげでな」
「僕の用心深さのおかげでしょ。願わくば開封あたりに落ち着きたいものだね、冬だし長旅は嫌でしょ二人とも」
「そうね──」
 楊春は微笑んだ。賑やかな東京よりも静かな田舎の方が好ましいが、朱武はこれからきっと勉強したいだろうし、仕事を見つけるにしても都の方がいいかもしれない。どこでもいいのだ、この二人がいれば。
「さ、明日はもう出立ね。おばあさんと会えなくなるのは寂しいけど」
 楊春は陳婆に笑いかけた。皺だらけの老婆がますます顔を顰める。泣き笑いらしい。
「火が消えたようになるねえ」
「落ち着いたら便りを寄越すから……」
 けれど不思議なことに、あの武松という人と訣別したような気はしないのだ。


×    ×    ×

 顔を真っ赤にして土の上にへたり込んだ者、のびた仲間に顔を蹴られてもなお動こうとしない者。最後まで勇ましい声を張り上げていた王二は、しかし肩を突けばへなへなと尻餅をつきそうだ。孔亮は構えを解いて棒をとんと地面に突いた。稽古の終わりの合図だ。王二はふらふらしながらもまだ何か呻いている。
「うん、頑張ったな王二」
 青年はやっと腕を下ろした。指先までひくひくとまだ痙攣している。ここまで疲労困憊しておきながら翌日にはけろりとしてまた稽古の相手をするのだからしぶとい。木伴哥でくのぼう)と仲間には呼ばれるが、孔亮は王二と本名で呼ぶ。稽古の相手としてはてんで駄目だが、情けない顔をしながらもへこたれないその気概が気に入っているのだ。王二が熱心に武術の稽古をする真の理由については気づいていない。本当に強くなりたいのであれば、教え上手な孔明の元に行くだろう。ここにへたばっている連中は皆が皆、不純な動機で孔亮の相手をしている。
「今日もありがとうございました、亮小姐さん
「ん」
 孔亮は上気した顔でにこりと笑った。眉の濃い、凛々しい若者のような雰囲気の少女である。王二がうっとりと見送るうちに、彼女は軽快な足取りで屋敷の裏手へと消えていった。
 白虎山の保正の娘。気だては良いし、色白の良い器量だ。歳は十四。問題は、彼女が誰よりも強いということだ。
「誰が婿になんのかな……」
 王二は踏み固められてぺたりとつぶれた枯草をいじりながら溜息をついた。その傍らでは気絶した仲間の太鼓腹に押し潰されて身動きの取れない男が悪態をついている。
 白虎山の自警団と称する彼らの日常だ。


 屋敷の裏手には川がある。谷川からちょろちょろと流れてくるそれは澄んだ冷たい水で、屋敷の厨房と浴場で使うには充分な量だ。竹と石瓶で水飲み場をこしらえたのは父の父である。
 孔亮は石瓶から水を掬ってほてりが消えるまで顔を洗い、固く絞った手拭いで顔を拭った。苔で見事に覆われた石瓶の中には白い顔が映っている。以前は肌脱ぎになって水を浴びたものだが、さすがにこの歳になるともう出来ない。袖を捲ってざっと拭き、首筋を拭い、裾も膝あたりまで捲って拭いて、ふと何気なく頭を上げた。
 以前こんな時に、藪の中から覗いている男と目が合ったことがある。その後痴漢は叩きのめされた上に谷川に放り込まれた。彼女ではなく、怒鳴りつけた孔亮の声を聞いて駆けつけた兄がしたことだ。孔明はおっとりしているようで、いざとなるとなかなか頼もしい。
 今回は誰もいなかった。
 栗鼠でもいたのかもしれない。孔亮はふと笑った。栗鼠が落とした団栗が、ぽとりと頭の上に落ちてきたことがある。あれには驚いた──。
 その時、暗い森の奥で何かが動いたのを彼女は見つけ、動きを止めた。  猪や熊ではない。ずっと大きい。
 あれは。


 めりめりと生木が割れて倒れた。
 獣と、目が合った。

※木伴:木偶のこと。→参考(元代雑劇『賺蒯通』註)

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