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Wellas Ar ph saits-1

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賢者の石


 
 
 ──お前の名前は母さんにつけてもらおうと思っているの。
 子供が素晴らしい悪戯を思いついたような顔で彼女はそう言った。
 ──でも、そうしたらお前、あちこち旅しては何にでも首を突っ込んで、この家には寄りつきもしないかもしれないわね。それも淋しいわ。
「会ったこともないじーさんばーさんの癖がうつるとは思えないけど?」
 ──そんなことはないわよ。お前、自分のお父さんの顔も知らないけれど、頭の後ろで手を組む癖とか、桃の煮たのが嫌いなこととか、おかしいくらい似たじゃない。
 あの人の両親のことだって……あたしも知らないけど、でもお前の中に感じるわ。懐かしいと思えるの。ずっと昔一緒に暮らした人達のように。
「俺は俺だよ」
 ──ええ、そうよ勿論。お前はお前以外の誰でもないわ。けれどあたしとあの人、その両親達、皆を受け継いでいるのがお前なのよ。
 
 嫌だよ。
 俺は皆の寄せ集めじゃない。誰の代わりでもない。
 俺は、もっと、違うふうに──。
 
 
×    ×    ×
 
 
1.
 
 
 石壁の残骸の狭間からは西の平野が見える。デュノー軍がこの要塞を占拠するまでは張出櫓だった代物だ。戦闘によって破壊され、代わりに木造の物見櫓が作られた。いずれ修復されるだろうが、今のところそれで充分事足りている。
 その向こうには数日前までは弱々しく葉を広げていた木が爆風に根こそぎ引き抜かれ、白っぽい土の上に横たわっている。僅かに生えていた草も枯れ、風が吹き散らした。
 魔法戦──植物の生命力を奪うほど大量の魔力を放出した戦闘が行なわれたことを示す、殺伐とした光景だ。
 要塞の正面の塁道には交信基地が設置されている。基地といっても石畳の四隅に移動魔法用の指向補助触媒を埋め込んだだけの簡単なものだ。交信兵フォルター──移動魔法を専門とする高級通信兵が要塞内に所構わず出現して混乱が生じるのを防ぐ為に、今ではどの軍も基地と呼ばれる場所を設けるのが慣例となっている。
 基地の傍らの衛兵所にいた兵士の一人が立ち上がり、宙に現れた記号を読み取った。もう一人の兵士が頷く。
「エレアザルの発着信号だ。二人」
 交信兵の発着は短い信号によって先触れされることになっている。これもまた、近代化した魔法戦によって発達したシステムだ。
 まもなく交信基地の石畳の中心に人物が現れた。黒髪の小柄な交信兵だ。やや背の高い誰かを伴っている。先触れされていた兵士らは、しかし、その連れの方を見てぽかんと口を開けた。
 こんな最前線には相応しからぬ、妙齢の美女だったのだ。化粧気はなく、見事な金髪は無造作に束ねられているが、しみ一つない白い肌は軍人のそれには見えなかった。さりとて血を見れば失神する深窓の令嬢とも思われない。非の打ち所のない美貌には深い知性の色があった。
 きらめく宝石のような碧の双眸が兵士らを見つめ、にこりと笑う。機能的な軍服はデュノー軍高級将校のものだ。
「御苦労様」
 茫然としていた兵士らは慌てて敬礼した。冷やかしの口笛を吹く者はいない。
「アルフォール殿をお待たせしたかしら?」
「は、いえ、お待ちかねです」
 出迎えに出ていた若い兵士が耳朶を赤く染めて奇妙な答えを返し、ぎこちなく先導してゆく。他の兵士らは美しい来訪者が要塞内に歩いていくのを無言で見送った。
「……いい尻してんなぁ」
 姿が見えなくなった途端に誰かの呟きが洩れた。誰もが同感であったらしく、顔を見合わせてにやにやと笑いあう。
「よう、エレ。誰だ? あれ」
 交信基地警備の初老の兵士が、彼女を連れてきた小柄な交信兵を見下ろした。
 交信兵は赤く染められた革の胴着を着ているのですぐにそれと判る。元来、移動魔法だけを専門として習得した、導士リアダと呼ばれる奇形的な能力の魔法使いのことだ。魔法の最高機関である《塔》の末端に属する導士を、いわば傭兵として借用したのが始まりであり、現在では各国や地方ごとに大小の養成機関が設けられている。
 多少融通もごまかしも利く戦闘員とは違い、正確さと信用とが問われるが為に養成機関でみっちりと訓練されなければ認められない専門職だ。要人の送り迎えや警護、重要な通信を行う為に魔法以外にも様々な教育が施される。
 身元も能力も確かな筈であるが、エレと呼ばれた交信兵はひどく若く見えた──おそらくこの要塞内の誰よりも若い。否、幼いといってもいい。金属片を縫いつけた幅広の革帯を額に巻いた、まだ十代前半であろう少年だった。
 描いたように形の良い眉の片方を上げ、彼は漆黒の双眸でにやりと笑った。一見少女のように繊細な顔立ちであり、頬の線もまだ優しいが、不思議なほどおとなびているのはこんな前線に勤務している為か。
「リアナ・ルフェ・フェリオナマート」
「フェリオナマート?」
 《跳ねる馬》フェリオナマート、それはデュノー王家にきわめて近しい家柄の姓である。
「そ。お姫さん。年くってるけど」
 お前に比べれば誰だって年食ってるわい、と初老の衛兵は呟いた。
「仮にも陛下の従妹殿が、何でまたこんな前線に?」
「監査だって」
 
 

 
 
 監査官と聞いた瞬間、寝転がっていた青年の頭が腕からずり落ちた。逆さまにエレアザルを眺めてからくぐもった笑い声を上げる。
「そいつは御苦労なこった……監査。へえ、監査ねえ。何の」
 デュノー軍の軍規は緩い。連合国家から独立を宣言してからまだ二年目のことだ、軍は傭兵上がりが多くまだ白兵(通常兵)と紅兵(魔法兵)が分離しておらず、部隊編成もかつての傭兵部隊がそのまま持ち上がったままであるのが大半だ。前線ともなれば更に混乱しており、それを捌くのは専ら部隊長の手腕一つにかかっている。
 このダノイ要塞司令官である《段鼻》アルフォールはその好例であった。嘗て野戦上手で物分かりのよい腕利き傭兵隊長として知られていたアルフォールは、軍規破りを楽しみにしているとの評判だ。それが兵士らの間での人気を高めている。
「この前あんたが起こした色恋沙汰の件とか、クルフがやばい薬で商売してるのとか、その辺じゃない」
 交信兵はにこりともしないで答えた。
「女や薬ぐらいでいちいち騒いでいられるかよ、死人が出たわけでもねーのに」
「あの女どうなったの?」
「知らね」
 そう言っておきながら、シュールは淡い水色の前髪をかき上げ、うっすらと紫に染めた毛先を眺めている。
 エレアザルは鼻で笑った。
「気にするくらいなら最初から手を出すなよ」
「るせぇ」
「ぴんぴんしてたよ。顔の傷も治ってたし、新しい旦那も掴まえてた」
 数秒後、彼はシュールにがっちりと掴まれた脚を何とか外そうともがきながら笑っていた。
「ひでーな、折角見てきてやったのに」
「おとなをおちょくるのもいい加減にしろよなぁ? この性悪豎子」
 少年をくすぐるのをやめず、青年は唇を曲げて笑いを堪えている。
「親切なら親切らしくしろっての」
「照れ隠しなら他の方法にすれば!」
「まだ言うか、お前」
 ひとしきり笑い転げた後、エレアザルは色白の顔を上気させて床に寝転がった。
「何調べに来たんだろうね」
 ぽつりと呟いた少年を見下ろして、シュールは忘れかけていた会話の発端を思い出す。
「やっぱり別の目的があるわけか」
 でなければおかしい。軍服すら身につけていなくても非常時として許される前線で、監査官が武器の磨き具合や塁道の草の刈り具合を調べても無意味だ。そんなことは子供ですら信じない。
「万が一本当に監査だったとしても、なんで王族のお姫さんが来るわけ? こんな前線までさ? 突出してるわけじゃないけど危なくなくもないのに」
「何ぃ、お姫さん?」
「すんごい美人。絶対肘鉄食らわしそうだけど。やめといた方がいいと思うね」
「そーじゃなくてよ……お前、何級だっけ」
 要人の輸送と警護を兼ねるからには、言うまでもなく相当な能力を必要とされる。
「二級」
 感嘆するより呆れてシュールは寝転がったままの少年を眺めた。
 《塔》が定めた魔法使いの階級制度はほぼそのまま傭兵の階級となっており、正規軍でも基準とされている。魔法使いの基準では知識と能力に重点が置かれるが、傭兵や正規兵では信用もものを言う。(例えばこの青年は能力的には充分二級に匹敵するが、過去に女性問題で昇級を逃している)。最下級が一級だが、二級に昇進するのはその四割にも満たない。この少年は早々とその四割に入ってしまったようだった。
 ちなみにこの階級制は白兵にも応用されている。状況より差はあるが、部隊長クラスが三級だ。
「何だ、お前もう昇級したのかよ。言えよ、一杯奢らせたのに」
「俺だってこれ以上僻まれたくないんだけど」
「あと五年もすればもっと僻まれるさ。俺も僻んじゃおうかな。皆で闇討ちでもするか」
「勝手にすれば?」
「可愛くねぇ! くそ」
 シュールは少年の容貌を見やり、わざとらしく吐息した。
「あー勿体ねぇ。何で男かなあ、そのぱっちりしたおめめで」
「俺が女だったらあんたになびくという保証がどこにある」
「……お前、ねーちゃんはいないんだったな。従姉とかは?」
「聞いたことないね」
「お袋でもまあ許容範囲かな。似てる?」
 青年の顔をつくづくと眺め、エレアザルは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「ぜーんぜん」
「誰に似たんだお前」
「顔は母さんの父さんにそっくりだって」
「……美少女面のじーさんなんていらん」
 
 

×    ×    ×
 
 
「これは殿下、むさくるしい処にようこそ」
 部隊長アルフォール・フロウは苦笑して言い直す。
「失礼。リアナ監査官とお呼びするのでしたな」
 いささか芝居がかった口調だが、嫌味ではない。鼻梁から左目の下にかけて走る古傷が醜い瘤となっている為に《段鼻》という奇妙な仇名を奉られているこの男は、ひどく人好きがする。鎖鎧の上に色あせた上衣を着、使い込まれた長剣を吊るしただけであり、一向にその肩書き通りには見えない。
 ダノイ要塞の規模は小さい。大きな要塞二つを繋ぐ中継地点であり、前進ではなく警戒と守備を旨とする。しかし左右の要塞と連携が保たれているにしろ、狙われやすい地点であるのは確かだ。加えて麾下は先の交戦で散り散りになった他部隊を加えた混成部隊、それも決して多くない。
 現時点では大きな戦闘の舞台からはだいぶ離れているが、いつ敵の大兵団がこちらに向かって来ないとも限らない。それが魔法兵を擁する現代戦の常だ。だからこそ、非常事態に強く野戦上手で知られたアルフォールがこの要塞司令官に居座っているのである。
「長距離酔いはしませんでしたかな」
「いえ。随分若い交信兵ですね」
「十歳だろうと百歳だろうと、使えるものは使います。我が軍は紅兵や交信兵の数が足りませんのでなあ」
 正規軍の年齢制限は十三歳以上の筈だが、数が不足しがちな交信兵は、時に養成所などから軍属という形で借り受けられるのだ。
 ぬけぬけとぼやくアルフォールの口調にリアナは軽く眉を顰めてみせた。が、目許は笑っている。
「本部に報告しましてよ」
「陛下に直接であれば、何なりと」
 アルフォールと国王とは旧知の中だ。学者肌の国王エル・シェイド・デュノーは、前々から魔法兵力の再検討を説いていた。傭兵隊長時代のアルフォールを口説いて麾下に加えたのも彼だという。
 ふと真顔になると彼は肩をすくめてみせた。
「しかし、笑ってもいられんのです。ローダスは魔法勢力が強い国柄。《塔》が中立を保っている間はまだいいとして」
「《塔》は常に中立ですわ。ご存じの通り」
 リアナは《塔》で魔法を学んだ一人である。自然と声が強くなった。彼女の父親ほどの年齢である部隊長は宥めるように頷く。
「ま、前にも申し上げた通り、騎馬民族カラドの傭兵団をどうにかして引っ張り込むのが先決でしょう」
「ランクーンのリン族との交渉が始まっている筈ですわ。それより……」
 リアナは顎に指を当て、一瞬ためらってから彼の双眸を見つめる。
「私がこちらに参りましたのは、実は監査官というのは名目だけでして」
 アルフォールはまた肩をすくめてみせる。
「でしょうな。監査など入れば、この要塞は上から下まで全員軍則にひっかかる」
「それはよくわかります」
 何だか情けなさそうに彼女はアルフォールの全身を一瞥し、首を振ると思い直したように口を開いた。
「アルフォール・フロウ。貴方は《賢者の石》について、何かご存じでしょうか?」
 
 

×    ×    ×
 
 
 戦闘らしい戦闘がなかろうと、偵察や歩哨、武器や要塞設備の点検など、兵士らにはやるべきことが幾らでもあるものだ。義務というよりは生存の為である。傭兵上がりであればその意識はなおのこと、身体が鈍らぬようせっせと訓練に励む者もいれば、新鮮な食料にありつこうと狩に出向く者達もいる。
 要塞内で監査官到着の噂を最後に聞いたのは、狩猟に出かけていて夕方に戻ってきたフィラフィアだった。
「聞いたよ。何でも新しい魔法だか兵器だかを試す為にわざわざ来たんだって?」
「……どっから聞いた? それ」
「もう一つ、ローダス側との内通者を探し出すんだって誰か言ってたな」
 彼女が笑うと白い歯がのぞく。ややつり上がり気味の目と大きな口の、表情豊かな女だ。短く刈った髪を鮮やかな濃黄色に染め、右目の上の一房だけ長い前髪を三つ編みにしている。頭が小さい割に肩幅が広く、革鎧を着けると到底女には見えない。彼女と並ぶとエレアザルは殊更にちんまりと見えた。
「実は段鼻の旦那に惚れていて、わざわざ会いに来たとも聞いたっけ」
「本当だったらそのへんが一番面白いな」
 彼女は汗を拭いながらエレアザルの隣に腰を下ろした。若い女の健康な体臭と革鎧の臭いと先程しとめてきた野豚の血の臭いとが入り混じった空気が少年の顔を打つ。
「暑っ苦しいな、フィーは」
 鎧を外し、脱いだ上衣をぽいと少年の頭に放る。憮然として上衣から脱出した少年の目に、肌着一枚で身体を拭っているフィラフィアの姿が映った。首にかけられた革紐の先の緑色の石が西日にちらちらと光る。
 エレアザルはため息をついて上衣を投げつけた。
「二十歳にもならない女がさ、羞恥心はないの」
「見物料取ろうか」
「女の胸も筋肉になるんだな」
「はん、羨ましいくせに」
 彼女は腕を伸ばして少年のほっそりとした腕をつねってみせる。
「うひゃ、どこのお姫様の手かと思った」
「どこの使い古しの革袋の感触かと思った」
 屈託なく大口を開けて彼女が笑った。男と比べても見劣りしない逞しい腕は浅黒く日焼けし、幾つもの傷跡が白く残っている。どの傷がいつの戦のだか、もう覚えてないよと彼女は言う。戦闘の最中でさえ朗らかな女だ。
「そら、飯行こ」
「俺、素振りの回数増やしたよ」
 寝床に腰掛け、頬杖をついたままエレアザルが言った。
「へえ。じゃ、後で見せてみな。形直してやるから」
「いいけど、もっと重くした方が筋力つくんじゃないかな?」
「あんた体重軽いから」
 不承不承頷き、フィアフィラに促されて食堂へと歩き出す。
「いつになったらフィーくらい重い剣使えるようになる?」
「急ぎなさんな。片手間なんだからしょうがないさ。そのうち身体動かさないとむずむずするようになるよ、あんたも」
「飛び回るのは好きだよ、俺」
「天職だ」
「ありがたくはないけどね……こんなの」
 呟いた彼の口の端をフィラフィアはつねった。
「贅沢言うない、《塔》出身のお偉い魔法使いさんが。下を見りゃきりないよ」
「俺はフィーみたいな方がいい」
 珍しく素直な口調に、ほ、と彼女は明るく笑った。
「そりゃ光栄だ。悪いけどあたしも頭使うよりこっちの方が好きでね、取り替えてやれないよ。大体交信兵なんて戦になったら真っ先に狙われる。そんな目立つ胴着着てるんじゃね」
「戦闘になったらフィーに着せてやるよ」
「頭にかぶれって? 片手だって入んないよ」
 フィラフィアは逞しく張り出した自分の肩を叩いてみせ、エレアザルは思わず笑った。
 
 

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