「何っ? 何故にゃあがいる!」
僕の顔を見るなり脱いだばかりの靴を持って帰ろうとする挙動不審者が一人。何故と言われても。
「ご注文お決まりでしょうか?」
「うーん、飲み放題よりも単品でめいめい好きなの頼んだ方が安そう?」
「何なんだ、そこの挙動不審者」
「飲み放題はこのようになっていますがどうしますか」
「んー、いいよね?
「はーい」
「はあい」
「はーい。聞いていないぞ! おお、久しぶりだにゃあ」
お前の偽名古屋弁もな天満。
「そこで何故逃げようとするのか判らない」
相変わらずだな貴様は、と不審者は呟いた。天満こそちょっとパーマをかけた様子があるだけであまり変わらない。恰幅のいいおじさんになりかけている出水を見た後だから危惧していたのだが。
「あたしも生中。まあ、ニャーちゃあああん!」
「お久しぶりです先輩」
「会いたかったわ〜♥」
わあ。
昔から母性の塊のようだった箕面先輩(天満と紛らわしいのでこれで通すことにする)は、まさしく母になっていた。その足元にきょとんと立っている小さいのが、かねてから噂には聞いていた、例の。
「幾つ?」
「りゅーいち、二歳半!」天満が唸りながら子供を抱えて室内に入った。「誕生日は9月11日!」
「……違うわよマサ君」
「む?」
「それは出産予定日」
「むう?」
「ところでこんな時間に大丈夫なんですかりゅー君」
さっき越生が電話を掛けた時は、家を出られる状況じゃないと答えたらしい。てっきり今回は天満夫婦は不参加か途中参加かと思っていたんだが。
「ん、大丈夫。お昼いっぱい寝かせたから♥」
「そういうものなんですか」
「見て見て、ガチャピンのトランプ〜全部絵が違うの」
「わあ、ふっちーそれ可愛い」
「あのー、ご注文宜しいでしょうか?」
アルコールもなしに既に盛り上がっている個室の敷居に膝をついて、バイトの女の子が懸命に繰り返していた。
「凄いんだよ今回。集合時間にね、全員いたんだ」
天満にそう告げて、僕らもおとなになったねぇ、と越生は重々しく頷いた。その手の中にあるのはカルピスの原液でもかき氷シロップでもなくビールジョッキ。あえて突っ込むまい。
僕に飲み会のメールをくれたのは遅刻魔・邑楽だ。奴と一般人の間には東京と北京以上の時差があるので、美術部当時、誰かが邑楽を呼び出す時には他の人よりも1、2時間前の時間を指定していたものだ。だから邑楽の「20:00集合です」は甚だあてにならない……と思っていたんだが。
「邑楽も遅刻しなくなったんだな」
「違いますネコ先輩。それはコピーのおかげです」
そういえば邑楽が上座と下座に一人ずついる。弟の方は兄よりもかなり時間に正確なのだ。ちなみに僕は初対面のコピーとよその学園祭で遭遇し「何故学ランを着ている?」と問いつめて(漫画のようだが事実だ)以来十数年、邑楽が愛用しているレザーコート以外での区別がつかない。
「お前弟に迷惑かけるなよ」
「すいません俺弟の方です」
「ネコ先輩、今日は卵ボーロはなしってことで!」
「持ってきてないよ。ちょっと考えたけど」
「「「ちっ」」」
お前らどうせ、自分以外の被害者は期待していたんだろう。
「大学の時飲み会に行って澄んだビール飲んで、これが飲み会なんだと初めて思いましたよ」
末席に慎ましく座った三養基がしみじみと言った。気がきくホテルマンの三養基は自然と必然の両方の作用で注文取りだの皆の世話だのに追われている。
天満夫婦の一粒種りゅーちゃんは、まだどちらに似たのか判らない愛くるしい容貌だ。もじもじしながらほとんど喋らない。「両親に似て外ヅラがいいの♥」と箕面先輩曰く。Y染色体に眠っている筈の過剰な好戦的性格が出なければいいんだが。
「おじいちゃんとかどうしてるかね」
「荏子田江古田と同じく、消息不明ということはまっとうに暮らしてるってことじゃないの」
「あははー」
全然関係ないがロンゴロイドはワンマンぶりを理事会に指摘されて解任され、それを不当として今も裁判で争っているらしい。その割に、情操教育に関する本を出したから買えという封書がいつか届いたけど。(限りなく笑えるブラックジョークだ)。
「天満先輩がお父さんしているんですねぇ……」
自分も二児の母親になっている富津がしみじみと言った。確かに随分と角が取れて父親の顔をしている。夫婦は似るものなんだろうか。
まあ、宇宙にまで行ったのはガチャピンだったかムックだったかで論争する母親というのも珍しいと思うよ富津。
「羽咋はどうしてんの?」
「建設系です」
「相変わらず羽咋らしいね。飯山満はもう随分見てないな」
「マメが最後に会った時はTMレボの追っかけしてました」
「……相変わらず」
「む!」
運ばれてきた生中を呷った天満が眉間に皺を寄せている。箕面先輩がジョッキをくいと傾けて同じ顔をした。
「発泡酒?」
「発泡酒よね」
「ふ。三養基、店員を呼べ」
父親の顔はどこへやら、舌なめずりをする悪魔のような表情で天満が命じた。後で訊けば、以前この店に来た時も生ビールを頼んだのに発泡酒が出てきたらしい。
のこのこ顔を出した店員を天満が詰問している。絶対違いますとは言い張っていたが、ついでにジョッキの一つのヒビも示すと、新しいビールが人数分出てきた。
「ん、今度は本物だな」
……ざらにあるのか、こういうことは?
「ネコミ先輩も日本酒試してみませんか」
「クレームつけられるほど舌は肥えてないし、ここの不味そう」
「天満先輩、念のため5センチほど残しておきましょう」と出水が穏やかに提案した。
「そうだな。ふっふっふ、次はまた発泡酒だったりしてな」
「次はどうしましょうか」
だったら最初から発泡酒を頼めば良いものを、単に喧嘩売りたいだけの客かもしれない。
次第に慣れてきたりゅーちゃんは越生にじゃれついている。彼の評価は母親の翻訳に寄れば越生が「一番ダメなおとな」で、出水が「面白い顔のおじさん(にらめっこをしてやった)」だそうだ。
「りゅーちゃん。そのダメなおとなを退治したらこのアイスあげる」
「ネコ先輩、それは餌付け……ああ、りゅーちゃんが陥落した!」
「……で、遊佐とオッサンが階間違えてふっちーがそれについてったから、
二度目にまた発泡酒を出した飲み屋を出てカラオケに入ると、人数は幾らか減っていた。残ったのはさしずめ『ダメなおとな選抜チーム』だろう。終電で帰っていった連中も、今日の飲み会に来ていた時点でアウトだが。
「……りゅーちゃん大丈夫ですか?」
テッカマンを熱唱し始めた父を二歳半の幼児がきょとんと眺めている。息子よこれが父の背中だ。
「フッ、一度くらいはこんな体験も必要よ」
悪の耐性?
「羽咋はともかく、遊佐が間違えるって珍しいですね」
「菅生君がスピーチしに行った時なんて僕と菅生の嫁さんだけでねー、何を話して良いものやら、はははー」
「菅生の嫁さんがこれがまた可愛くて」
そういえば、あの菅生君ももう父親なのよね、と箕面先輩が遠い目をした。本人の弁によれば今ではキナ臭い趣味からはさっぱりと足を洗ったというが、火薬の臭いのしない菅生など想像がつかない。背中にファスナーでもついて何か別のものが入っているんじゃないだろうか。
「おいにゃあ、替われ」
「は?」
直立不動でマイナーアニメの主題歌らしきものを歌っている出水を背景に、天満がいきなり携帯電話をつきだした。
「もしもし」
『はい……遊佐です』
もしかしたら寝起きじゃないかと思われる遊佐(?)が電話の向こうでぼそぼそと答えた途端に天満が電源を切った。イタ電か、それも僕の声で。(着信は貴様の番号だ)
何事もなかったかのように天満はマイクを取り上げ、『(何とか)ガイスラッガー』を熱唱し始めた。たちまち部屋中がハモる。僕らのカラオケに於いては、入れた曲がアニソンである限りソロで歌われることはまずない。たとえ『アルプスの少女ハイジ』であっても野太い声が唱和する。
これぞ僕らの美術部だね、と越生が目を細めた。
「3万年の戦士達って、こいつら原始人なんですか?」
「ニャーちゃん憶えてない?」
「オープニングがやたら寒そうだったのは何となく憶えています」
「……そう」
それにしても皆異様な記憶力だ。僕は画面が何色だったかも憶えていないが、アニソンマニア脳というのは生まれつきなんだろうか。
「マメ、花の子ルンルン歌いますっ!」
「これうちの子が見てるんだけど、タイトル見てもどれがオープニングか分かんないわ……」
「おお、星矢入れたの誰だ!」
「……先輩。アニメ縛りなんでしょうか」
「そんなことはない筈だけど?」
僕のアニソンレパートリーは乏しい。それでもタイアップというものがあるからアニメページを根気よく探していけば幾つか見つかるが……ポルノグラフィティが『GTO』に入ってるよ、ふーん。(歌ってみたら天満が「面白い。にゃあの声で憶えた」と重々しく言った。どういう意味だ)
「それならマメ、山口百恵を歌います!」
だが大豆戸の『卒業』は1番が終わるや否や天満にぶちっと切られた。僕がマメと先輩にリクエストした五輪真弓の『恋人よ』に到ってはサビの直前に。
「何故消す」
「俺が泣くからだ!」
「そうなのよニャーちゃん。今朝なんてね、チャングムで夫婦喧嘩して離婚の危機だったのよ」
「ええい、人が疲れて帰ってきた時に観ていたら、観たくなるだろうが!」
この夫婦の離婚の危機とやらは一日に何回あるんだろう。
「先輩、《水の星》なんてカクテルがあります」
「おお、ゼータだな!」
「飲むと酸欠になるんじゃないの?」
「おい、誰だ、『残酷な天使のテーゼ』!」
「あ、はいはいあたし!」
…………
……
電池切れでむずかりだしたりゅーちゃん(を肩車した天満)を先頭に天満家に辿りつき、深夜に放映されていた外国アニメを見ながらいつも宴会の場となっていた客間に雑魚寝。
邑楽がいれば「若さゆえの過ちだな」と呟くだろうが、一体幾つなんだろうな僕らは。
……数時間後、僕らは大豆戸のケータイから高らかに鳴り響いたファンファーレに似たアニソン(推定)で目覚めることになる。
ついでに白状するが、天満。録画中の『シュ○ック』が数秒間消えていたとしても先輩に当たらないように。テレビの主電源と間違えてビデオを落としたのはこの僕だ。